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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部03 離反者
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見捨てられたお姫様 (2)


エヴェリー侯逮捕の一報に、貴族たちは大騒ぎだった。

優秀で誠実な財務大臣を慕う者は多く、逮捕は何かの間違いだと訴える声は多かった。


逮捕の理由は業務上の横領。

財政豊かなエヴェリー家がなぜ。当然の疑問なのに、それにろくな答えも返って来ないまま、エヴェリー侯爵は監獄へ送られていた。


「レミントンめ。コンラッドを切り捨てるつもりか」


マリアから経緯を聞かされた宰相は、眉間にしわを寄せて言った。


「すぐにコンラッドを別の監獄へ移す必要がある。このままでは、裁判も待たずにコンラッドが始末されてしまう。監獄への移送は近衛騎士隊の仕事だ」

「ヒューバート殿下からマルセルに伝えてもらい、エヴェリー候がどの監獄にいるのか調べさせます」


宰相の指示を受け、マリアはすぐにヒューバート王子のもとへ赴いた。

裁判までエヴェリー候を生き延びさせることができれば、あとは主席判事であるマクファーレン伯の力でどうにでもなる。むしろそれが最大の問題点だ。

裁判になってしまえばレミントン侯爵でも捻じ曲げることはできない。だから裁判までにコンラッド・エヴェリーのことを片付けてしまいたいはず。


「朱の商人か。ここに来て、またその名前を聞くことになるとは思わなかった」


ヒューバート王子も思いつめた表情であった。

純精阿片は、王子もその恐ろしさを知っている。前回は終わった後に報告を聞くことしかできなかったが、今回は商人を捕えるのに力が必要になるかもしれない――そのことに、王子も責任を感じていた。


「マルセル、なるべく早急に頼む。ドレイク卿の管理下にある監獄へ移して、エヴェリー侯爵の身の安全を図らないと」


マオは宰相に預けることになった。

ララやアレクがいるとは言え、素性の怪しいマオをオフェリアのいる屋敷に置いておきたくはなかったし、マオにとってもマリアより宰相のもとにいたほうが動きやすいだろう。

というか、さすがに宰相の周囲は警備が厳し過ぎてマオでも侵入できなかったのだと思う。だからマリアに近づき、宰相に紹介させようとしていたではないか。マリアはそう考えていた。




夜更け、マリアは窓を叩きつける雨の音で目が覚めた。


エヴェリー候逮捕で騒ぐ貴族たちに共鳴するように、今夜は外が騒がしい。

大粒の雨が、強風に煽られて建物に打ちつけられている。さっきまで雷も鳴っていて――おかげで、怯えるオフェリアを寝かしつけるのに苦労させられた。


もしかしたら、この音でまたオフェリアが目を覚ましてしまったかもしれない。マリアがベッドから起き上がると、もぞりと長い腕がマリアの身体に絡まった。


「妹が心配なので見て参ります。すぐ戻りますから」


横になったままの彼の額に口付け、マリアは静かにそう囁く。納得して手を引いてくれたことに感謝しつつ、マリアは寝室を出た。


今夜の寝ずの番は、ララだった。

廊下で出くわしたララは、窓の外を見ている。


「マリア、起きてたのか。いま屋敷の外に馬車が止まっててさ。いったい誰が来たんだか」


今夜の相手はすでにマリアの部屋にいる。他の者にも今夜の予定は伝えてあるのに、この天気の中をわざわざ訪ねて来るなんて。

マリアも窓の外を見た。


馬車はどこにでもありふれた地味なもので――そこから下りてきた人間も、目立たぬよう地味なローブを頭から深くかぶっていた。顔は見えないが、その動きから中身は女性であるように感じた。


