エンジェリクの王族 (1)
丁寧に櫛で梳いたマリアの髪を、伯爵が大きな手で器用に編み込んでいた。
今日のマリアは、男装をしている。
男性から貰ったお下がりではなく、専用にあつらえさせたもの。形状こそ男物のそれだが、女性らしい身体の曲線はよく出ている。
それに合わせて、髪型はひとつにまとめたシンプルなものにしようと思っていたのだが、伯爵がそれではつまらないと言い、何やらこだわりだした。
丁寧に編み込まれた髪には、シンプルだが大粒な宝石が散りばめられた髪飾りがつけられ、揃いの耳飾りがマリアの耳元で輝く。この服も金がかかっているはずなのだが、その装飾具がいくらになるのか、計算したくもない。
「お金を遣いすぎではありませんか?」
「見てくれというのも重要だ。身に着ける人間が、その豪奢さにも負けぬ存在感を持っているのならなおのこと。今日は晴れの舞台なのだろう」
相変わらず、マリアを着飾らせることになると張り切る人だ。だが今日は、それに甘えさせてもらおう。
ララも、今日はいつも以上に着飾らせていた。伯爵が取り寄せてくれたチャコ帝国の上等な服――動きにくそうな大きな衣装なのに、ララはまったく服に着られていない。そういった服がよく似合っている。
今回はマリアもララに劣らず派手なので、着飾らされても抵抗がないようだ。
「また俺、派手な衣装着る羽目になったんだが」
「よくお似合いです」
ララの着替えを手伝っていたノアが頷いた。チャコ衣装の着方をノアに教えていたアレクも、似合ってる、と同調する。
マリア、ララが着替え終えると、オフェリアも二人を絶賛した。
「ユベルも伯爵が用意してくれた衣装を着てるんだよね。かっこいいんだろうなぁ。私も見てみたかった」
「メレディスが、きっと絵に描いて見せてくれるわよ。絶対描くって張り切っていたもの」
ヒューバート王子も、今日は彼のために用意した衣装を着ることになっている。
着替えを手伝うため、メレディスが彼の離宮を訪ねているはずだ。用意された衣装を見て、この姿の王子を必ず肖像画にすると豪語していた。
「さて。それじゃあ出陣と行きましょうか。今日は気合いがいりそうよ」
今日は、ヒューバート王子が正式に公の場に出る――王子も、王子の後見人となるマリアも、他の貴族たちを圧倒してやる必要があった。
謁見の間に諸侯たちが居並び、マリアもその中に混じっていた。男たちの中に並ぶ女性は他にもいる。ペンバートン公爵夫人――先王の友人でもあり、現国王も敬意を払う老婦人だ。年で足が弱い彼女には、椅子が用意されている。
大臣、宰相が入場し終えると、ヒューバート王子を連れたエンジェリク王が謁見の間に足を踏み入れた。ガーランド商会が用意した美しい衣装を着こなす王子は、その衣装も霞むほど美しく。諸侯たちも、その姿に感心している。
最後に謁見の間に入って来たのは、王国騎士団団長フェザーストン子爵、副団長ウォルトン侯爵だった。
騎士の二人が王の御前に跪くと、王の視線を受けて宰相が一歩進み出る。
「フェザーストン子爵、ウォルトン侯爵。先の反乱では大義であった。両名の功績を称えるとともに、近衛騎士隊及び王国騎士団の各司令官を選任する。まずは反乱鎮圧の功績により、パーシヴァル・フェザーストンに伯爵位を与えるものとする」
フェザーストン子爵が伯爵位へと格上げされることは、すでに内定が通達され各貴族たちも知っていた。子爵が伯爵となる――それが何を意味するか。そちらが重要だ。誰もが、宰相の次の言葉を待っていた。
「フェザーストン伯爵は近衛騎士隊隊長に異動。これに伴い、ライオネル・ウォルトン侯爵を王国騎士団団長に任命する」
やはり、という囁き声があちこちから聞こえてくる。
