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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部01 故郷からの逃亡
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選べないこと (3)


揺蕩う感覚に、マリアは自分の意識が覚醒していくのを感じた。誰かが自分の手を握っている。何とか力を入れて握り返してみれば、オフェリアの声がした。


「お姉様!」

「マリア様!」


そう呼ばれるのも、久しぶり……。

ふっと笑うと、目の前が急に眩しくなる。自分を覗きこむオフェリアとナタリアが見えた。自分の手を握るオフェリアの手にぎゅうっと力がこもる。ちょっと痛いぐらいの感覚に、マリアは微笑んだ。


「お姉様!お姉様ぁ……!」

「あなたは本当に泣き虫ね」


ベッドに横たわるマリアに縋りついて、オフェリアがわんわんと泣き叫ぶ。マリアは、妹の頭を優しく撫でた。


「マリア様……良かった……本当に、目が覚めて……」

「心配かけてごめんなさい。ここは……?」


重い身体を起こし、辺りを見回す。まったく見覚えのない部屋だ。


「船の中です。左腕を負傷されたマリア様は、あれから三日も眠っていたのですよ」

「そう……」


自分の身体を見下ろしてみれば、左肩から肘にかけて包帯が巻かれていた。そして着ているものは肌着だけ……。

マリアが見ているものに気づいたナタリアが、顔を曇らせた。


「見舞いの方がいらっしゃったときは服を着せていました。肌を晒したのはお医者様の前だけです。ただ、マリア様が戻って来た時すでにノア様が応急処置をされていて……その……」


これだけの傷を手当するのに、服を脱がさないわけにはいかないだろう。気付かれているだろうと思ってはいたが、これではっきり知られてしまったということだ。

だからと言って、ノアや伯爵が特別なリアクションを起こすとは思えないが。


「あなたも無事だったのね」


ベッドにちょこんと飛び乗ってくる子犬を見て、マリアは笑った。子犬も腹に包帯を巻いていたが、マリアを見て尻尾を振っている。


「血まみれになった子犬が戻って来たのを見て、異変を知ったんです。ボロボロになりながら、マリア様のもとへ先導してくれて」

「この子は将来有望だって、商会が雇ってくれることになったの」


マリアが子犬を撫でていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。ナタリアが急いでマリアにガウンを着せる。


「ああ、やはり。賑やかな声が聞こえてきたので、君が目覚めたのではと思ったんだ」


やって来たのは、伯爵とノアだった。マリアがベッドから降りようとするのを、伯爵が制止した。


「目が覚めてよかった。ノア、医者を呼んで来てくれ。改めて診てもらおう」


伯爵からの指示で部屋を出ていくノアに、マリアは声をかけ損ねた。伯爵はベッドに腰掛け、マリアの様子を確認している。


「君を襲った連中のことを聞かせてもらえるかな。ノアからも報告は受け、私のほうでも調べたが、君の口からも聞いておきたい」

「恐らくフェルナンド・デ・ベラルダが雇った傭兵です」


男たちの会話を思い出し、反芻しながらマリアは話した。


彼らの主人は、クリスティアンの遺児を自らの手で始末したがっているらしい。そこまでの恨みと執着を持つ人間など限られている。


キシリアの王位を狙う男フェルナンド・デ・ベラルダ。

先王トリスタンの腹違いの兄であり、トリスタン即位の折は王位継承を巡って兄弟で争っていた。マリアの父親はトリスタン王の宰相としてフェルナンドと戦い、彼の母方の一族や家臣たちの処刑にも関わって来た。

クリスティアンに一族や忠臣を殺されたフェルナンドなら、女子供であろうとセレーナ一族はすべて滅ぼしたいはず。彼の追撃から逃れるため、マリアはオフェリアを連れてエンジェリクへ逃げようとしていたのだ。


「シルビオと呼ばれた青年がいました。フェルナンドの息子のようですが……何の気まぐれか、彼は私を見逃し、仲間のはずの傭兵を斬り捨てていました」

「フェルナンドには息子が二人いる。兄のフリオ、弟のシルビオ。自分が弟に王座を奪われた恨みからか、下の息子は冷遇しているという噂がある。そのあたり、親子でも確執があるのかもしれないな」