――女性。

ある予感が、マリアの脳裏をかすめる。


「……ララ、いますぐ裏口に行って、彼女を出迎えてきて」

「裏口なのか?玄関じゃなく?」


不思議そうにするララに、マリアはええ、と頷いた。


「たぶん、私のところへ来たことを知られたくないはずよ。下手に動いてレミントン侯爵の注意を引き付けてしまったら、彼女自身も危うい立場に追いやられることになるもの」


それでもすがりに来た――一時は、自分も敵愾心を向けたことがある相手に。

その敬意は評すべきだ。だからマリアも、彼女の話し合いに応じよう。


キャロライン・エヴェリー。

何をしに来たのか、話を聞くまでもなかった。


「どうか、父をお助けください」


ララの案内でマリアのもとへやって来たキャロラインは、顔を見るなり床に跪き、地面に額をこすりつけんばかりの勢いで頭を下げた。

大雨でずぶ濡れとなり、キャロラインはみすぼらしい姿となっていた。それを取り繕うことも忘れ、キャロラインはひたすらマリアに頭を下げる。


「私よりも、頼るべき相手がいるのでは」


嘲笑するようにマリアが言えば、キャロラインは床についた手を震わせ、首を横に振った。


「すでにおすがりしました。ですが今回のこと……父を陥れたのはリチャード様なのでしょう?」


マリアは答えず、笑みを崩すこともなく、キャロラインをじっと見つめる。

リチャード・レミントン侯爵――彼がエヴェリー侯爵逮捕を仕組んだ以上、チャールズ王子やその周囲を頼っても無駄だ。

だからマリアに頼りに来た。司法官に伝手があり、王に目をかけられ、レミントン候にも潰されぬだけの地位にあるマリアに。


「お願いします。もう、オルディス公爵しか頼る相手がいないのです。母を早くに亡くし……父は、私にとってたった一人の家族……。どうか……どうか、なにとぞ……私にできることなら何でもします。どうか、お父様を助けてください……」


必死で頭を下げるキャロラインの姿に、マリアは舌打ちをしたくなった。


――お父様を助けて。

その姿に、見えてはいけないものを見てしまった。


幼くして母を亡くし、父だけが頼りだった。父が逮捕されたあの時、もしすがる相手がいたのなら。マリアもそれにすがりついて、頭を下げただろうか。

……もし、なんてことは考えない。考えたって無駄だと、いつも自分に言い聞かせて来た。

目の前の少女が自分と重なって見えたとしても、マリアはそれを振り払わなければならない。


マリアは唇を噛み、それからキャロラインにもう一度視線をやった。


「何でもすると言ったわね」


キャロラインがパッと顔を上げる。その顔は、目の前にぶら下げられた希望にすがりつこうと必死だった。


「はい、何でもします。私にできることなら、何でも」


コンラッド・エヴェリーは、このまま処刑させたほうがいい。それは分かっていた。

マクシミリアン・ガードナーを犠牲にしたのだ。いまさら偽善者ぶるつもりはない。


誠実な味方であったはずのエヴェリー候すら手にかけたレミントン侯爵――それを止めないチャールズ王子。

マリアたちにとっては、そちらのほうが都合がいい結果だ。

仲間同士で殺し合い、せいぜい己の力を削げばいい。朱の商人に関わる情報さえ引き出せば、エヴェリー侯爵がどうなろうと関係ない――はずだ。目の前の少女の懇願を、聞き入れてやる必要はない。


……でも、彼女がマリアに利用されてくれるというのなら、それもひとつの手だ。

マリアはほくそ笑んだ。


まだ一つ、解決していない大きな問題が残っている。

エンジェリクには直接関係ないこととして、宰相もヒューバート王子も気に留めていない。だがキシリアを愛するマリアにとっては、朱の商人よりもよほど重要なこと。


「ひとまず、今夜はこのまま帰りなさい。エヴェリー侯爵を無事に私の手の届くところへ移さないと、取引すらできないもの。まずは侯爵の身の安全を確保して……それから、改めてあなたに頼みたいことがあるわ。エヴェリー侯爵を助けるかどうかは、その時のあなたの返事次第――いいわね?」


