彼は舞い戻る2
「ほう。足摺りエーレンじゃないか」
そう俺の名に余計なものを冠して呼ぶ小憎たらしい小僧。
その顔面に拳を叩きつけなかったのは、我ながら大した我慢強さだと思う。
「無様だな。軍学校で主席も狙えた貴様が、学院では落ちこぼれだと私の耳にも届いているぞ」
「そういうおまえは洟垂れだったか。軍学校どころかお子様向けの騎士修行ごっこで音を上げたおまえが、学院に入れるほどお勉強ができたとは驚きだ」
「黙れ! 貴様が言えたことか!」
俺の言葉に激高し、抜き身の剣を向けてくる「洟垂れ」。
煽ったのは俺だが、随分と余裕がないようだ。
そもそも顔に何となく見覚えはあっても名前を思い出せなかったので適当に洟垂れなどと呼んだのだが、訂正せずに怒るとはまさか当たりだったのだろうか。
ガキの時分とはいえ、俺自身はそんなあだ名で人を呼んだ覚えはないのだが。
「何をやっている! 状況が分かっているのか!」
「ッ……すまない」
しばし子供時代のことに思いを馳せていたのだが、どうやら仲間らしい男に叱責され顔を歪めながら謝罪する洟垂れ。
今の状況。
場所自体は俺が通っている学院の教場だが、今この場を支配するのはこの時間に講義をしているはずのキンキン声がかしましい女性講師ではない。
剣を持った男が二人。
予定の時間になってもやってこない講師の代わりのように乗り込んできて、まるでなっちゃいない手付きで学生たちを脅し、何やら仕分けを行っている。
何を企んでいるのかは知らないが、どうせろくなことじゃないだろう。
そもそも過去にあった虐殺事件の影響で、学院に武器を持ち込むことは禁止されている。
それを破っただけでも下手すりゃ一発で退学なのに、こんなことを仕出かして今後学院に……いやこの国に居られると思ってるのかこいつらは。
「チッ。貴様も一応は高貴なる者の端くれだ。そちらに並べ」
「へいへい。爵位なんぞとっくの昔に形骸化してるっつうのにご苦労なこって。まあ人質にするなら効果的だろうがよ」
「ふざけるな! 我々はそんな低俗な目的のために剣を取ったのではない!」
「はあ?」
貴族から領地が没収され国の直轄管理になったのは先代王の時代。
よって立つ地と経済基盤の大半を失った貴族の力は大幅に削ぎ落とされ、中には借金で首が回らずそこらの平民以下の暮らしに身をやつした家もあるくらいだ。
それでも今まで国を支えてきたのは事実だし、国に仕える役人や軍人は今も貴族が大半だ。
故にその子弟なら人質には有用だろうと思ったのだが、そんな予想に洟垂れは鼻息荒く抗議してくる。
じゃあ一体何が目的だ。
「それは……いやまだ早い。平民には用はない! さっさと失せろ!」
「きゃあっ!?」
そう言いながら剣を振り回し周囲を威嚇する洟垂れ。
可哀想にその切っ先を向けられた少女が、悲鳴を上げながら逃げていく。
うん。本当にお粗末だ。
何をするつもりかは知らないが、用がないとはいえ目撃者を逃がすなど、事態の発覚と鎮圧のための兵の到着を早めるだけだ。
そもそも学生全員の顔を覚えているわけでもないだろうに、自己申告以外でどうやって貴族とそれ以外を分けているのやら。
今残っている学生は五人ほどと、最初に教場に居た数に比べて少なすぎる。
間違いなくさっきのどさくさで逃げた貴族いるぞ。
「あの……私はどうすればいいのでしょうか?」
「何?」
先ほど逃げた少女とは違う、落ち着いた少女の声がして思わず洟垂れと一緒に振り返る。
「……あなたですかシスター」
そこに居たのは、黒い修道服に身を包んだ白い髪が印象的な少女だった。
洟垂れは知り合いのようだが、俺も噂くらいは聞いたことがある。
身分を問わず学生を受け入れる学院とはいえ、修道女が入学してきて、しかも修道服のまま通っているとくれば有名にならないはずがない。
髪どころか肌の色素も薄く儚げな容姿だが、目をひくのは右目。
オッドアイというやつだろうか。赤と青。左右で違う瞳の色。
全体的に落ち着いた色合いの中、右目の血のような赤色が浮いている。
なるほどこれは人目を引くだろう。
そして改めて顔を見てその整った人形のような顔に目を奪われる。
きっと彼女が修道女などという浮いた存在でなくても、話題になったし人気が集まったに違いない。
