番外編:ユリアの幸せ
番外編一本目。二本連続投稿しています
今日この時ほど、自分が生きていることを恥じたことはない。
彼が戦場で捕虜となり、馬や鎧、剣もすべて没収され、騎士として最大の屈辱を受けたからではない。
それは一時の恥で済むことだ。彼はいまだに騎士とは何たるかを厳密に理解していたわけではないし、没収された装備はまた買い直せばいい。捕虜になっても、今も五体満足で家路につけているのだ、むしろ上々なぐらいだろう。
そして今、市壁の門をくぐり抜ける彼は、粗末な衣服を着せ掛けられただけ。対外的には勝利でも、個人として捕虜にされ、敗北そのものの惨めな姿をさらしている。しばらく牢で暮らしていたから、顔も痩せこけ、髭も伸び放題、悪臭も漂っていた。
領地の人々を守るためにすべてを賭けて戦ったのだ。町の人々の視線は同情的なものも含んでいたが、それでも彼に向けられるものには冷たいものがある。特に今回は町に影響が及ばないところで起きた戦争だったから仕方がないと言えばそうなのだろう。総じて他人事なのだ。
彼は重い足を引きずりながら小さな庭のついた一軒家まで帰ってきた。ふた月ぶりであった。ノッカーを叩くにも勇気がいる。
その場でぼうっと彼は立ち尽くした。
家を出ていくとき、「戦利品もぶらさげて帰ってくるよ」と、言い残していた。
それがなんてざまだ。いくら戦闘が激しかったところとはいえ、部下を何人も死なせておきながら、その場の指揮官の言うままに降伏し、あまつさえ他に捕虜となった部下たちを差し置いて、自分だけ帰郷を許されてしまった。
捕虜の交換は等価交換が多く、トゥアー側の捕虜の方が人数は多かった。だからトゥアーの捕虜たちはまだ半分ぐらいは取り残されたままだ。向こうの環境は劣悪だったから、次に捕虜が交換されるときには半分ぐらいに減ってしまうかもしれない。
扉の向こうには彼の帰りを待つ妻がいた。一体どんな顔で彼女に会おうというのか。
彼女は夫をどのように迎えるのか。ただ喜んで迎えてくれるのか、それとも……。
幼い頃からの付き合いだが、彼女の考え方は結婚してからもよくわからないままだ。細かいことでよく揉めれば、互いの考えがまったく違うことも痛感させられている。
出征するときも、「戦利品を持って帰ってくる」と言った彼に、「戦利品なんていらない」ときっぱり言ってのけていた。戦利品があった方がもっと生活が楽になるだろうに、彼女は人からものを盗るということを極端に厭う。そもそも彼が人を傷つけるのも嫌っている節があり、彼の武具に血のりがついているのを見かけた時にはよく顔を歪めていたものだった。
……きっと彼女にとっては、自分と結婚しなかった方が幸せだった。
彼が戦争で人を殺めているのを間近に感じ取っているはずの彼女にはきついものがあるはずだ。
元々は彼が無理やり繋いだ縁だった。本当なら、彼女は誰とも結婚せず、俗世を離れて静かな修道生活を送っていたのかもしれない。けれど、彼がそこから連れ戻したのだ。
どうしても諦められなかったから。愛していたから。
彼の願いを聞き届けた彼女は、ヴェールを外して彼の妻となった。
コンラート、と以前よりも甘い声音で呼ばれた時、彼は幸せだった。
でも一方で、彼女にも捨てたものが確かにあって。……本当に愛しているのなら、ずっと遠くで見守っているだけでもよかったのではないか。そんな思いも頭をもたげてくる。
今も扉向こうの妻は、昔修道院で過ごした日々に戻りたいと願っているのかもしれない。彼女に不安ばかりを抱かせて、やむを得ないとはいえ、部下たちを置いて先に帰ってきてしまうような情けない彼なんて選ばなければよかった、と。
いつか本当にそう言われてしまうかもしれないが、結局彼はその時になっても彼女に惨めらしく取りすがるのだろう。初めて彼女に告白した時のように。引き留める手段など何も知らないから、彼は全身で体当たりをする。愛しているんだと、それだけを馬鹿みたいに繰り返して。
ぎい、と扉が開く。夕方から夜にかかる薄暗闇の中、立っていたのは妻ユリアだった。彼女は一瞬、夫の姿に目を見開くが、それでもにこりと笑って「おかえりなさい」と告げた。
「ユリア……。ただいま。すまん。帰るのが遅くなった」
「いいのよ。無事に帰ってきてくれてありがとう」
ユリアは両手を伸ばし、コンラートを抱きしめた。コンラートも強く抱きしめかえす。
しばらくそのまま抱き合ううちにコンラートの口から本音がこぼれる。
「ユリア……。俺と結婚して本当によかったと思っているか」
彼女はコンラートの肩口に顔を埋めていたが、少しだけコンラートの顔を見るために上向く。その表情はまるで春の女神のように柔らかい。
「そうね。……大変だけれど、それは最初から覚悟していたから。人生はいつ何がどうなるかわからないわ。コンラートが病気になったり、怪我をしたり、戦死してしまったり。私のほうが先に死んでしまうかもしれない。でもね、それでもいい、と思ったの。生き辛い世の中だけれど、この一瞬を一緒にいられたら……それが私の幸せだわ」
それを教えてくれたのはコンラートよ。
ユリアはコンラートの頬に手を伸ばす。まるで息をするように口づける。
「いつも傍にいるわ」
そう囁いた彼女は、コンラートにとって聖女そのものだった。




