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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部03 離反者
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エンジェリクの王族 (4)


何やら意を決した様子でモニカは自分を睨んでくるが、マリアがそれに応じる義理はない。そのまま無視して彼女の前を通り過ぎようとしたマリアを、モニカが呼び止めた。


「待ってください!私に謝るとか、しないんですか!?」

「謝る。何を?」


マリアは目を丸くし、きょとんとした表情でモニカに振り返る。

男爵令嬢でしかない彼女がマリアに声をかけるのも無礼なのだが、それ以上に、公爵の自分に謝罪を要求することにも嘲笑するしかない。


平民出身で、男爵家に引き取られたのは最近だそうだから、きっと貴族社会の理不尽な仕組みに対して無知なだけだろうが。


「酷いことしました!私にわざとお酒をかけて、ドレスを台無しにして、笑い者にして!」

「心外ね。親切のつもりで、あなたを笑い者で済ませてあげたのに」


必死に怒るモニカを、マリアはせせら笑う。


「王国騎士団の奥様達が集まる場で、王国騎士を侮辱して。特に、彼女たちの夫は戦から帰って来たばかりなのよ。あなた、夫が無事に帰ってきて安堵している女性たちの神経を逆なでして――あのままだと、殺されていたかもしれないのに」


モニカが黙り込んだ。

自分が危ういことをしていたことに、ようやく思い至ったらしい。己を振り返ることができるのなら、チャールズ王子よりはマシだろうか。

もしかしたら、チャールズ王子が彼女をしっかりと教え導くことができる人間であれば、モニカもそれなりにまともな令嬢になれるのかも……。


なるほど、とマリアは内心思った。

なんとなく彼女の姿に見覚えがあると感じていたのだが、その正体がようやく分かった。


――オフェリアだ。

感情に素直で、貴族社会の理不尽な仕組みを理解できなくて、危なっかしい妹。

マリアとヒューバート王子が、オフェリアを守るためにフォローしているから事なきを得ているが、モニカは周りが助けようとしないから……。


「そ……それでも!わざとドレスを駄目にするのは良くないことです!それに私が悪かったのなら、はっきり口で言えばいいじゃないですか!あんな酷いことしなくても!」

「ドレスを弁償してほしいってことね。ならあとで、オルディス家に請求書でも届けておきなさい。きちんとお支払いするから」

「お金を払えばいいってことじゃないですよ!あれはチャールズ様から頂いた物なのに!そんなんだから、チャールズ様はあなたを嫌うんです!」

「別に好かれたいとも思わないから結構よ」


マリアは鋭く言った。モニカが怯み、再び黙り込む。


「婚約者がいながら他の女にドレスを贈るような男……あなたなら、そんな男に好かれたいと思う?」

「あっ……」


自分がまた失言してしまったことに気付き、モニカは青ざめて口を押さえた。

チャールズ王子が婚約者を差し置いて他の女に私的な贈り物をしたことを、自ら暴露してしまったのだ。マリアが王子を嫌う正当な理由を、彼女が作ってしまっている。


「そんな男に尽くし、好かれるよう努力したいと思うほど、私の矜持は低くないわ。あなたはもとは平民だったそうね。だから王子という肩書きさえあれば、魅力的に見えるのかもしれないけれど」

「そんな……そんな言い方酷い……!」


目尻に涙を浮かべ、モニカが言った。そんなことで涙が出るとは、どこまでもおめでたい少女だ。


「あなたって、本当に人の心を持たない冷たい女性なんですね。チャールズ様のことを見下して、拒絶して。そうやって自分から一人ぼっちになっていって、寂しくないんですか?たくさんの男性に囲まれていたって、そんなのあなたの身体が目当てなだけの、冷たい関係なのに」


そうなの?

