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三年前の彼は1

 ――人より頭が良いという自覚はあった。


「また写本をしているの? マックス」

「……ユリア?」


 窓にかかった白いカーテンから零れ落ちる光と、かすかに感じるそよ風が心地良い昼下がり。

 不意に声をかけられ顔を上げれば、金色の髪を後頭部で編み込んだ少女がいつの間にかテーブルの対面の椅子に腰かけていた。

 私と目が合い名を呼ばれるなり、花開くように笑みを浮かべるその姿は愛らしい。


「工房の方から頼まれたんだ。最近は本を求める人が多いから、注文が多くててんてこ舞いらしい」

「あら。わざわざ頼まれるなんて、マックスは本当に凄いわね。それだけ信用されているって事でしょう」

「単に猫の手も借りたいだけだと思うよ」


 そう謙遜するけれど、ユリアは凄い凄いと我が事のように喜ぶものだから、なんだかこそばゆい。


 彼女。ユリアーネは私の幼馴染であり、許嫁でもある。

 もっとも政略結婚だなんて大袈裟なものではなく、単に親同士の仲が良く、私たち自身も相性が良かったというだけの話。


 この国では先代の王の時代に貴族たちの領地は没収され、爵位も形骸化して久しい。

 それなりに野心がある元上位貴族ならまだしも、私たちの家のような元下級貴族は領地を失い日々の糧を得るのにも苦労している有様で、とても政治闘争にあけくれる余裕などない。

 私がやっている写本も、少しでも家計の足しになればと始めたものでもある。


「でももうすぐ学院の入学試験が始まるのでしょう。大丈夫なの?」

「さあ? 試験内容は毎回変わるし、受けてみない事には何とも言えないよ。それに私の年齢で受かる方がおかしいからね。様子見みたいなものだよ」


 私の齢は十二を迎えたばかり。一般的な学院の入学年齢は十五でも早いくらいなので、ひやかしととられてもおかしくないし、実際ひやかし半分だ。

 それに学院にはあるジンクスがあるため、十五より前に試験を受けるものは少ない。


 曰く、若くして学院に入ったものほど卒業率が低い。


 ジンクスとされてはいるが、実際の所それは事実でもある

 たまに神童だのなんだのと持て囃される人間が現れ意気揚々と学院へ入っても、その多くが単位不足で留年を繰り返し、そして最後には去っていくという。

 特に先ほど述べた十五歳以下の入学者がこのジンクスを破ったことはなく、名を気にするものほど一時的な名誉より安定をとって十五歳以降に入学試験を受けるとか。


 だが私は下級貴族であり気にする名などあってないようなものだし、どうせ受かるはずがないと思っての受験だ。

 まだ早すぎるかもしれないが、事前に試験の内容や雰囲気がどんなものなのか知りたいという意味もある。


「マックスなら合格できると思うのだけど」

「そんなに甘くないよ。それに私は本を読む量が多いだけで、誰かに師事して学問を修めたわけではないもの。まだまだ足りない事ばかりだ」


 そう私が言うと、ユリアは「そんなことない」と頬をリスのように膨らませて拗ねて見せる。


 それも仕方ない。

 狭い世界しか知らない彼女にとって、世界で一番賢いのは私であり、私が合格できないような試験なら誰も合格できないに違いないと思っているのだろう。

 その盲目的とも言える信頼が心地良く、同時に不安でもある。


 果たしてユリアが成長し、広い世界を認識して殻を破ったとき、私は彼女の唯一でいられるだろうか。

 私はこの無垢な少女が大人となったときも、変わらず彼女に愛される人間でいられるだろうか。


 そんな不確かな未来に覚えた不安も、彼女が作ったのだという焼き菓子を口につっこまれて霧散した。

 そう。きっとそんなことを考えるには早すぎる。私たちはまだ子供なのだから。



 ――人より頭が良いという自覚はあった。


 だけど私は無知で、世間知らずで、子供だった。

 同年代の子供よりも大人びているといっても所詮まだ親の庇護が必要な立場であり、世間に蔓延る不正や悪事、人の悪意など知りもしなかったのだ。


 この陽だまりのような場所が奪われるなんて、想像はしても現実になるとは思っていなかった。

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