3.1.命題の提示
前々章と前章において、火の魔術と水の魔術についての特徴が確認されました。
改めてここで繰り返せば、火の魔術とは「火の形状を帯びたオーラを駆使して、物が燃える可能性を操る超自然的な技術」のことであり、水の魔術とは「水の形状を帯びたオーラを駆使して、物から水分を引き出す超自然的な技術」のことと定義されました。
ここで一旦、個別具体的な魔術の考察から離れ、火の魔術と水の魔術の相互に共通する要素を考えてみましょう。
そうなると見逃せないのは、「いずれの魔術も、属性そのものの事物を操っているわけではなく、事物のように見えるオーラを操っている」という事実です。
例えば火の魔術について。これまでの考察に従えば、火の魔法使いは、属性そのものの事物(すなわち火そのもの)を操ってはいません。火の魔法使いの周りで燃え盛っているように“見える”しろものは、ただ魔術師が体から発しているオーラなのです。
このようなことから、次のことを仮説として設定できるのではないでしょうか。
仮説:すべての属性魔術は、オーラである。
もしこの仮説が正しいと導かれたのならば、属性魔術そのものについて、私たちはこれ以上あれこれと思い悩む必要がなくなります。
しかし、この仮説を証明することは難しいことです。むろんこれまでのように「火の魔術は~」、「水の魔術は~」など、個別具体的な魔術を考察して、帰納的にこの仮説を証明することはできます。
ですが、帰納的な証明方法を用いることはこの場合適切ではありません。なぜなら、この方法では「美の魔術」や「愛の魔術」、それに「光の魔術」といった抽象概念に由来する属性魔術が、既にある程度定義されていなくてはならなくなるからです。
そもそも「光の魔術は魔術として成立しうるのか?」などといった問いを解決するためにこれまでの考察を進めてきたわけですから、帰納的論法は本末転倒なものになってしまうのです。
ここまでを私が考えたのは2014年の11月まででした。私はこの問いに演繹的解答を与えるために、集合論のアプローチを少しばかり拝借したいと思います。アプローチにやや強引な側面もあるかもしれませんが、そこはご容赦ください。加えてこのテキストを読んでくださる稀有な読み手の方に、もし無限集合論のエキスパートがおられるのならば、私の用いている手法が正しいか否かの判定をしていただけると嬉しく思います。