前任者のガードナー伯爵の実力や人望を考慮すれば、その後任はフェザーストン団長かウォルトン副団長のどちらかに違いない。そして近衛騎士隊隊長の座が空白のままフェザーストン子爵が伯爵となるのであれば、その後任は彼になるのでは。内定が出た時から、この噂話で持ちきりだった。
宰相が下がり、王が二人に声をかける。
「騎士隊、騎士団の再編成については隊長、団長に一任致す。フェザーストン伯爵、ウォルトン侯爵、今後も両名の働きに期待しておるぞ」
人事発表が終わると、軍部ではフェザーストン伯爵の騎士隊長就任、ウォルトン侯爵の団長就任を祝うパーティーが行われていた。
隊長と団長のいるパーティー会場とは別に、女性を中心とした華やかな会場もあった。
フェザーストン伯爵夫人への祝いだ。王国騎士の妻、近衛騎士の妻が集まっている。
マリアが出席するのは、フェザーストン伯爵夫人がいるほうのパーティーだ。伯爵夫人とは、以前から交流を持っていた。
「スザンナ様。このたびは、パーシヴァル様の隊長就任、おめでとうございます」
「ありがとう。実を言えば私も夫も、あまり喜んではいないの。近衛騎士に配属となれば、貴族のしがらみを避けられなくなってしまうわ。こうなると、オルディス公爵とはますます親しくさせて頂かなくてはならないわね」
悪戯っぽい笑顔で話す伯爵夫人に、マリアも笑い返す。
スザンナ・フェザーストンは、美女と絶賛されるほどの容貌ではないのに、人を惹きつける存在感のある女性だ。彼女の生き様が、その姿を輝かせているのだろう。
パーティー会場は、男性客の出入りが激しかった。近衛騎士隊の騎士も、新たな隊長と共に、その奥方に祝いの言葉を述べる必要がある。男性客の中にヒューバート王子が混ざれば、自然と注目が集まった。
「フェザーストン伯爵夫人、夫君の就任を僕からも祝わせてほしい。先の反乱、フェザーストン伯爵には大変世話になった」
「殿下からそのようなお言葉を頂けるなんて光栄ですわ。夫も、お若いながらに頼もしい殿下にいたく感激していたようで。将来が楽しみだとしきりに話しておりました」
王子と伯爵夫人に近付く男たちがいる――近衛騎士隊の制服を着た青年が複数。恐らくリーダー格と思われる青年が、王子に頭を下げた。
ヒューバート王子が彼を見ると、青年が口を開く。
「ヒューバート殿下、私はスティーブ・ラドフォードと申します。近衛騎士隊に所属し、此度の人事で三番隊隊長の任に就くこととあいなりました」
近衛騎士隊は十二の部隊に分けられている。
一番隊が近衛騎士隊隊長の部隊、二番隊が副隊長――現在、副隊長の席は空白のままなため、この三番隊の隊長が実質の副隊長格ということになっている。
王子は、ガードナー領で会ったね、と頷いた。
「件の反乱に際し、当時は団長であったフェザーストン殿に頼み込んで戦陣に加わらせて頂きました。殿下とは遠目で数回顔を合わせただけでしたが、覚えてくださっていたとは光栄です」
「初めての戦だ。そして僕たち王族が起こした争いでもあった。恐らく一生忘れられないだろう。共に戦った仲間のことも、敵として戦った相手の顔も」
ラドフォード三番隊長の後ろにいた青年たちが、動揺したような表情で互いを見ている。
ヒューバート王子の言葉は、王子に対して敵意を剥き出しにしていた彼らの心を動かしたらしい。儀礼的な態度で王子に接していたラドフォード三番隊長も、雰囲気が変わった。
「……そうおっしゃってくだされば、我らもいくぶんか慰められます。ガードナー隊長、ウィリアム副隊長は素晴らしい御方でした。我々の憧れの騎士で……。それにスティーブ・ガードナーも。あいつとは、名前が同じ、入隊時期も同じということで何かと反発し合い、切磋琢磨し合ってきました。実力も素質も十分だったのに、王子の親衛隊となったことで己の立場を見誤り、その剣を鈍らせることになってしまって……」
