祝福 (1)
ようやく城から帰って来た。
しかし、マリアには最大のイベントが残っている。
――今日は、オフェリアの誕生日パーティーがあるのだ。
「お誕生日おめでとう、オフェリア。プレゼントはもう渡してしまったけれど、誕生日ケーキは気合いを入れて作ったわよ」
「ありがとう、お姉様」
最愛の妹へのケーキは、もちろんレシピ通りに作った真っ当なお菓子だ。
大好きな苺をふんだんに使ったケーキに、オフェリアが目を輝かせている。
オフェリアの誕生日は、とっくに過ぎていた。だがヒューバート王子やウォルトン団長がガードナー領での反乱を治めるための戦で忙しく、パーティーは延期となっていた。
オフェリア本人が、自粛すると提案したのだ。戦争へ赴く王子に余計な手間をかけさせたくないから、パーティーはやらないと。
パーティーをやらないなんていう選択肢はありえない。だがオフェリアの言い分はもっともだ。
だから延期とし、王子たちが祝いに来れる日を待って改めてパーティーを開いたのだった。
すでに屋敷へ来ていた伯爵、メレディスを始め、仕事を終えてからやって来たドレイク卿、自身の昇進祝いを切り上げて来たウォルトン団長は、オフェリアを祝ってくれていた。
特にドレイク卿は、ヒューバート王子を城から連れ出すという役目も担っていた。
「ユベル、来てくれてありがとう!ユベルも忙しいのに……ごめんね」
大好きなヒューバート王子が来てくれたのは嬉しいが、申し訳なさからオフェリアはちょっぴりしゅんとなっている。
美しい白金の髪を黒に染めて、お忍びでオルディス邸へやって来たヒューバート王子は、優しく微笑んで首を横に振った。
「大切なオフェリアの誕生日パーティーだ。僕のほうが、来れるように予定をずらしてもらった立場なんだから。気にしないで」
マクシミリアン・ガードナーの反乱を鎮めて以来、ヒューバート王子の存在は幽霊ではなくなっていた。
正式な王子として位置するようになったことで、改めて王族としての教育を受け、多くのことを学ぶ必要ができた。
人脈を作るためにも積極的に人が集まる場へ顔を出さなくてはならないし――オフェリアと会うどころか、花を手入れする時間すら取れないらしい。
離宮にある王子の花は、オフェリアやベルダが面倒を見に行ってはいるものの、王子ほどの腕がない人間では、徐々に元気を失っていっているそうだ。
「お花のこともごめんね。一所懸命お世話したんだけど、私じゃダメだったみたい」
「それも仕方がないことだよ。僕も、前ほど花の世話に時間をかけられなくなった。枯らせたくない大切な花は、ここに移してちゃんと世話をしてもらっているから……それでいいんだ。しばらくの間、僕の代わりに花たちを頼むよ」
「うん」
オフェリアが久しぶりに会えたヒューバート王子となるべく二人で過ごせるよう、マリアも計らった。
王子のことがすごく憎らしく感じたが、それがいまのオフェリアにとって一番の幸せなのだから仕方がない。今度、王子にこっそり最新作の手料理を食べさせて溜飲を下げておこう。
王子の従者をしているマルセルも同様の思いなのか、ヒューバート王子のそばを離れている――と思ったら違った。何やらベルダと密談をしていた。
「おまえ、僕の恋人になれ」
「冗談は髪型だけにして」
「断る前に僕の言い分を聞け。ジュリエット王女が、最近僕に言い寄ってきている」
「モテ自慢?その目障りな髪、全部剃り落とせばいいのに」