しかし……このシスターは何故逃げもせずにこの場に留まっているのか。
確かに聖職者は貴族でも平民でもないが、だからと言って馬鹿正直に自分の扱いなんぞ聞かず、さっさと逃げれば良かっただろうに。
「丁度いい。貴方にも是非来ていただきたい。こちらへ」
「分かりました」
先ほどまでの俺への態度は何だったのか。
分かりやすく態度を軟化させた洟垂れに言われて、そのシスターはこちらへとやってくる。
さてこれからどうなるのやら。
そんなことを考えていた俺の目に、信じられない光景が飛び込んでくる。
「がっ!? なにをぅごぉ!?」
「は?」
洟垂れのそばを通り過ぎようとしていたシスター。
そのシスターが洟垂れの顔面に掌底を叩き込んだと思ったら、奴が剣を構える暇も与えずその鳩尾を拳でぶん殴っていた。
「……なあ!?」
仲間の男が驚いている。
そりゃそうだろう。今の殴り方は素人のそれじゃない。体重の乗った見事な一撃だった。
現に洟垂れは崩れ落ち、自分の口から出たものに顔をつっこみピクリともしない。
完全に落ちてやがる。
「貴様何を!?」
そしてそんなことをすれば当然仲間の男が襲いかかってくる。
一方のやらかしたシスターに焦りはなく、眉も動かさず迎撃するつもりのようだが。
「……大人しくしとくつもりだったんだけどなあ」
別に傍観してもシスターの今の身のこなしからして大丈夫そうだが、元軍人志望としては女子供が襲われそうなのは見過ごせない。
何よりカッコ悪いだろ?
そう心の中で言い訳しながら洟垂れの持っていた剣を拾うと、仲間の男は俺の方が脅威だと認識したのか目標を変えて斬りかかってくる。
それを迎え撃つように剣を振り上げ――。
「甘い」
「なぁっ!?」
打ち合うと見せかけて、寸前で剣をひいて相手の攻撃をすかす。
するとやはりこいつも剣などろくに扱ったことがないらしく、勢い余って前のめりになりながら突っ込んでくる。
「ガッ!?」
あとは半歩ずれてそれをかわしながら無防備な首筋に一撃入れて終わりだ。
一応斬らずに殴っておいたが、まあそれで死んだら死んだで仕方ない。
剣持って暴れてたんだから、こいつらもその程度の覚悟はあるだろう。
「やった! 今の内だ!」
男二人が倒れたのを見て、残っていた学生たちが先を争うように教場から逃げていく。
オイオイ。礼を言えとは言わないがもう少し何かないのか。
俺はともかくシスターを置いていくとはそれでも男か。
「助けていただきありがとうございます」
「まあ必要なさそうだったけどなあ」
胸の前で両手を組んで頭を下げてくるシスターに何とも言えない気分になったが、近くで見ればその手が白い手袋に包まれているのに気付く。
なるほど。そうやって武術経験者特有の豆やら何やらできている手を隠していたと。
まあ修道院生活ならそれと関係なく肌も荒れていそうだが。
「では私はこれで」
「いや待て待て待て待て!? 何やらかすつもりだアンタ!?」
ぐっと握り拳を掲げてから背を向けて歩き出すシスターに、まさかこいつらの仲間全員殴り倒すつもりかと慌てて後を追う。
「ッ……」
しかし踏み出そうとした足は、上手く曲がらずたたらを踏みそうになった。
まったくこのポンコツは。
洟垂れの言っていた通り軍学校時代の知り合いの一部には足摺りなんぞと呼ばれているが、地団太踏むのすら一苦労なのが情けない。
「……膝ですね?」
「え? あ、ああ」
思い通りにならない足を睨んでいると、先ほど立ち去ろうとしていたはずのシスターが地面に膝をつき、俺の左膝に触れていた。
「――女神よ。憐れんでください。私たちの嘆きと悲しみを聞いてください」
そして俺の膝に触れたまま、もう片方の手を胸にあてながら祈り始める。
「――その御手で傷を包んで下さい。打ちのめされた彼らを癒して下さい」
「は……ええ!?」
そして祈りの言葉が終わるや否や、シスターの手から淡い光が放たれ俺の体を包み込んでいく。
すると今までまるでいう事をきかなかった膝に力が入り、火にでもあたっているみたいに熱くなっていく。
「アンタ白魔術が使えるのか?」
「はい。やぶ医者にあたりましたね。魔術でなくても、適切な治療を受けてリハビリをしていれば治る症状ですよこれは」
「はあ!?」
シスターの言葉に思わず声が漏れた。
適切な治療をすれば治っていた?
