25.今までありがとう
一瞬で場が凍り付く。
触れてはならない場所に触れた。
入るなと書かれた部屋に、土足で踏み入った感覚。
理解した上だ。
この質問が、彼にとってどういう意味を持つのか。
私がどう見られるのか。
「スレイヤ・レイバーン。今の質問に、どんな意図がある」
「意図はありません。ただ……興味です」
「貴様……私をからかっているのか?」
「そんなことはありません。純粋に知りたいだけです」
私の発言はインガ公爵を煽る。
どんどん嫌われる。
でも、これでいい。
絞り出すんだ。
彼の本音を……そのためなら、嫌われることに躊躇はない。
「インガ公爵は平民嫌いで有名ですよ。それはもう……嫌いという範疇を超えているとも聞きます。嫌いなのではなく、憎んでいるのではありませんか? 例えばそう、過去に何かあったとか」
「……何が言いたい? 何を知っている?」
「私は何も知りません。だから知りたい……と言っても、私よりも、彼のほうが知りたがっているはずです」
語りながら、私が視線を向けたのは……。
「違うかしら? ライオネス」
「――!」
私は彼の心の内を知っている。
反則みたいな方法だけど、知っている情報は上手く使わせてもらうわ。
「ふんっ、くだらんな。そんなこと決まっている。我らは誇り高き貴族だ。平民と貴族では生まれた時点で何もかも違う! 地位も権力も、将来も含めて……同じ人間として扱われることを不快に思って、何がおかしい?」
「おかしくはありません。ただ、あなたの敵意は普通じゃありません。今も……隠しきれていませんよ?」
私に対してではない。
気づいてからずっと、彼はフレアに対して敵意をむき出している。
敵意なんて生易しいものじゃない。
あれは殺意だ。
こうなることは理解した上で彼女を連れてきたけど、やっぱり心苦しさはある。
フレアは怖くて震えている。
「大丈夫です」
そう言って彼女は無理して笑う。
結論を急ごう。
「本当に貴族としてのプライドですか? 違うはずです。あなたは何かを隠している。息子であるライオネスにも伝えていないことを」
「貴様……何者だ? その口ぶりは、知っているのか?」
今の一言で、隠し事があるのは確定した。
ここまで来ればあとは単純だ。
「どうでしょう? ただ、憶測を語ってもいいのなら、私の口からお伝えしましょうか?」
「……」
インガ公爵は私のことを睨む。
私は目を逸らさない。
不敵に笑みを浮かべ、彼を脅すように見続ける。
そしてようやく……。
「はぁ、いいだろう」
彼が折れた。
ここから先は、ただの答え合わせだ。
私も聞く側に回る。
「ライオネス、お前の母は……平民に殺された」
「――なっ、父上……それは」
「事実だ。お前には事故と伝えていたが……真実は違う」
彼は語る。
インガの妻であり、ライオネスの母。
ミスティア・グレイツは優れた治癒魔法の使い手だった。
その力を買われ、各地の戦地へ赴き多くの人の命を救った。
彼女は誰よりも優しかった。
だからこそ、裏切られた。
王国に反旗を翻した平民の一群が壊滅し、生き残った者たちは降伏した。
そんな彼らを彼女は癒した。
間違いを正し、これからは正しく生きてほしいと。
しかし傷が癒えた途端彼らは暴れ出し、その場にいた者たちを惨殺した。
彼女も……犯され、殺されたという。
「そんな……だから……」
ライオネスも理解したらしい。
父親がなぜ、そこまで平民を敵視するのか。
「ずっと……疑問だった。父上は……母上の話をまったくしてくれない。俺も……聞いてはいけないことだと思って……黙っていた」
「……あの頃、お前はまだ子供だった。伝えるべきではないと判断した」
「父上……」
「これで理解したはずだ。平民など社会のゴミだ。存在するだけで罪、関わるべきじゃない」
彼の平民に対する恨みは深く、暗い。
どんな言葉をかけようとも、彼が平民を許すことはない。
でも、だからこそ、彼女が口を開く。
「――そう思うほど、奥さんのことが大好きだったんですね」
優しい声で、傷ついた心を癒すように。
主人公のフレアが口にする。
「貴様に何がわかる? 平民の貴様に」
「平民にも両親はいます。私にも大好きなお父さんとお母さんが……もし、二人に何かあったら……私は悲しい。でも、二人は生きているから、私にはわかったなんて言えません。ただ……大好きな気持ちはわかります」
そう言いながら、彼女はライオネスに語り掛ける。
「ライオネスさんも、そうですよね?」
「……ああ、そうだな」
強張っていた彼の身体から、すっと力が抜けていく。
まるで氷が暖かな日差しにゆっくり溶かされるように。
「今、わかった。父上がどうして強いのか……」
一瞬、彼は私に目を向けた。
何か言いたげだったけど、私は目を逸らす。
それは私じゃなくて、本人に伝えるべきだ。
どうぞ、と譲るように。
「父上は、俺のことを守ろうとしてくれていたんですね」
「ライオネス……」
「俺は……それに気づけなかった。父上のように強くなりたいと……足りないわけだ。俺には、強さを求めるだけの理由がなかった」
彼が抱えていた問題。
それは、亡き母親の真相を知ることと、強さを意味を知ること。
彼は重要なことを何も知らなかった。
知らされず、ただ漠然と力を求めていた。
そこに隙間は生まれた。
故に単純だ。
知ってしまえばいい。
真実を、父親の強すぎる思いを。
そうすれば……満たされるはずだ。
「――来た」
ぼそりと、ベルフィストが呟く。
私には見えない何かを目で追っている。
おそらく、彼の中から力の一部が放出されたんだ。
「ありがとう、父上。今まで、母上の分まで俺を守ってくれて」
「……」
「けど、もう大丈夫です。俺はもう、子供じゃない。父上の教えは忘れない。その上で、自分でよく考えます。何が正しくて、何が間違いなのか」
「……そうか」
心の隙間は、些細なことで生まれてしまう。
逆に埋まることも、些細なきっかけがあればいい。
簡単だけど、難しい問題だ。
「ありがとうございました」
「……礼を言われることではない。親が子を案じるのは……当然のことだ」
彼の中にある憎しみは、永遠に消えないだろう。
ただ、それでも……彼は悪人じゃない。
妻を失い、残された息子を必死に守ろうとしていただけの……父親だ。