「僕はあの女が嫌いだ。邪魔なパトリシア王妃の娘で、当人もヒューバート殿下を見下すいけ好かない王女。おまえもあの女は嫌いだろう」
それは、まあ……。
容赦なく辛辣に言い返していたベルダが、言葉を濁す。
ジュリエット王女は、年も近く可憐な美少女のオフェリアを敵視している。オフェリアは王女に怯えて彼女を避けようとしているが、王女はオフェリアの姿を見つけると途端にすっ飛んで来て嫌味を言い捨てていた。
オフェリアのことが大好きなベルダが、王女に好意的な感情を抱くはずがない。
「袖にされた挙句、見下していた女の召使いと付き合ってると知った時、王女はどう反応すると思う?」
「あなたって最高だわ、ハニー」
完璧な棒読みのまま、ベルダはガシッとマルセルの手を握って言った。
理解してもらえて嬉しいよダーリン、とマルセルもにこりともせずに頷いた。
……二人がそれで納得しているのなら、マリアは彼らの交際に口出ししないでおこう。
「オルディス公爵、話がある。祝いの場でこのようなことを口にするのはいささか野暮とは思うが、あまり悠長にもしていられないことだ。許してほしい」
ドレイク卿が、マリアに声をかけてきた。
「マクシミリアン・ガードナーの反乱によって、軍部の大半が王妃派から離れた」
「王妃派も、もとはほとんどが中立派だった」
ウォルトン団長が続けた。
「近衛騎士隊長が王妃を支持するならば自分も、という言う人間が多かったのさ。そのガードナー伯を、他ならぬチャールズ王子が破滅させたんだ。いまの軍部は、王妃派に否定的な中立派がほとんどだ」
「それで王妃派も、新たな席を狙っている」
ドレイク卿が話す席が何か、マリアもピンと来た。司法官にひとつ、大きな空席ができている。
「主席判事の座ですね」
ジョージ・マクファーレン主席判事の急死により、現在はグッドマンという高齢の判事がその席を継いでいる。
グッドマンは宰相派にとっても王妃派にとっても毒にも薬にもならない男で――無害なことだけが唯一のとりえと言われるような、凡庸な傀儡であった。
そのグッドマンも、引退が近い。もともと、急な空席を埋めるための人事である。重要なのは、そのあとに誰が座るのかということ……。
「父は当然、自分の息がかかった人間にその席を座らせようと考えている。私もそれに反対するつもりはないが……せっかくの機会だ。公爵、貴女もその席に座らせたい人間について、考えてみてはどうだろうか」
主席判事の人事を、マリアが。
魅力的な提案だ。宰相の推薦がもらえて、なおかつマリアの味方になってくれそうな人物……。
考え込んでいたマリアは、ふと伯爵と目が合って彼を見つめる。
伯爵が、何か言いたげな、でもどこか気まずげな表情をしていた。そんな彼の姿を見るのは初めてで。
どうかしましたか、と首を傾げてマリアが尋ねる。
「……マリア、最近体調に異変は」
「絶好調――とは言い切りにくいですが。今日は城で色々と鬱陶しいことも多かったので、いささか疲れてはおります。そういう意味ではないのでしたら、元気ではございますが」
「そうか……」
歯切れが悪い。後ろに控えるノアも、何か言いたげな顔で伯爵をじとっと睨んでいた。
「何か、私に尋ねたいことでも」
「うむ……。その……マリア、妊娠していたりはしないか」
そばにいたドレイク卿もウォルトン団長も、目を丸くしてマリアを凝視した。だがそれ以上に驚愕したのはマリアだった。
――妊娠。
――マリアが。
……なぜそんな話に?
