判官選び
その日、城の庭では司法官たちの評議会が行われていた。
夏が来て、領地に下がって休みを取る貴族も多い。要するに仕事納めの親睦会――完全に職務とは無縁の行事だ。
最初から酒が振る舞われ、歓談している。
普段はごく一部の司法官だけが集まって楽しむ催し物なのだが、今回は少し勝手が違った。
このシーズンにて、主席判事グッドマンが引退する。評議会では、誰が次の主席判事となるのかその話題で持ち切りだった。
司法官以外にも、この評議会に参加している貴族があちらこちらに――。
「あれが、リチャード・レミントン侯爵……」
貴族たちに囲まれた華やかな男――パトリシア王妃の兄にして、マリアたちが対立する王妃派の中心人物レミントン侯爵の姿も、そこにあった。
年齢は、エンジェリク王より少し若いぐらいだったはず。
エンジェリク王も年相応の落ち着きと共に花のある容姿をしていたが――レミントン侯爵は、その王すらかすむ若々しくも華やかな容姿だ。
どこか無邪気さを感じさせる明るい表情が、侯爵の若々しさをいっそう引き立てているのかもしれない。
「真意のつかめぬ男だ。王妃を始め、チャールズ王子は周囲の人間にさほど恵まれていない。優秀とは言い難い人材ばかりだが、それでも王妃派が崩れぬ最大の理由が、あの侯爵だ」
マリアをエスコートするドレイク卿が、声を落として説明する。
ドレイク警視総監の個人秘書という立場を利用して、マリアはこの評議会に参加させてもらっていた。
「つまりあの男を崩せば、王妃派は壊滅も同然と言うことですね」
「逆に言えば、あの男が崩せぬ限り王妃派を崩壊させることはできぬ。いかに周囲を切り崩そうとも……侯爵は平然とそれを切り捨て、替えを見つけ出してくる」
ドレイク卿にそう言われても、あの人懐っこそうな笑顔からはとても想像できないことではあった。ハンサムで人から好かれそうな容貌に、マリアですら毒気が抜かれそうだった。
「何とも厄介な相手ですね。今日のところは放置しておいて、私の企みが上手くいくことだけを祈ることにします」
マリアは、庭に飾られた大きな噴水に視線をやった。噴水のそばで、ヒューバート王子が従者のマルセルを連れてたたずんでいる。
最近は精力的に公の場に顔を出すようになった王子に、挨拶する貴族も多かった。おかげで、ドレイク卿がヒューバート王子に近づいても、誰も不思議に思うことがない。
「ご機嫌よう、殿下……あら、メレディス。あなたも来てたのね。立派な衣装を着ているから、どこの坊ちゃまかと勘違いしたわ」
「良いもの着ると、僕もそれなりに見えるだろう」
言いながら、メレディスが笑った。
もともと格調高い伯爵家の出身だ。容姿も優れていたし、煌びやかな衣装がよく似合っている。
いまのメレディスの姿を見て、王子に招かれただけの単なる画家だと気付く者はいないだろう。貴族ばかりの集まりの中にいても違和感がないほど、メレディスはこの場に馴染んでいる。
辺りが騒がしくなり、マリアは誰がやって来たのか察した。
エンジェリク王だ。
フォレスター宰相を供につけている。恐らくは、宰相がさりげなくここへ来ることを勧めてきたのだろう。
司法官は、かつての宰相の役職だったこともあり、そのほとんどが宰相の部下や友人――主席判事の座も、自身の身内で固めたいはずだ。
王は、真っ直ぐにヒューバート王子のもとへやって来た。
「ヒューバート王子。そなたも来ておったか」
王子は王に対して頭を下げる。それきり会話がなくなってしまい、何とも気まずい空気が流れる。
宰相も、警視総監も、お得意のポーカーフェイスを貫いて平然とそれを見ていたが。
付き合い始めたばかりのカップルか、とマリアは心の中で一人呟いた。仕方なく、マリアが話題を提供する。
「殿下、噴水を熱心にご覧になっていたようですが」
