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さよならからはじまる恋。  作者: 川上桃園
さよならのつづきは。
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17

 騎士の職務と言えば、城への出仕が一番に挙げられる。街の北にある堅固な城はいつも騎士たちが伯家を守るために詰めている。だが、これは土地を持たない騎士たちに限る。


 土地を持つ騎士はほとんどが世襲騎士で、彼らは自分たちの騎士の城を構えて住んでいる。有事の際には駆けつけるというわけだ。


 だが、平民出身のコンラートのような騎士は別の役目も期待される。常備軍からの叩き上げということで、現場の指揮を任せられることが多い。治安維持にも駆り出されることもしょっちゅうだ。喧嘩の仲裁など日常茶飯事。立場が隊員から隊長になっただけで、やることは何も変わっていない。


 その日のコンラートは商人の家から銀食器を盗み、家人を刃物で脅して逃走しようとした強盗を捕縛して、役所に突き出そうと通りを歩いていたところだった。


 ふと道行く通行人がコンラートを指差して、あ、おめー、コンラートじゃねえか! と言ったのだ。


「おう、久しぶりだな!」


 コンラートも手を挙げて答える。


「あと少しで終わるから、ちょっと話そうぜ!」

「いいぞー。こっちも休憩だからな!」


 相手も肩に担いでいた木材をひょいと下ろして、にかっと笑った。


 仕事終わりの隊員たちに一杯分の酒代を渡して帰らせた後、コンラートは旧友の元へと戻った。途端に、ばしっと背中を叩かれる。


「何年振りだよ、コンラート! 俺たちのガキ大将が本当に『大将』になるとはな、まったく糞な世の中だぜ!」


 はっはっは、と大口を開けて満面の笑みを浮かべる旧友。


「お前の方はどうなんだよ? 年上の嫁さんもらって、ガキが三人いるんだろ?」

「へっへっへ。いいだろ? ちいっと年上だが、その分情が深くてな、ありゃあ、あれでありなんだよ。へっへっへ。ガキも可愛いもんだ。へっへっへ」

「にやけんなよ。気持ちわりい」

「近所で『逃げられ男』として有名なお前に対して、幸せのおすそ分けだぜ、このやろー」

「なんだよ、その『逃げられ男』っつーのは。……まさかユリアとのことか」

「当たり! いまだにあの辺りじゃ語り草だぜ? 無断で修道院に行っちまったユリアもユリアだが、あんなに好きだったのに逃げられたコンラートが情けないのを通り越して、笑えるっつうか……そういや、お前の嫁さんの話は聞かんが、どうよ?」


 ここで旧友がコンラートの様子を見て、まずった、と言いたげな顔になる。


「……今のところいねーけど。おい、シモン。お前、いい度胸してるな? 昔喧嘩で散々負かせたから、その腹いせか?」

「……すまん。だって、まさかまだ引きずっているとは思わなかったよ。とうに結婚しているものと……」


 そう言って、涙を拭く振りをしてみせるシモン。


「まだ乗り越えられていなかったんだな……強く生きろよ」


 コンラートは反射的に言いかえした。


「勝手に俺を情けない男にしてくれるなよ! 俺はもう昔の俺じゃないんだからな。そのうち美人な嫁さんを連れて、自慢しに行ってやる!」

「おうおう頑張れや。その方が、お前を捨てたユリアだって安心するだろうさ。むしろ、嫁になる女の方を心配するかもしれんがなあ」

「ふん、それはないだろ」

「えらい自信だなあ」

「嫁がユリアなら、何の問題もない」

「……えらい自信だなあ。なあ、頼むから嘘だと言ってくれ」


 シモンが半笑いのまま言った。


「俺の聞き間違いだとしたらいいんだが……ユリアってあのユリアだよな? 修道女になった。修道女を口説き落としてどうするよ?」


 想像した通りの反応をしたシモンに、コンラートは、いいんだよ、と真顔で告げた。


「俺が勝手に想っているだけなんだ。図々しいことも、罰当たりなことも知ってるさ。……でも、しょうがないだろ、ずっと忘れられなかったんだから。開き直って待つことにした。だから今も指一本触れられない清い付き合いだよ」


 馬鹿だなあ、とシモンが笑う。泣きそうな声だった。


「なんでそんなに馬鹿なんだよ、コンラート。ユリアは早々修道院から出ないだろ。修道女になったと聞いた時も、お前から逃げたユリアを責めるよりも納得してた。皆が皆だ。


……ユリアは俺たちの仲間の中でも一番変わってた。たった一度見ただけ、何が書かれているのかよくわかっていねえ『本』に熱中して、修道女になりたいと言った子は、今も昔も見たことがねえ。俺たちが虫で遊んでいたら真っ先に止めに入るし、人の怪我には人一倍敏感で、よく教会に行くほど信仰心もあっただろ。ユリアは俺たちのように地面に足をつけずに、ずっと遠くを見ている感じだった。