「そのような大事なこと、私、黙っていたりしませんわ。そもそも、伯爵や皆様の目を欺けることでもありません」
「そうだな……いくら何でも、誤魔化せるものではないな」
伯爵が納得したように頷く。どうやら伯爵が何かを誤解して、マリアが妊娠したのではないかと疑ったらしい。
なぜそんな誤解をしたのか。マリアがそれを問う前に、伯爵が次の質問をする。
「ナタリアに、その可能性はないだろうか」
マリアは目を見開き、デイビッド・リースと楽しげに話をするナタリアに向かって叫んだ。
「ナタリア、あなた妊娠したの!?妊娠するような心当たりがあるの!?」
酒を飲んでいたリースが、ぶっと吹き出す。ナタリアが悲鳴を上げ、一同の視線がそちらに集まった。
「何てことをおっしゃるんですか!私とデイビッド様は、そのような関係では……!」
「……ないの?待って、それもどうなの。だって、お付き合いを始めて一年は経ってるのよね、あなたたち……」
無責任な真似は困るが、年頃の男女がいまだに清らかな関係というのも……。ヒューバート王子のように、異性と迂闊な関係を持つのは危険な立場にある人間なら分からなくもないが。
「私は、別に……」
顔を真っ赤にして首を振るナタリアに、私はそれではいけないと思っています、と酒にむせて咳き込みながらもリースが言った。
「ナ、ナタリアさん……もしかしたら、こんな場で言うのは非常識なのかもしれませんが……でも、はっきりさせてしまいたいんです!嫌なら遠慮なくおっしゃってください!」
リースがナタリアの前に跪き、ポケットから小さな箱を取り出す。ずっとリースが持っていたことが明らかに分かるぐらい、くしゃくしゃになった箱――中には、銀色のリングが入っている。
三連になった小さなダイヤモンドの装飾が施された指輪。
ナタリアは口元を押さえ、目を見開いて息を呑んだ。
「私と結婚してください!」
リースの言葉に、オフェリアがきゃーっと歓声を上げる。まだ静かに見守ってあげなくちゃ、とヒューバート王子が興奮するオフェリアを優しくなだめた。
ベルダが「イエスです!イエスって言うんですよ、ナタリア様!」と身を乗り出さんばかりに唸るのを、マルセルが止めている。
主従揃ってなかなか良いコンビだ。
「ナタリア、自分の気持ちに素直になりなさい。勇気を振り絞ったリースさんを、私たちを理由にして適当にあしらうのは許さないわよ」
マリアが微笑んで言えば、ナタリアは目を潤ませる。
はい、と頷く声は震えていた。
きゃーっと今度こそオフェリアが歓声を上げて喜び、周囲もおめでとう、と声をかける。
「よかったわね、ナタリア。私もとても幸せよ――ところで伯爵。どうしてナタリアや私が妊娠したと勘違いなさったのです?」
ナタリアを祝福しつつも、騒ぎの発端となった伯爵の誤解についてマリアは言及した。
最初から本人に直接聞くべきだったんですよ、とノアが厳しく言う。
「メレディス君が最近、ベビー用品を購入している姿が目撃されまして。それでマリア様が妊娠なさったか、身近な誰かに贈ろうとしているのではないかと」
「ああ、それで」
ノアの説明を聞き、マリアも頷いた。
デイビッド・リースはメレディスの上司だ。プライベートな相談にも時々乗っていたようだし、もしやリースがナタリアを妊娠させたのではないかと疑っていたわけか。
「そんな誤解が生まれてたんですね。あれは、義姉に贈るために買ってたんです」
メレディスが笑って答えた。
「結婚してもなかなか子どもができなくて悩んでいたので、義姉がこれ以上のプレッシャーを感じないよう、無事生まれるまで妊娠を公にしないって兄から言われてたんです。それで兄夫婦に子ができたことは、僕も秘密にしていて……。すみません、伯爵。おかしな勘違いをさせてしまったみたいで」
「いや、早合点した私にも落ち度がある。デリケートな問題だ。他人が興味本位で首を突っ込んで良いことではなかったな。私のほうこそすまなかった」
メレディスにはアルフレッドという兄がおり、結婚している。彼にも彼の妻にも、マリアは以前世話になった。
いまはまだ素知らぬふりをして、無事に子供が生まれたら自分も祝いを届けるようにしよう――マリアはそう思った。