――と、言わんばかりに、マリアは「たくさんの男性」の一人であるララに視線をやる。ララは何も言わず、必死な形相でブンブンと首を横に振った。

女同士の口論と思って黙って控えていたララだが、自分まで話題に引きずり込まれて迷惑そうだ。


「お止めなさい、モニカさん。オルディス公爵に謝罪すべきです」


自分たち以外誰もいないと思っていた廊下に、女性の声が響く。

城では、盛大なパーティーが二種類も開かれ、王妃のお茶会も行われ……客の貴族はもちろん、城の召使いたちすら、それらの対応に追われてほとんど姿が見えない。

だから、キャロラインの登場は意外だった。


「申し訳ありませんでした。どうか、彼女をお許しください。公爵の美しさと人望に嫉妬しているのです」


急いでモニカの隣に立ったキャロラインは、マリアに向かって頭を下げる。モニカは怒りに顔を赤くしていた。


「なんですかそれ……!たしかにこの人は美人だし、色んな男の人たちにかしずかれてるかもしれないけど、ちっとも羨ましくなんかありません!見た目は綺麗でも、意地悪で、ふしだらで……チャールズ様の言ってたように、本当に魔女みたいな人だわ!」

「お止めなさいと言ったでしょう」


キャロラインが焦ったように止める。怒りで暴走するモニカは止まらなかった。興奮のあまり、目尻にたまった涙がさらに大きくなっていく。


「止めません!本当のことを言って何が悪いの!」

「事実だとか、そうでないとか、そんな理屈が通じないこともあるのです。オルディス公爵は、あなたが盾突いて良い御方ではないのよ。例え全面的に相手が悪くても、自分が頭を下げてやり過ごさなくてはならない時もあって……」

「そんなの不平等だわ!身分がどうとか……悪いことは悪いって、例え誰が相手でも言うべきです!」

「それが通じない世界があるのです。ましてやあなたの場合、一方的に公爵を悪く言っているのですよ。とんでもないことだわ」


キャロラインはモニカが非常に危険な真似をしていることを止めたくて注意しているのだが、モニカには理不尽な叱責に感じられたらしい。

ついに、彼女は泣き出してしまった。


「キャロラインさんも酷い……!友達だと思ってたのに……。やっぱり、私がチャールズ様と親しくしてるから怒ってるのね。汚されてしまったドレスの代わりに貸してくれたのも地味なドレスで、もしかしたらわざと選んだのかもって、不安だったのに……。でも私、知らなかったのよ。キャロライン様がチャールズ様と婚約するはずだっただなんて……」

「私と殿下のことと、今回のことは何も関係ないはずです」


キャロラインが、羞恥に顔を赤くする。

すでにマリアも周知の事実とは言え、いまのチャールズ王子の婚約者の前で、キャロラインとチャールズ王子のかつての関係を他人のモニカが勝手にしゃべってしまうのはいかがなものか、とさすがのマリアも不愉快に感じた。キャロラインも人から指摘されたくはないことだろうし、マリアに対しても無神経だ。


モニカを見ていると、さほど親しくない人の前ではお喋りはしないように、とオフェリアに教え込んだ自分たちの父親の教育方針は賢明な判断だったと実感する。

あの教えがなければ、マリアも妹のお喋りを止めることに苦労させられたことだろう。


もっとも、妹オフェリアは心優しく素直で愛らしい性格なので、多少のおしゃべりも問題ないけれど――と、あとでマリアが言ったら、おまえは妹贔屓が過ぎる、とララに注意されてしまった。


「モニカさん……はっきり申し上げまして、私、あなたと真面目にお話しすることに疲れておりますの。私たちとは異なる価値観で育ってきたことは分かっておりましたから、その違いについて根気よく教え続けてきたつもりです。でもあなたは、私の話を聞くつもりなんかなかったのね……」