俺たちの仲間であって、俺たちの仲間じゃなかったんだ。ユリアはやめとけ。ユリアは修道女になるべくしてなったんだよ」


「知ってる。でも今さらだろ。まるで聖女さまのように万人に平等に愛を振りまいて、昔も今もこちらをちっとも見てくれねえ。昔は俺も意地になって接し方を間違えて、ユリアに嫌われたが、俺だって大人の男だ。口説き落とすのに一生かけるのも覚悟してる。どうせ、一世限りの平民騎士だからな、身軽この上ねえし」


 実際、今の彼は現状にとても満足していた。書字板に文字を刻みながら、覚える単語が増えていく楽しさとその場にゆったりと響くユリアの声。穏やかな時間。それは確かにユリアがコンラートだけを見ていてくれる時間だ。


「それに、昔より今の方がユリアを近く感じるんだ。こんな楽しいのに、誰がやめられるっつーの」

「お前ってやつは……変わんねえなあ」


 いつまで経っても懲りずにユリアが好きなところが、とはシモンも言わなかった。


「で、そういう気持ちを全部口に出して伝えたか?」


 コンラートはゆっくりと自分の言動を思いかえして、


「……あんまり伝わってないかもしんねーわ」


 がしがしと頭を掻く。言葉が空回りしている。そういう表現がぴったりくる。


「本当は優しくしてやりてーのに。なぜか上手くいかん。……何でだ?」

「馬鹿だからじゃねえか」

「ユリアに比べれば皆馬鹿に違いない。なるほど、俺は馬鹿だったわ。……で、どうすりゃいい? 教えろ」


 犬猫に対するように彼はシモンを手招いた。あのなあ、とシモンは呆れ顔である。


「そんなもん、自分でどうにかしろよ……気持ちわりいなぁ。とりあえずうちの嫁さんの場合、喧嘩しても謝りながら抱きしめてぶちゅっとかませば、大抵のことは許してくれるぞ?」


 あ、浮気以外はな、と付け加えるシモン。どうやら心底愉快な結婚生活を送っているらしい。


 コンラートは舌打ちした。結婚している旧友と、交際にすら至れない自分とは基準が違う。


「わかったわかった。俺もう行くよ。お前もそろそろ仕事に行け」

「あー。お前が聞いたからこっちも答えたっつーのに、扱いが雑すぎるぞ」

「ふん。騎士の言うことを聞け」

「こういう時に『騎士』を持ち出すなよな。そういうところがユリアに嫌われるんじゃねえの?」


 コンラートは唇を尖らせ、そうかい、とシモンに向き合った。腹いせに旧友に詰め寄った。


「お前、確か大工になったんだっけか。どこに行く」

「尋問かよ。やることが極端だな。あ、わかった。答える。えーと、今建てているのは、確か修道士の内縁の妻の家だったか……名前は忘れたけれど。修道院自体は有名なところだ。ヘドウィグ修道院。修道士は基本妻帯禁止だけれど……あそこはでかい規模のせいか、ああいう女遊びも派手なんだよなあ。今の院長はやり手だから基本金払いもいいし……」

「とんでもねえ破戒僧ばかりかよ。大変だな、お前も」


 仕事とはいえ、禁欲を誓っているはずの修道士の愛の巣を作るのだから、大工も因果な職業である。


「きれいごとだけじゃ生きていけねえもん」

「まったくだ」


 コンラートは深く頷きながら思いだす。どういう時だったか覚えていないが、コンラートはユリアに向かって、きれいごとだけじゃ誰もついてこれねえ、結局は何でも強い者が勝つんだ、と言ったことがある。


――だからと言って、そのきれいなことを捨ててしまっては、私たちは森の獣と何が違うって言うの? ねえ、お願いよ、コンラート。自分が強いからって弱い子には手を出さないのなら、他の命にも同じことをしてほしいの。


 その通りだな、とコンラートは心の中でユリアに同意する。


 きれいごとだけじゃ生きてはいけない。でも忘れてしまっては人が人でなくなるのだ。コンラートは戦場で何度もそういう光景を目にしてきたし、これからも目にするのだろう。自分のいるのはそういう血なまぐさい世界だ。だからこそ、きれいごとというものは尊い。あの時、コンラートは自分を止めたユリアを守りたいと思った。


 コンラートが徹底的にユリアに落とされたのは、この時だ。


 何に、とは言わないが。


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