ラドフォードは言葉を切り、彼の後ろにいる騎士たちも沈痛な面持ちで黙り込む。会場にいる人間もお喋りをやめて、王子とラドフォードのやり取りを聞いていた。
「主人にも落ち度があった。僕も陛下もチャールズ王子も主人としての自覚と器に欠け、未熟だった。その未熟さでガードナー父子の忠誠に背いてしまったこと、言葉もない」
ヒューバート王子は静かで穏やかな口調だったが、この場にいた誰もがその声を聞いていたような気がする。
ラドフォードが、フッと笑った。
「……いえ。逆恨みであることも事実です。誰に強制されたわけでもなく、自分で選んだ道なのですから」
ラドフォードが、ヒューバート王子のうしろに控えるマルセルを見た。
マルセルは、近衛騎士隊の制服を着ている。
多くの欠員が出た騎士隊は、フェザーストン伯爵やウォルトン侯爵の推薦による補充がなされている。
身分や外国人であることを理由に、実力ある人間を除外している場合ではなくなってしまったのだ。
「マルセル殿、近衛騎士への入隊おめでとうございます。ウィリアム副隊長は隊員たちから慕われていました。ウィリアム殿の首を獲ったことで近衛騎士隊に選ばれたあなたに、反発する者は多いでしょう。かくいう私も、あなたに対してわだかまりがないわけではない。それでも、正々堂々の一騎討ちでウィリアム殿を打ち負かしたのは事実。あなたの実力はみな認めております」
「恐れ入ります。経緯を考えれば、歓迎される身ではないことは分かっていました。己の責務を全うし、推薦してくださった方々への期待に応えられるよう、努めて参ります」
ラドフォードは友好的な態度を示し、マルセルに手を差し出していた。マルセルもその手を握り返し、握手を交わす。
他の騎士たちも友好的な雰囲気であったが、一人だけ、険しい表情をしている青年がいる。その青年は一歩進み出て、マルセルに詰め寄った。
「あんたはフランシーヌ人だ。近衛騎士隊が外国と戦うことは本来の任務ではないが、それでも国を守るために戦陣に加わることはある。フランシーヌは昔からエンジェリクと対立してきた。もし祖国と戦うことになった時、あんたは本当に戦えるのか?」
その騎士に対して、マルセルは冷静だった。他の騎士たちが彼を諌めるぐらいで――青年の顔も真剣そのものだ。単なる嘲りからぶつけた疑問ではない。
「僕は確かに祖国を愛している。だがいまのフランシーヌは、愛する祖国を滅ぼした憎い敵でしかない。あの国への敵意は、あなたがたエンジェリク人にも劣っていないと断言してもいい。それに何より、僕の忠誠と剣はヒューバート王子に捧げている。殿下の敵ならば、肉親であっても討つ。その覚悟だ」
青年はなおも詰め寄ろうとしたが、他の騎士たちが、もういいだろうと声をかけて止めていた。青年も食い下がることを止め、彼に代わってラドフォードが言葉を引き継ぐ。
「すまなかった。君の忠誠を疑っているというより、確認しておきたかったんだ。友や家族を討つことになるかもしれない――近衛騎士隊に入隊した時、その覚悟は決めていた。だがそれが現実になり……やはり辛かった。彼もあの反乱鎮圧に加わって、友だった敵を手にかけている。それで堪らなくなって……。もうあんなことにはなりたくない」
マルセルも重苦しい表情で頷いた。
彼も覚悟を決めて戦場に挑んだが、ウィリアム副隊長を討ったことは必ずしもマルセルの本意ではなかったはず。他に道がないからウィリアム副隊長の首を獲り、手柄にしただけ。
一連のやり取りを見ていたマリアも、騎士でありながら甘い彼らを嘲笑する気にはなれなかった。
やはりガードナー父子の死は、悲劇的なものであった……。