キャロラインが溜息をついた。

モニカがワッと泣き出すが、マリアもキャロラインも白けた顔でそれを見る。ララですら、もう放っておいて帰ろうぜ、と言いたげな顔をしている。


「そうやって都合が悪くなったら泣いて……。卑怯だと思わないのですか。あなたが泣けば、相手はもう何も言うことはできなくなってしまうのに。まるで私が悪役のよう……」


キャロラインの言葉を聞いているのかどうかも分からないほど泣きじゃくるモニカに、キャロラインは自嘲するような笑みを浮かべていた。


その光景は、気の毒な少女を彼女がいじめているような図に見えなくもない。少なくとも、チャールズ王子の目にはそのように映ったのだろう。


「キャロライン!おまえは……何をしているのだ!」


ウォルトン団長、フェザーストン隊長の昇進を祝うパーティー会場から出てきたらしいチャールズ王子が、怒鳴りながらキャロラインに近寄り、有無を言わさず彼女の頬を叩く。

叩かれたキャロラインはよろめいて倒れ込み、叩かれた頬を押さえ呆然とした表情で王子を見上げた。


「モニカ、大丈夫か。キャロライン、見損なったぞ!前からモニカに対して辛辣だと感じていたが、僕の見ていないところでこうやってモニカをいじめていたのだな!」

「いじめ……などと。殿下のお側にいたいのなら、彼女にもそれ相応の心構えをと……それを説いただけです……!」

「僕のそばにいるための心構え……?おまえは、何様になったつもりだ!」


キャロラインの反論は、チャールズ王子の怒りに火を点けた。

もともと短絡的で浅はかな王子だ。キャロラインを悪と決め付けた王子は、彼女の言葉をすべて悪いように受け取っている。

もう一度手を上げようとした王子の横腹を、マリアが蹴飛ばした。


ブーツを履いた足は凶器だ――そう聞いていたが、男装していたのでブーツを履いているマリアに蹴飛ばされた王子は、無様に吹っ飛んで行った。蹴られた横腹を押さえ、痛みに呻いていつもの威勢のいい文句も言えずにいる。

なかなかの威力だ。これからも、護身のためになるべくブーツを履くようにしよう。呆れるララを横目に、マリアは一人、心の中で頷いていた。


「何するんですか!?」


驚愕するモニカからは、涙も引っ込んでいた。


「身分がどうであれ、悪いことは悪いと言わなくちゃいけないんでしょう?女性を突然殴る男だなんて、悪いどころか危険じゃない。それに相応しい対処をしたまでよ」


悪びれることなくマリアは言った。

王子の親衛隊がマリアを捕えようとするが、ララがそれを押さえた。今回はララも武器を持っているし、スティーブ・ガードナーに比べればこんなへなちょこ共、ララの敵ではない。


「いや、それでもやり過ぎだろ……」


親衛隊の腕をねじり上げながら、ララが言った。


いままでの王子の言動には苛立ちが溜まっていたので、その鬱憤晴らしに利用した気はしなくもない。もちろん反省するつもりはないが。殴る口実を作ってしまったチャールズ王子が悪い。


「何の騒ぎだ」


そろそろパーティーもお開きとなる頃合いだったのだろう。宰相と数人の供をつけ、国王がやって来た。

ララ、ララに取り押さえられる親衛隊、マリアにモニカ、地面にうずくまったままのキャロライン、チャールズ王子――何が起きたのか、見ただけで把握できるようなものではない。


「この人が!チャールズ王子を蹴飛ばしたんです!」


モニカが素早く王に言いつけた。

王の供をしていた貴族たちが、この場で一番身分が低いであろう少女が真っ先に口を開いたことに眉をひそめていた。


「まことか、オルディス公爵」

「その通りですわ、陛下。チャールズ殿下がキャロライン様に暴行を働いておりましたので、思わず手が……もとい、足が出てしまいました」


貴族の中から、真っ青な顔をした男性が飛び出し、キャロラインに急いで駆け寄る。

キャロラインに良く似た髪色と顔……キャロラインの父、エヴェリー侯爵だ。彼も王に同行していたのか。


「大丈夫か、キャロライン。なぜそんな目に……」

「理由などありません。殿下は何も聞かず、キャロライン様のお姿を見るなり問答無用で殴り飛ばしましたもの」


マリアの説明に、違う!とチャールズ王子がまだ痛みに悶えながらも怒鳴った。


「違いませんわ。キャロライン様を問い詰めてはおりましたが、彼女が何か言う間も与えず手を上げたのは事実でしょう。私も、アップルトン男爵令嬢も、私の従者も殿下の親衛隊も、みな見ておりましたのよ――私の述べたこと、食い違う部分がございまして?」


