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過去

 ――気が付いたとき、俺の手の中には全てがあった。


 権威よりも金がものをいうようになった時代。

 貴族も金貸しには頭が上がらない時勢に、それでも俺の家は運が良かったらしく、かつての領民たちを雇い入れての事業が上手くいっていて金には不自由しなかった。

 耐えがたい空腹なんぞ体験したことがないし、欲しいものは言えば何でも手に入った。


 そのままならさぞ我儘な子供に育ったのだろうが、転機はやんちゃ盛りの六歳のころ。

 騎士の家系であることを誇りに思っている爺様の願いで、次男坊で家業を継ぐ必要もなかった俺は、将来軍に入るために時代錯誤な騎士修行の場へと叩き込まれた。


 子供相手だからと言って容赦ない、中々に厳しい環境ではあったが、またしても俺は「持って」いた。

 体の成長は同年代の連中より遥かに早く、力や足の速さも一番で、他の奴らが反吐をはきそうになっていてもけろっとしながら騎士修行をこなした。


 それでも増長しなかったのは、生意気な貴族のガキどもを預けられた師匠が、それに怖気づくなんてことはなく容赦なくいたぶってくれたおかげだろう。

 当時はなんだあの爺はと思っていたが、今では少し感謝している。ほんの少しだが。


 そうやって俺は順調に成長していき、幹部候補を育成する軍学校へと入り、そこでも座学はともかく実技ではトップを独走し続けた。

 将来は国中に名の知られる軍人となる。

 そう俺が言っても誰も馬鹿にせず、むしろ満場一致で肯定されるくらい俺は優秀だった。


 だがそれはたった一晩で崩れ去った。


 つまらない。本当によくある訓練中の事故だ。

 そこで俺は足を負傷し、そして医者に二度と元には戻らないと告げられた。


 血の気が引くという体験を初めてした。

 目の前が揺れる水面に映った景色みたいに揺れて、医者がまだ何か言ってるのにろくに聞き取れなかった。

 後になってどうやら「日常生活は問題ない」と言われのだと気付いたが、そんなものは何の慰めにもならなかった。


 俺は走れなくなった。

 歩くのすら気合を入れなければ無意識に足を引きずってしまう有様で、誰の目から見たってもう軍に残るのは不可能だった。


 それだけだ。

 それだけで俺は全てを失った。


 今まで俺を誉めそやしていた軍学校の連中は蔑み、嘲笑するような目で退学する俺を見送った。

 それ以上にきつかったのは爺様の罵倒だ。

 自分の孫が軍学校を中退したのが余程悔しかったのか、顔をあわせるなり「出来損ない」だの「期待外れ」だのまくしたてた。


 後になって冷静になったのか謝ってきたが、既にデリケートな俺の心はズタズタだ。

 相手は老い先短いからと無理に笑って許してみせたが、今でも胸にしこりは残っている。

 家族でも、いや家族だからこそ言っちゃならないことだってあるだろう。


 幸いだったのは他の家族は受け入れてくれたことと、昔からの腐れ縁の幼馴染は俺を慰めてくれたことだろうか。

 普段は気が強いあいつがしおらしく俺の世話をやいてくれるなど、後にも先にもあの時だけだったに違いない。


 その後俺はどうするか考えた末に、何故だか勉強を本気でやってみたくなった。

 体が動かせないなら頭で。そんな単純な理由だったのだが、案外と両親と兄は応援してくれて引くに引けなくなった。


 話を聞きつけた幼馴染の兄が持ってきてくれた教材相手に四苦八苦。

 慣れない分野で頭を使うんで熱が出そうになったし、何度もやめようかと思った。

 おまけに軍学校時代の知り合いがわざわざ訪ねて来て、俺が勉強していると知ると笑うのだ。

 自分が足摺りなんぞと呼ばれていると知ったのもその時だ。


 それでも逃げなかったのは、もしかすれば軍学校でのことが無意識にトラウマになっていたのかもしれない。

 また見限られるかもしれない。見捨てられたくない。

 そんな後ろ向きな勇気に押されて俺は机に向かい続けた。


 そして勉強を見てくれていた幼馴染の兄にも太鼓判を押され、とうとう学院の入学試験を受けた。

 いつも通りにやれば問題ない。

 問題があるとすれば学院の校舎が予想以上に立派で、俺のポンコツな足では一々足止めをくらうほど段差や階段が多かったことだろうか。


 そんな時だ。

 あいつと出会ったのは。


「マクシミリアンといいます」


 歩くのに難儀していた俺を見て、肩を貸してくれた小さな紳士。

 俺の胸にも届かない背丈のくせに、躊躇うことなく俺の体を支えて見せた。


「俺はエーレンフリート。エーレンでいいぜ」

「では私もマックスと」


 マックスは俺よりずっと年下のくせに、誰よりも大人に見えた。

 軍人としての道を諦めて慣れない勉学に励む俺を見ても馬鹿にせず、むしろその努力と諦めない姿勢を褒めすらした。


 救われた気がした。

 今まで嘲笑われていた努力を、身内以外に初めて認められた。

 我ながらチョロいとは思うが、それだけ俺の周りには身内以外にろくな人間がいなかったってことだろう。


 だから俺もあいつの助けになってやろうと思った。

 あいつがどう思ってようが、俺にとっては初めて無条件に信頼できると思った友人だった。


 だけどまたしても、俺の大切なものは俺の手から零れ落ちていった。

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