マリアの言葉に、キャロラインは従順に頷く。ローブを深く被り直して屋敷を出ていく彼女を見送り、マリアは呟いた。


「彼女との取引に応じるふりをしながら、エヴェリー侯爵は始末させてしまう――それが最も効率のよい方法だというのに、そう選べない私は、やはり甘いのでしょうか」


一部始終を見ていたドレイク卿は何も言わず、いつも通りのポーカーフェイスのままだった。

だだマリアのそばに寄り、優しい手つきで髪を撫でて額に口付けて来る。


「コンラッド・エヴェリーの身柄は確保しておく。恐らく父から指示があるだろうが……聞こえなかったふりをしておこう。マリアが好きに利用すれば良い」


マリアはクスリと笑った。


「そうやってよってたかって甘やかすから、私という女は付け上がるんですよ」

「ならば、私に礼を尽くしくれても構わぬのだが」


ドレイク卿の胸に顔を埋め、それもそうかもしれませんね、とマリアは頷いた。




キャロラインとの取引については、ヒューバート王子にも話しておいた。隠す意味もないし、恐らく王子の協力が必要になる。

エヴェリー侯爵を助けることに関して、王子は反対するどころか積極的に賛成していた。


「助けても構わないのなら、できるだけ助けたい。甘いと笑われてしまうだろうが……命を奪わずに済むのなら、それに越したことはないと思うんだ」


そう話す王子に、やっぱり甘いです、と答えながらマリアも笑った。


「しかし、実際にエヴェリー候を助けることは可能なので?財務大臣時代の汚職を示す証拠が、大量に出てきたと聞いているのですが」


マルセルが口を挟んだ。


エヴェリー候は無事、ドレイク卿やフォレスター宰相の監視の目が行き届く監獄へと移された。

これで口封じに暗殺されてしまう危険は回避されたが……途端、エヴェリー大臣の汚職の証拠が山のように現れた。罪状が積もり、即刻死刑宣告が下されそうな有様である。


マクファーレン主席判事の一存で刑の執行は延期されていが、ドレイク警視総監も対応を取り損ねていた。

なにせ、エヴェリー候はレミントン侯爵にとって身内のようなもの。証拠のでっちあげなど容易。

大量の証拠を無視するわけにもいかず、そちらに捜査の手が取られる――となると、無実を証明するための捜査に人員を割けない。


大量の証拠はエヴェリー候を追い詰めるためだけのものではなく、捜査をかく乱する目的もある。レミントン侯爵は、やはり油断ならない相手だ。


「何とかはするわ。適正な方法、とは言えないやり方かもしれないけれど」


もともとコンラッド・エヴェリーは、レミントン侯爵の罠に落ちて処刑されてもらうつもりだったのだ。命を助けることについては考えていなかった。

――宰相も、それは同様だった。




監獄にいるエヴェリー侯爵に面会する日、彼の罪状が着実に決まりつつあることを教えられた。


「潔白を証明するのは不可能だろう。無実であることを証明すること自体、悪魔の証明と呼ばれるほど至難な代物だ。真っ当な方法でコンラッドを助命することはできん」


コンラッド・エヴェリー侯爵は、政治犯が収容される監獄にいた。

貴族や裕福な平民など、富裕層が多く収監されているそこは、それなりに立派な造りをしており、待遇は非常に良い。ただ、外部との接触は一切禁止されている。

強固な警備が施されたこの監獄は、悪意を持った外部犯が接触しに来ることも不可能だ。


エヴェリー侯爵は、その中でも殊更監視と警備の厳しい塔の一室にいた。


「レミントンの抱える闇は貴公も察していたはずだろう。確たる証拠もなしに馬鹿正直に突っ込めばどうなるか、分からなかったのか」


対面する宰相に、エヴェリー侯爵は自嘲するような笑みを浮かべた。


「綺麗事だけでは渡り歩くことのできない世界だ。時には悪魔と手を組む必要があることは私も知っている。だがその悪魔が、エンジェリクを滅ぼすものであるのなら話は別だ……」


簡素なベッドに腰掛けたまま、エヴェリー侯爵は頭を押さえてうなだれる。


「……朱の商人のこと、私の誤解であってほしいと思ってしまったんだ。何かの間違いだと。そう思い込みたかった」


だから無謀にも、レミントン侯爵に直撃してしまった――エヴェリー候は溜息をつく。


「真意のつかめない御方だと思っていたが、国の行く末にすら関心がなかったとはな……」

「奴が何を考えているのか、長年渡り合ってきた私でもいまだによく分からん。権力闘争を単なるゲームと捉え、勝つために平然と周囲を蹴落とす……その癖、手に入れた権力には固執する様子がない。奴は駆け引きのゲームを楽しめればそれでいいのだ……そのために誰が命を落とそうと、自身の命運すら尽きようとも構わぬのだろう……信じがたいことではあるが」


宰相の言葉に反論することなく、エヴェリー候は黙り込んでいた。その表情は、むしろ同意すらしているようで。


まだその時、マリアはその言葉の意味を正しくは把握していなかった。

レミントン侯爵がただ者ではないと理解はしていたが、心のどこかで彼のことをまだ侮っていた――。


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