問いかけるように目撃者に向かって言えば、全員が沈黙していた。マリアの話したこと、間違いなく偽りはない。


マリアの行いが正しかったかどうかの是非はさておき、王子が弁明する間も与えず一方的にキャロラインに手を上げたのは事実。蹴られて痛む横腹を押さえながらも、チャールズ王子さえ反論できずにいた。


「なんと情けない真似を……!エヴェリー候、王子が申し訳ないことをした。近衛隊よ、王子を捕え、しばらく謹慎させておけ」


王の命令を受け、近衛騎士が王子を捕える。

と言っても、相手は王子だ。本来の罪人にするものよりずっと丁重な扱いではあった。それでも、チャールズ王子にとっては屈辱極まりないものだろう。


王子に一発蹴りを見舞ってマリアもすっきりしたし、これ以上ここに留まる理由もない。立ち去ってしまおうとしたマリアの前にモニカが立ちはだかり、突然マリアの頬を叩いてきた。

本気の力で男から殴られたこともあったのだ。非力な少女のビンタなど大した痛みではなかったが、マリアは目を丸くして呆然とする。


「身分がどうとか、たしかに関係ありませんね!他の人に暴力をふるったことであなたがチャールズ様を蹴飛ばしたように、私も、あなたがチャールズ様に暴力をふるったことを理由に手を上げます!」


いささか誇らしげにモニカが言い切った。マリアは鼻で笑い、別に文句を言うつもりはないけど、と反論する。


「状況が先ほどまでと違っている、ということは考えて行動なさい」


たちまち近衛騎士が飛んで来て、モニカを取り押さえた。モニカが驚愕し、近づく騎士に抵抗する。


「どうして……!?だって、あの人も同じことしたのよ!」


やはり少女相手なのでその対応も丁重なものではあったが――チャールズ王子が怒りで顔を赤くして抗議し、王が不快そうに眉をひそめて一喝した。


「いい加減にせぬか!余の前で何と言うふざけた真似を……。チャールズ王子、すでに公爵による制裁を受けておるから、謹慎などという軽い処罰で済んだことも分かっておらぬのか。近衛騎士よ、二人は別々に閉じ込めておけ!」


王の目の前で公爵に手を上げて、お咎めなしで済むわけがない。ましてや王は、チャールズ王子よりマリアのほうに思い入れがあるというのに。


恐らく、チャールズ王子はごく短い謹慎で罰を終えるだろう。王が言った通り、すでにマリアによって恥と罰を受けているのだから、重い処分が下されるはずもない。

浅はかで愚かであっても、王子なのだ。王子の身分にある人間が重罪に問われるのは国の恥になる。エヴェリー侯爵やキャロラインへの義理立ては、オルディス公爵による制裁で十分なはず。


モニカのほうは……マリアのさじ加減次第。だが重い罰は望まない。彼女はチャールズ王子の大いなる隙なのだから、これからも自由にその世間知らずぶりを披露して、王子を破滅させてほしいものだ。


「オルディス公、怪我の具合を確かめておこう。余について来るとよい」


舌打ちしたくなる気持ちを堪え、マリアはさりげなく宰相に視線をやる。宰相は、気をつけろと忠告したばかりだぞ、と言いたげな顔をしていた――完璧なポーカーフェイスだったが、なぜかその心情だけははっきりと読み取ることができた。


モニカのせいで、余計な事態に陥ってしまった。お返しに彼女の頬を引っ叩き返してやってもよかったかもしれない。彼女はすぐに近衛騎士に取り押さえられてしまったので、そのタイミングを失ってしまったが。


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