エンジェリクの王族 (2)
フェザーストン伯爵夫人や近衛騎士隊三番隊長ラドフォードを始め、会場の客たちはヒューバート王子の参加を歓迎してくれていた。
美しい王子は騎士の妻たちの憧れの君ともなり、自分の娘をアピールするどころか、自分自身をアピールする者までいた。
ヒューバート王子は恥をかかせることなく断るコツを心得ている――美しい王子がにっこりと微笑めば、たいていは満足する。どうしてもしつこいご婦人は、フェザーストン伯爵夫人が追い払っていた。
ヒューバート王子の売り込みは、なかなか好調のようだ。鳴り物入りで入隊することになったマルセルも、近衛騎士隊のメンバーから受け入れられたようだし――この結果に、マリアは満足していた。
マリアは、会場を退出するタイミングをうかがっていた。
この後、もう一件行くところがある。目立つことなく、フェザーストン伯爵夫人への礼節を欠かすことなく、どうやって出ていくか。
そんなことを考えていると、会場にチャールズ王子が入ってくるのが見えた。また女連れだ。
例の、男爵家に養女となった平民の少女。ややおめでたい頭をした彼女は、モニカという名前だったか。
「ラドフォード。お前たちもフェザーストン夫人の祝いに来ていたのか。僕も彼女を祝いに来てやったところだ。女のモニカには、こちらのパーティーのほうが相応しいと思ってな」
相変わらず、モニカは派手なだけでセンスのないドレスを着ている。もしやあのドレスは、チャールズ王子の選択だったりして……?
「お前も三番隊隊長に就任したらしいな。同じスティーブでも大違いというもの。父上の信頼厚いという理由でガードナーの推薦を信じたが、とんだ赤っ恥をかいた。お前を親衛隊に選んでおくべきだったな」
恐らく、チャールズ王子としては和やかな笑い話のつもりだったのだろう。ラドフォードや他の騎士たちが顔色を変えたことにも気付かず笑っている。
先ほどマルセルに詰め寄った騎士など、王子を殴ってしまうのではないかと思うほどきつく手を握りしめ、唇を噛んでいた。
「殿下。そちらの可愛らしいお嬢さんはどなたです。婚約者殿ではないようですが」
話題を変えつつ、フェザーストン伯爵夫人が皮肉を言った。
ただの嫌味ではなく、チャールズ王子の関心を自分に引きつけるためでもあったのだろう。
チャールズ王子がこれ以上恥知らずなことを口にして、騎士たちの神経を逆撫でする前に――こんな王子のために、騎士たちが不名誉なことをしでかしてしまわないよう。
「彼女はモニカ。もとは平民だが、なかなか面白い娘だぞ。城へ来たばかりで知り合いが少ない。フェザーストン伯爵夫人、彼女に色々と教えてやってくれ」
「まあ。お断りします」
笑顔のまま、間髪入れずに伯爵夫人がお断りする。
一瞬、何を言われたのか分からないといった表情で、チャールズ王子が目を瞬かせた。
「王子の浮気相手の世話するなんて、まっぴらです。私、オルディス公爵との友情は大切にしたいですし。それに妻という立場にある私に、浮気女と交流を持たせるなど……殿下、無神経にもほどがありますわ」
せせら笑う伯爵夫人に、モニカも唇を尖らせ、気分を害したようにチャールズ王子の腕を引っ張る。
「私も嫌です!この人の旦那さんって、もとは王国騎士団の人なんですよね?王国騎士団の人たちって、偉そうで、平民に威張り散らしてばかりなんで嫌いです!どうして近衛騎士隊という立派な騎士の人たちがいるのに、王国騎士団なんて別の騎士が存在するんですか?ふたつもいらないじゃないですか!」
客の半数が、彼女の言葉に憤慨していた。
王国騎士団の騎士の妻たちも、今回の祝いには参加している。夫や自分の身内を侮辱され、モニカを睨む。
周囲の冷たい空気にも気付かないチャールズ王子は、そうだな、とこともあろうに同意した。
「僕も前々から気になってはいた。王国騎士団など解散させ、その分の予算を近衛騎士隊に充てれば良いと。父上は節制を提唱するくせに、そういった無駄な出費をやめさせようとはしない。古くさい旧石器時代の制度を、改革するつもりがないのだ」
「いい加減にしないか」
ヒューバート王子が鋭く言った。
「王国騎士団の予算は近衛騎士隊の十分の一もない。給料に至っては桁が二つも違っている。それでも、国を守るため近衛騎士隊と共に従事してくれている彼らを、王子である君が侮辱するとはどういうことだ」
安易な反論を許さない貫禄を、ヒューバート王子はすでに持っていた。
チャールズ王子も感じたに違いない――自分を叱り飛ばす彼の姿は、エンジェリク国王と酷く似ている。
「王国騎士団は、平民を直に守る組織だ。たしかに、中にはその権威を笠に着て威張り散らしている者もいるだろう。だがその多くは命を賭け、国民を守ろうと必死に努力している。使命に命を賭けるあまり、民に厳しい行動を取ることもある。誤解されやすいからこそ、その主人である僕たちは彼らの見えぬ努力を認めて評価すべきだ。それなのに、その立場を自覚するどころか、同調して彼らを批判するなど――」
「ヒューバート殿下、チャールズ王子はそこまで考えていらっしゃらないのですわ。まだまだ子供ですもの。長い目で見て差し上げて」
怒りのあまり危ういことを口走りそうになったヒューバート王子を、マリアがやんわりと制した。
――君は王子失格だ。
そう言いたくなる気持ちはよく理解できる。
