37.今後こそ、さようなら
放課後になる。
私はアルマに連れられ、彼の屋敷にやってきた。
案内されたのは彼の部屋だった。
「ここに来るのは久しぶりだよね?」
「……そうね」
私にとっては初めての場所だ。
けど、不思議と懐かしさを感じている。
きっとスレイヤが彼女だった頃、ここへ訪れたのでしょう。
「それで、どんな話を――」
不意打ちだった。
彼は私の後ろに立っていて、振り返ると同時に手を引き……。
唇を合わせた。
数秒、思考が固まる。
突き放すより先に、彼が私を押し倒す。
「……どういうつもり?」
「君が言ったんだよ? 自分を惚れさせてみせろって、だからこうしてる」
「……」
両手を抑えられ、ベッドに倒れた私に彼がかぶさる様に見下ろす。
体勢は不利だけど、押し返そうと思えば簡単だ。
私は彼を睨みながら言う。
「これで、私が喜ぶと思ってるの?」
「喜ばせるのが僕の役目だ。男女の関係なら、これも一つの方法だと思うよ。君を満足させてみせる」
「……満足?」
彼がこの後、何を考えているのかわかる。
ベッドに押し倒されているんだ。
この後の展開なんて一つしかない。
彼は真剣だ。
下心も感じさせず、私に迫る。
それがどうしようもなく……。
気持ち悪い。
今すぐ突き飛ばしたい。
勘違いしないでと言い放ちたい。
けど、これは正しい。
今の私はフレアの代わりだ。
彼女に代わって、アルマには私に夢中になってもらわないと困る。
だから意識させた。
このまま……彼が私を求めるなら、そのほうが好都合だ。
「スレイヤ」
顔が近づく。
そう、これが最善。
私がどう思おうと、目的を達するためには……。
――っ。
私は唇をかみしめた。
心の中で、私は暴れ出しそうな感情を発露する。
ああ、そうか。
「……やっぱり無理だわ」
「え……」
私の身体は正直に、彼のことを拒絶した。
彼の手を振りほどき、迫る彼の胸を押し戻す。
「スレイヤ?」
「ごめんなさい、やっぱりあなたとの再婚約なんて無理だわ」
「……まだ、一日だよ?」
「ええ、その条件もそうだけど……最初からやり直したい気持ちなんてなかったわ」
この作戦は失敗だ。
私は目的よりも自分の感情を優先してしまった。
それでも、不思議と気分は晴れやかだった。
どうしてだろう。
失敗してしまったのに、これでいいと思える自分がいる。
「やり直したいという言葉は……」
「嘘よ。その点は申し訳なかったと思っているわ。ごめんなさい」
私はアルマに謝罪する。
過去はともかく、今回のことは私が悪い。
最後まで演じきれなかった自分に非がある。
今までの行動も、彼が本気で私を惚れさせようとした結果だとわかっている。
それでも……。
「アルマ、私は……あなたのことが好きになれないわ」
それが答えだ。
私にだって好みはある。
大好きな物語、その登場人物たちでも、等しく大好きだったわけじゃない。
このキャラクターは好きだけど、こっちは好きになれない。
個人的な優劣が存在する。
こうして対面して、実際に触れ会って、その差は大きくなった。
元からあまり好きではなかった。
そして今は……。
「私はあなたが嫌いよ」
「――!」
嫌いになってしまった。
当事者だったからかな?
彼の作り笑顔も、態度も、言葉も……全てが気持ち悪い。
一度は目を逸らし、裏切った相手に向けるものじゃない。
その不気味さが気持ち悪くて、耐えられなかった。
だけどこれで……私はフレアの代役を永遠に務められなくなった。
この先どうするか、今は考えられない。
「――そうか。そうだと思ったよ」
「え?」
そんな私に、アルマは笑顔でそう言った。
不思議と、その笑顔に気持ち悪さは感じなかった。
彼は続ける。
「ずっと、君は僕と似ていると思っていたんだ」
「私と?」
「ああ」
彼は頷き、続ける。
「君も僕も、今いる場所に固執している。貴族としての地位を、立場を……大事にしている。守ろうとしている。そこが似ていた」
「……」
否定はしない。
私じゃなくて、スレイヤはそうだったから。
確かに、二人は似ていた。
「でも、突然君は変わった。貴族らしくない振る舞いを見せる様になった。僕との婚約破棄もそうだ。まるで別人みたいだと思ったよ」
「……そうでしょうね」
胸がざわつく。
その感覚は正しい。
私は……スレイヤじゃない。
「変わった君は、憑き物でもとれたみたいに自由に振舞っていた。幸せそうに見えた……それを見ていると、僕の心は締め付けられた。なんだか、否定されている気分だったんだ」
貴族としての自分を正しく見せ、守ろうとすることを。
それを何より正しいと思い、貫いてきたのが彼だ。
そしてスレイヤも……意図は違えど、貴族の令嬢として相応しくあった。
変わっていくスレイヤを目の当たりにして、彼は揺らいだ。
今いる場所が、本当に正しいのかと。
奇しくもその感覚は、彼がフレアと恋に落ちた時に直面した問題と似ていた。
「僕のことは嫌いか?」
「ええ、嫌いよ」
「そうか。ハッキリ言ってくれてよかった。なんだかスッキリしたよ」
そう言って彼は笑う。
まただ。
今のはきっと、作り笑いじゃない。
呆れた笑顔だったけど、本物だった。
彼が本心から笑うのは、フレアの前だけだった。
それがどうして……。
「僕も、今の自分が好きかと問われたら……微妙なところだな」
「……自分でも?」
「ああ。自信は持てない……から、たぶん間違っているんだ。今の僕の在り方は……」
「間違ってはいないでしょ?」
「それを君が言うのかい? 僕からすれば、今の君がいるからそう思えるんだよ」
別人のように変わった私を見て、アルマは思う。
「君が変われるなら僕も……自分っていうのも見直してみようかな」
「――!」
そう、願うように。
物語の最後に、フレアの前で彼が口にした言葉を。
「……ふふっ、いいと思うわよ。それも、あなたらしいわ」
「僕らしいか。初めて言われたよ」
「二度は言わないわ」
「わかっている。僕たちはこれでさよならだ」
「ええ、さよならよ」
私たちの物語はここまで。
続きも何もない。
あるとすれば、お互いに別々の道へ進む。
交わることはあっても、重なることはないだろう。