何だそれは。この膝の原因になった怪我をしたのはもう三年も前の話だぞ。
そのせいで俺は軍人になるのを諦めたっていうのに、この三年間は何だったというのか。
「終わりました。完全に治癒するには継続的な治療が必要ですが、私の魔力が残っている間は以前のように動かせるはずです」
「あー……本当だ。ありがとな」
そう何とか礼は言ったが、今の俺の心境は何とも複雑だ。
とはいえ実際に左足を持ち上げてみれば、今まで他人の物みたいだったそれはすんなり動いてくれる。
たったそれだけで沈んでいた気持ちが浮かんで高揚するんだから、我ながら現金なもんだ。
もっとも、だからといって今更軍学校に戻る気にもなれないが。
「では。私はこれで」
「だから待てっての! 何やらかすつもりだアンタ!?」
「私は彼らの正体と目的におおよそ見当がついていますので。首謀者に用があります」
「だからってアンタ一人で……」
さっきの身のこなしを見るに腕に覚えはあるのだろう。
しかしそこで倒れてる野郎どもとは違って、俺のように本格的に戦いを学んだ人間が混じっていてもおかしくない。
そうでなくても相手が十や二十になれば多少の実力差なんぞ関係ない。
ぶん殴られるの覚悟で一斉に襲いかかり、誰か一人シスターの足にでも組みつけば後はやりたい放題だろう。
そしてそんな未来が予想できるのに、自分には関係ないからと見過ごせるほど俺は要領が良くない。
「……さっき継続的に治療すれば俺の足は完治するって言ってたよな」
「はい。ちゃんと症状を理解していればという注釈がつきますが」
「だったら、俺の膝の治療を今後も請け負ってくれないか。代わりに俺はアンタの目的に付き合う」
「……」
俺の言葉に無言で考える素振りを見せるシスターだが、その顔にはこっちが驚くくらい動揺や悩みが見えない。
まさか俺が協力を申し出るのを分かってて治療したんじゃないだろうな。
「いいのですか? 私は肝心なことをお話していないのに」
「いいんだよ。理由はどうあれ少なくとも騒ぎ起こしてる連中を止めるつもりなんだろ。俺はエーレンフリート。長いからエーレンとでも呼んでくれ」
「エーレンさん。私はマキシーネと申します」
――と申します
その名を聞いて、脳裏に一人の少年の影がよぎった。
「皆にはマキと呼ばれています」
「へえ。マキね。なるほど。俺も『その方が呼びやすい』」
「? では行きましょうか。お話は移動しながら」
「なるべく詳しくお願いしたいね」
俺の言い方に違和感を覚えたのだろう。不思議そうに首を傾げつつも歩き始めるシスターマキシーネ。
そりゃそうだ。この子は普通に名乗っただけで、俺が勝手に狼狽えてるだけだ。
「……代償のつもりか?」
シスターに聞こえないよう、口の中に押し込めるように呟く。
なんてことはない。とっくに忘れたはずの古傷を思い出しただけだ。
三年前。
軍人になる夢を諦め別の生き方を模索していたころ。
出来のよろしくない頭を酷使し、この学院を受験した俺を笑わず受け入れてくれた、小さな友人のことを。