「うん。そこに浮いているものが気になって」
ヒューバート王子は噴水を指す。水面には、オレンジ色の丸い物体がぷかぷかと浮いていた。
オレンジか、と王が呟く。
「……奇妙だな。この近くに、オレンジの木はなかったはずだが」
王子の指摘するものを眺めていた王に、レミントン侯爵が声をかけてきた。
「楽しい語らいの一時に水を差す無粋さを、どうかお許し願いたい」
愛想の良い笑顔と軽快な口調で話す侯爵は、話術と言うものをよく心得ている。王と王子の会話に割って入ったというのに、無礼さや不快さを感じさせない。
……どうしてこれだけ有能な伯父がいて、チャールズ王子はああも残念な方向に育っているのだろうか。
チャールズ王子が侯爵の処世術を身に着けていれば、マリアたちはもっと苦戦を強いられたというのに。
チャールズ王子の残念感に思いを馳せながらレミントン侯爵を見ていると、彼と目が合った。
マリアを見た侯爵はにっこりと笑うが、何やらその笑顔には含みがあって――誰かに似ているのだが、それが誰なのかは思い出せなかった。
「彼はトバイアス・ハイドンと申しまして、ハイドン伯爵の甥――そしてハイドン領では、地方判事を務めております。なかなか優秀な男でして。これまでは領の繁栄に尽くしておりましたが、見聞を広げるためにも、王都にてその務めを果たしてはどうかと私が連れて参りました」
侯爵が紹介する男は、青年……と言うにはいささか年を取りすぎているか。ドレイク卿よりは若そうだ。
だが貫禄はドレイク卿の足元にも及ばぬと言うのに、自信に満ち溢れた尊大な態度で胸を張っている。己の輝かしい未来を信じて疑わないその姿には、いっそ感心してしまった。
「トバイアス殿、いま王と、噴水に浮かぶものについて話をしていた」
王がトバイアスに声をかけるよりも先に、ヒューバート王子が口を開く。
トバイアスは意を突かれたようにきょとんとして王子を見たが、レミントン侯爵は笑顔のまま動じなかった。
「あなたは、あれが何だと思う?」
対応を求めるような目でトバイアスは侯爵を見るが、侯爵は愛想のよい笑顔を浮かべるばかり。
仕方なく、トバイアスは自ら答えた。
「……オレンジでしょう」
「オレンジ。いくつ浮いている?」
「六つです」
なぜ、こんな下らないことに答えなくてはならないのか。
嘲笑するような声からは、そんなトバイアスの内心が聞こえるようだった。王子との意味のない会話より、自分は王に用があるというのに。
メレディスが控えめに手を振り、遠巻きに見ていたアルフレッド・マクファーレン伯爵がこちらにやって来る。
弟に会いに来たはずが、王子や王に囲まれているので声をかけるのをためらっていたらしい。
「ヒューバート殿下、彼が僕の兄のアルフレッドです。亡くなった父と同じく、判事をしております」
メレディスに紹介され、マクファーレン伯爵は王子に礼儀正しく挨拶した。
「マクファーレン伯。噴水に浮かぶあれは、何だと思う?」
ヒューバート王子は、アルフレッドにも同様の質問をする。
マクファーレン伯爵は、しばらくじっと、噴水に浮かぶオレンジを見つめた。
「ここからではよく分かりません。少し失礼致します」
トバイアス、そして王や王子を遠巻きに見ていた貴族たちが、ぎょっとした。
マクファーレン伯は濡れることも構わず噴水の中に足を踏み入れ、ザブザブと水音を立ててオレンジを拾いに行く。
噴水の水は膝までもなかったが、それでも気楽に足を踏み入れるような場所ではない。
オレンジを手に取ったマクファーレン伯はそれを見つめ、上着を脱いですべて拾い集め始めた。そしてヒューバート王子たちのもとに戻り、上着にまとめたオレンジを見せる。
それを見たトバイアスが、あっ、と声を上げた。
「オレンジは、半分に切られておりました」