スティーブ・ガードナーの忠誠心を踏みにじって多くの近衛騎士を死なせたというのに、それを恥じるどころか、王国騎士団まで批判する始末。ヒューバート王子が自制心を失いそうになってしまうのも無理はない。
特にヒューバート王子は、愚かな弟王子の尻拭いをさせられたばかりなのだから。
「貴様、僕を嘲るか!」
「当然ではありませんか。このような公の場に婚約者の私を差し置いて愛人を連れ込み、私に恥を掻かせる殿下――どうして敬意を抱けると思うのです?殿下も、私からの信頼や愛情など必要としていらっしゃらないのでしょう。だからこその行動ですわよね?」
当たり前だ、と言わんばかりの口調で畳みかければ、チャールズ王子が悔しそうに黙りこむ。
チャールズ王子は、マリアの好意なんか必要としない――と、言い張るしかない。
反発している父から押し付けられた婚約者。淫蕩で生意気な女。そんな女から好かれたいと思うはずがない、と断言したいはずだ。
「モニカは愛人などではない!僕と彼女はそのようなけがらわしい関係ではないのだ!おまえのような女と一緒にするな!」
「大きな声を出さないでくださいませ。今日はフェザーストン伯爵夫人を祝うめでたい場だと言うのに。どうやら殿下は引き際というものをご理解できないようですから、この場を立ち去る口実を差し上げます」
祝いの酒が入った杯を手に取り、マリアは容赦なくそれをモニカにぶちまける。
モニカが悲鳴を上げ、チャールズ王子が青白い顔で彼女を抱きしめた。
「なんて暴力的な女だ!」
「この程度のことで大げさな。怒っていないで、見苦しいその女をさっさと私の手の届かないところへやってはいかがです。長居されるのでしたら、今度はそのドレスを引き裂いてしまいますよ」
「この……!父上に言いつけてやるからな!」
「どうぞ、ご自由に」
マリアは余裕たっぷりに微笑み、悔しそうにモニカを連れて出ていくチャールズ王子を見送る。
エンジェリク王に言いつけられたところで、どうということもあるまい。
なぜ自分がチャールズ王子を追い払おうとしたのか、逆にマリアから王に言いつけてやればいいのだから。
「マリア、すまなかった。僕が不甲斐ないばかりに、汚れ役をやらせてしまって」
なにも、マリアの言動の弁明をやらなくてもいいのに。マリアは苦笑した。
チャールズ王子とモニカが長居すると、ヒューバート王子やラドフォードたち、祝いに来た客たちに不穏な空気が流れ、祝宴が台無しになってしまう。彼らには、早急に立ち去ってもらう必要があった。
追い払う役を、マリアが引き受けただけだ。
「ずるいわよ、マリアさん。あの頭も中身もない王子を、どうやって追い払ってやろうとあれこれ考えていたのに」
フェザーストン伯爵夫人が、朗らかに笑いながら言った。周囲の客人たちも、彼女の冗談に反応するようにことさら明るく笑う。
みな不愉快な乱入者のことは忘れて、再び楽しいお祝いモードに戻ったようだ。
「ヒューバート殿下も、意外と煽り耐性がないのですね」
「面目ない。チャールズ王子があまりにも自覚がなさ過ぎて……。向いていないと聞いてはいたが、あそこまでだとは思わなかった」
賑やかな場に、次の客が……いや、客ではない。マリアの待ち合わせの相手が迎えに来ている。
――ペンバートン公爵夫人だ。
マリアは急いで彼女のそばに近づく。
「すみません。わざわざ出迎えて頂いて」
「いいのよ。おかげで面白いものが見れたわ。あの派手なばかりで下品なドレス……パトリシアのセンスは相変わらずね」
どうやらペンバートン公爵夫人は、マリアとチャールズ王子、モニカのいざこざを目撃していたらしい。
「助け船を出したかったのだけれど、私が来るとチャールズが過剰に反応するの。先王陛下よりもいまの王の肩を持つ私が気に入らないみたいで……。先王陛下は確かに大きな男ではあったけれど、そばにいた者にはその粗も見えていたというのに」
そう言って、公爵夫人は溜息をつく。
フェザーストン伯爵夫人が近付き、頭を下げて挨拶をした。
「ご機嫌よう、スザンナ。楽しいところをごめんなさいね。オルディス公爵にエスコート役をしていただく約束をしていたもので。彼女をお借りしていくわ」
「いいえ、どうかお気になさらず。オルディス公爵と一緒だと、退屈する暇がありませんもの。なかなか愉快な御方で――そんな人気者を、独り占めするわけには参りませんね」
遠回しに退出を許可してくれる伯爵夫人に頭を下げ、マリアはペンバートン公爵夫人と共に会場を出た。
今日は、ペンバートン公爵夫人に同伴する予定があったから男装をしていたのだ。
女性らしい格好をして女たちの敵意を買うよりも、こちらのほうが女性受けがいい。仲良くしたいわけではないが、最初から敵対するつもりで会いに行くのもどうかと思って……。
「さあ、覚悟はよろしいかしら」
「とうの昔にできております。本日はよろしくお願いいたします、ペンバートン公爵夫人」
公爵夫人と共に向かうは王妃のお茶会。
エンジェリク王の三番目の妻にして、チャールズ王子の実母。ヒューバート王子を王太子の座につけたいマリアの敵。
敵の実体を見てみないか――公爵夫人にそう誘われ、マリアは二つ返事で了承した。
宰相と長年対立し続けてきた王妃派の中心人物。今後、マリアが対立することになる相手だ。どんな女なのか、興味がないわけではなかった。