シルビオにどのような思惑があったのかは、マリアにはきっとわからないだろう。彼の気まぐれはこれ以上ない幸運だったのは確かだ。

――いや。

逃亡を始めてから、マリアは幸運に恵まれ続けていた。今さらながらに、オフェリア、ナタリアと共に無事キシリアから出られた奇跡を実感していた。

だから、自分のこの選択がどれほど愚かしいものなのかも分かっていた。


「伯爵、このままオフェリアとナタリアをガーランド商会に置いてくださいませんか」

「そう頼んでくるということは、君は残ってはくれないということか」

「私は、最初の予定通り伯母のもとへ行きます。どうしてもクリスのままではいられないので」


マリアはにっこりと笑い、伯爵を真っ直ぐに見据える。


「申し遅れました。私はマリア・デ・セレーナ。キシリアの宰相クリスティアンの娘です。伯爵には、妹共々助けて頂き感謝の言葉もございません。その恩人に図々しいことを申しているのは承知の上ですが、妹たちには安全な場所にいて欲しいのです。どうかお願いいたします」

「いや!絶対いやよ!」


恐怖に顔をひきつらせたオフェリアが、激しく首を振りながらマリアに抱きついた。


「私はお姉様と一緒に行く!離ればなれになるなんていや!」

「オフェリア……」


妹のことを想うなら、彼女を突き放すべきだ。

それが分かっていても、マリアは妹を優しく抱きしめることしかできなかった。


「商会にいたほうが安全なのよ?伯母様が優しい良い人だとは限らないわ。歓迎してもらえないかもしれないのよ」

「それでもお姉様と一緒がいいの!置いていかないで!」


――本当は。

マリアも一人になるのが怖かった。オフェリアが泣いて引き止めてくれるのを心のどこかで期待していた。強く振る舞っているけれど、本当は妹の優しさに支えられ、甘えてきた。

これからも。いまも。


「……ごめんね」


妹を拒絶することはできず、マリアは小さな声で謝ることしかできなかった。

ナタリアを見れば、彼女も静かに頷く。


「一日三人もの女性に振られるとは。とんでもない記録ができたものだ」


伯爵はそう言って、豪快に笑う。


「私は、生きるのに邪魔ならば名前など捨てる。その選択はあり得ない」


言葉では否定しながらも、マリアを見つめる伯爵の眼差しには敬意の光があった。


「しかし君は私とは違う選択をするだろうと思っていた。おかしな言い方だが、私と君は正反対でありながらよく似ている」


伯爵が手を伸ばし、マリアの頭を撫でた。大きな手は、伯爵の寛大さや懐の大きさを象徴しているようだった。それに比べて、いまの自分は何もかもちっぽけだ。伯爵に似ていると言われても、彼に及ぶものなど何も持っていない。


「王都には商会の本店がある。気が向いたらいつでも頼って来てくれ。気が向かなくても顔は出しに来るように。さて、ようやく医者も来たようだ。私は退出しよう。マリア、今夜はしっかりと休んでおけ。明日は慰労と、遅れていた君の誕生日祝いで賑やかにやるぞ」




伯爵の宣言通り、翌日の船上は賑やかだった。

髪を金色に戻したオフェリアは、賑やかな中へ飛び込んで行ってよく笑い、跳ね回っていた。ナタリアはマリアのそばについていたが、他ならぬマリアが離れるように命じた。

ナタリアも、リースやハンナなど、商会で親しくなった人たちから何度も声をかけられている。船の中ぐらい、彼女にも自由な時間を与えたかった。

職務を休み、主人から離れているのはナタリアだけではないのだから。


「ノア様」


伯爵の護衛から外れているノアに、マリアは声をかけた。


「助けてくださってありがとうございました。お礼を言うのがすっかり遅れてしまって」

「お気になさらず。間に合ったと言える状況でもありませんでしたし、あなたを助けたという点ではシルビオのほうが大きいですから。認めたくはありませんが、奴が見逃してくれていなければあなたを助けることは不可能だったでしょう」

「何を考えているのかよく分からない男でした。単に、父親への反発心から私を助けたとは思えません」


シルビオという男の不可解さに首をかしげていたマリアは、ふとノアの視線を感じて顔を上げた。不自然にならない程度にマリアから視線を逸らす彼は、どこか気まずそうな表情をしている。