丸いオレンジは綺麗に半分に切られており、切れた部分が見えないよう水面に浮かんでいた――あたかも六つ、あるかのように。
「噴水に浮いていたのは、半分に切られた三つのオレンジです」
「その通りだ」
マクファーレン伯の報告に、ヒューバート王子が微笑む。
「僕がそう見えるように放り込んだ。マクファーレン伯、あなたは本当に優秀な判事のようだ」
王子は王に振り返った。
「判事には、慎重かつ的確に物事を見抜く目が必要です。自ら確認を怠ることなく正確な判断を下すマクファーレン伯のような人材は、我が国にとって非常に有益な財産と言えましょう。そうは思いませんか、陛下」
王子の言葉を聞き、王はフッと笑った。
「マクファーレン伯よ、着替えて来るがよい。王子の余興に付き合わせてすまなかったな」
マクファーレン伯爵は頭を下げ、庭を出て行こうとした。
そんな彼に、王はさらに声をかける。
「明日、改めて余のもとに参れ」
観衆がざわつく。マリアもひそかにほくそ笑んだ。
王が直々にマクファーレン判事を呼び出す――その内容は誰もが予想できた。
これで決まりだ。主席判事の座は、アルフレッド・マクファーレン伯爵のものになった。
トバイアスは悔しさと怒りに顔を赤らめて憤然と立ち去って行くが、レミントン侯爵は涼しい顔で、笑みさえ浮かべていた。
「これはしてやられましたな。ヒューバート殿下。私は、なかなか面白い御方を敵に回したようだ」
侯爵のそれは明確な敵対宣言だが、あまりにも朗らかに言い切られて、ヒューバート王子すら戸惑っているようだった。
嘲笑めいていたが、王も笑っている。
「そう思うのなら、チャールズ王子の尻を叩いてやれ。少しばかり、甘やかしが過ぎるぞ」
「御意に。おっしゃるとおり、チャールズ殿下には、もう少し危機感というものを抱いていただく必要があるかもしれません」
もしかしたら、レミントン侯爵はチャールズ王子を王太子にすることに、さほどこだわりがないのかもしれない――マリアやヒューバート王子ほど、必死にはなっていないのかもしれない。
それが優位に立つ者の余裕なのか、別の思惑があってのことなのかは分からないが。
レミントン侯爵が立ち去り、王と王子の間にはまた微妙な空気が流れていた。
アルフレッド・マクファーレン伯爵が主席判事に選ばれるのを見届けた以上、マリアはもうここに用はないのだが……やっぱり、この二人のフォローもしていかないとダメだろうか。
「陛下、彼がメレディスです。先日お話した、絵描きの」
「マクファーレン伯の弟か。そなたの絵は余も目にしている。生憎と、余は芸術に疎いのだが……それでも素晴らしいものであると、素直に感じた」
「恐れ入ります」
王はちらりとヒューバート王子を見た。
……そこまで仲立ちしないとダメなのか。王の言葉に頭を下げたメレディスも、何やら察したように苦笑する。
「陛下、殿下。もしよろしければ、お二人の姿を私に描かせて頂けないでしょうか。王と王子――そのお姿を描ける。絵描きにとって、これ以上の栄誉はございません」
「余は構わぬ」
間髪入れずに王が答え、再びヒューバート王子を見る。
王の真意をマリアはわざとヒューバート王子には伝えていなかったので、ヒューバート王子は目を瞬かせ、困惑しながら王を見つめ返した。
「僕も構いませんが……」
ヒューバート王子の了承を聞き、マリアは心の中でホッと溜息をついた。
……マクファーレン伯を主席判事に推すよりも緊張する羽目になるとは思わなかった。
「ありがとう、メレディス。あとはあなたの腕に期待するわ」
「なんとか頑張ってみるよ」
メレディスにあとを任せ、マリアはようやくその場を立ち去ることにした。
大方の予想通り、翌日、高齢のグッドマン判事が引退し、その後任としてアルフレッド・マクファーレン伯爵が主席判事に選ばれたという報告が、マリアのもとにも届いたのだった。