「あの、何か気になることが?」

「……謝罪をすべきかと。その。服を脱がせてしまったので」


ノアの言葉の意味がすぐには分からず、マリアは目を瞬かせた。

ようやく左腕の手当てのことを言っているのだと分かった時、思わず吹き出してしまった。


「私を助けるためだったのですから、謝る必要なんかありませんよ」

「そうですか。……すみません。この話題を出すと、かえってあなたに恥をかかせることになるかと思って。いままでずっと悩んでいました」


相変わず、ポーカーフェイスの見た目に反して生真面目で優しい男だ。マリアがくすくすと笑っていると、脇に荷物を抱えた伯爵がこちらへやって来た。


「あとでデイビッドの機嫌を取ってやってくれ。君を口説き落とせなかった私の不甲斐なさを涙ながらに語っている。私を憐れんでくれないか」

「エンジェリクに戻ってもリースさんの忙しさは相変わらずなんですか?」

「いや。エンジェリクに残っている従業員と合流できるのだから、キシリアの時ほど酷いことにはならないはずだ。だが君のような優秀な人間を見逃す羽目になるのが、涙を流すほど悔しいらしい」


リースのほうを見てみれば、ナタリアが苦笑しながらなだめているようだった。


「マリア」


名前を呼ばれて視線を戻すと、伯爵が脇に抱えていた箱をマリアに差し出す。


「誕生日おめでとう。君のこれからに幸あらんことを祈ろう」


箱を受け取り、中身を見る。マリアの瞳と同じ色をしたドレス……。素材もサイズも、そのへんで適当に選んだ物ではない。マリアのためにあつらえてくれたのだろうか。

昨日今日で用意できるものではない。やはり、自分の正体はとうの昔にバレていたのか。感謝の気持ちと滑稽な気持ちに、マリアは顔を綻ばせた。


「ありがとうございます、伯爵。ただ、伯爵と出会えたことが人生最大の幸運でしたから、これ以上の幸せは難しいでしょうね」

「若く美しい女性にそう言ってもらえるとは光栄だ」


伯爵が屈み、マリアに顔を近づけて来る。

貴族の娘として育てられてきたマリアは、男と接触した機会は並みの人より少ないだろう。それでも彼が何をしようとしているのか察し、思わず顔を赤くした。


「伯爵、ノア様が……」


ちらりとノアに視線をやれば、彼は溜息をつき、仕方がないとばかりに背を向けた。

甲板には他にも大勢の人がいるのだが、賑やかさを楽しむ彼らは片隅にいるマリアたちに気付いていないのか、気付いていて素知らぬふりをしているのか……。

そんなことを考えるのが億劫で、マリアは目を閉じた。


唇が重なる――頬や額に口付けられるのとは、何かが違うような気がした。少なくとも、胸の奥がむず痒くなるような、こんな感覚は初めてだ。


「誕生日を迎えた君に、大人としてのちょっとした祝福だ」


伯爵が悪戯っぽく笑う。

触れるだけの口付けだったが、マリアにとっては十分刺激的なものだった。飄々としている伯爵に感心する一方で、ずるい、という思いもちょっとだけあったり。何がずるいのか、自分でもよく分からないけれど。


「……伯爵は本当に。悪い大人の見本ですね」


いつの間にやらマリアたちに向き直っていたノアが、呆れたようにため息をついて言った。


「こういう悪い大人もいるのだ、ということを教えるためでもあるのだ。大目に見ろ」

「口の達者さは、ご自分の悪行を正当化する以外に使ってください。十四歳になったばかりの少女に手を出しておいて……」


ノアからのお説教タイムとなってしまった伯爵に、マリアは声をあげて笑った。


故郷からの逃亡は、マリアにとってそれほど悲劇的なものではなかった。それどころか、かけがえのない出会いに恵まれて――きっとホールデン伯爵やガーランド商会は、これからもマリアの心の中で重要な位置を占めることだろう。


だからこそ、不安な思いもマリアの心に浮かび始めていた。

絶対的な庇護者であった伯爵から離れ、果たして自分はエンジェリクで生きていけるのか――。


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