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アディンゼル大公のタウンハウス、そこにある図書室は広くて、床から天井までの全てが本棚になっている。本棚には歴史書や経済、魔法などの本から子供向けの童話や神話まで広いジャンルの本が入っていた。
図書室の奥にある読書スペースを自分のもののように専有して、私は本を読んで過ごしている。
クレームス帝国の景勝地を紹介する本、現代日本でいうのならガイドブック的な感じだろうか。
メラルドグリーン色の美しい湖には虹色に輝く魚が住んでいて、雪の帽子をかぶった雄大な山脈には金色の毛皮に大きな角を持つ鹿が暮らす。
太古の昔からの自然をそのままに残した深い森には長い遊歩道や馬での散策ルートが作られていて、有名な彫刻家の作品を沢山展示している芸術公園が帝都にはある。
学術都市には国で一番古い図書館があり、国内最大の蔵書量を誇っている。特に魔法に関係する本の蔵書量は世界一とも言われているようだ。
コンコンッとノックの音が響き、開けっ放しになっている図書室の入り口から誰かが入って来る。私は本から顔をあげ、開いていたページに栞を挟んだ。
「最近はここに入り浸りなんだってネ?」
顔を見せたのはキムだった。手には封筒をふたつ持っていて、私に差し出した。
「従妹殿からと……もう一通はお嬢さんに恋焦がれて仕方がない哀れな男からだヨ」
「キム、妙な言い方しないで」
恋焦がれてとか変なことを言うなと言えば、キムはニヤニヤ笑いを浮かべながら「事実だヨ」と言った。
ピンクの封筒は杏奈から、白い封筒はリアムさんからだ。
「で、お嬢さん。街に遊びに出かけるって話、覚えてるかナ?」
「あ、もちろんだよ。でも、キム忙しいんじゃないの?」
「俺は別に……夜会に出るわけじゃないしネ。お嬢さんさえ良ければ、明後日出かけようカ」
明日は王宮で夜会が開かれる日だ。
明々後日は一年の終わりの日、日本で言う大晦日。大晦日の夜は女神様に一年の無事を感謝しながら家族で過ごすのが一般的だ、と聞いた日。
家族で過ごすというのは貴族も王族も同じで、夜会は明日行って明後日はその片付けと掃除を行い、明々後日には王宮で働く皆も家族で過ごすらしい。
「うん、行きたい」
「じゃあ昼頃に迎えに来るから、寒くない恰好でネ。そのとき、希望の話も聞かせて欲しいから宜しくネ」
キムと入れ替わるように、コニーさんがココアとビスケットを持って来てくれた。甘いココアとチーズ風味のビスケットを食べ、杏奈からの手紙を開ける。
手紙の内容は相変わらずだ。元気でやっていること、植物を元気に早く育てることが出来る才能を女神様から貰ったから、領地にある畑や果樹園に出向いて手伝いを始めたこと、私とリアムさんとの進捗状況や歩み寄る努力をしているのかなど。番さんであるクマ伯爵さんとの関係については、全く書かれていない。
私に報告出来るような進展がないのか、報告するのが恥ずかしいのか……たぶん、前者なんだろうなと思うと自然に苦笑いが浮かんだ。
幸せになる努力をする、と約束はしたものの……感情が伴うことは難しい。こうした方がいい、こうやった方がいい、それを分かっていても気持ちの上で納得が出来なくて、その行動がとれなかったりする。
女神様が決めた運命の相手、出会った瞬間から惹かれ合う縁で結ばれた存在。でも、生きている以上〝好き〟という感情が伴う、特に恋愛に関係する感情は複雑だ。単純に物事が運ぶことなどないと言って差し支えない。
「まあ、単純に物事を運ぶために、女神様は異世界から召喚する人間に魔法をかけるでしょうけどね」
杏奈からの手紙を封筒に戻し、白い封筒を手に取る。
真っ白い封筒には花の模様が加工されていて、レモンのような爽やかな香りがした。赤い馬と蔦模様の紋章に押された封蝋を外せば、二枚のカードが出て来る。
一枚には夜会の準備で忙しく会いに行けないことへの謝罪と、夜会が終わったら出かけようというお誘いの言葉が書いてあった。
もう一枚のカードは二つに折られていた。それを開けば夜景を描いた美しいイラストが描かれていて、空から雪がキラキラと光りながら降り、家の窓からは明かりが漏れ、オルゴール音楽が聞こえて来た。
カードの裏には、魔法を使ったカードだと書いてある。魔法で景色が動いたり、音楽が聞こえるカードらしい。まさに魔法って感じがする。
リアムさんからは毎日のように何かが贈られてくる。手紙だけのときもあるし、カードと小さな花束だったり、クッキーやチョコレートなんかのお菓子のときもある。
心使いはとても嬉しいんだけれど、毎日贈って貰ってることに若干の不安を覚える。忙しいっていうのに、負担に(経済的にも時間的にも)なってるんじゃないかって。
「……お嬢様、僭越ながら申し上げます」
おやつの準備をしてくれたコニーさんは小さな声をあげた。
「我々獣人族にとって、愛おしい相手に贈り物をすることは本能に近しい行為です。特に男性はその傾向が強いです」
「うん?」
「鳥や獣にもおりますでしょう? 求愛行動として食べるものをメスに運んだり、巣を事前に作って見せたり」
そう言われたら、昔動物系のテレビ番組で見た気がする。エサをメスにプレゼントしたり、ダンスを踊ったり、美しい羽根を見せてアピールしたりして愛を表現しているんだって解説していた。
「贈り物をすることは、求愛の証。求愛給餌とも呼ばれます。それは番ったあと……婚姻関係を結んだ後も変わりません」
「えっ……それって、結婚した後も贈り物を贈り続けるってこと?」
「お嬢様がどう理解しているのか、分かりませんが。凡そそう思っていただければ。婚姻後、衣食住の全て夫の稼ぎで賄われますが、それも贈り物という扱いになります」
「あ、ああ、そういうことか。食べる物とか着る物も旦那様の稼ぎから買って貰ってることになるから、旦那様側からしたら贈っていることになるのか」
「はい。現在はまだ婚姻関係に至っていませんので、ただひたすらに愛を乞うているのです。獣人の者にとっては当たり前の行動ですので、お嬢様が気になさる必要はありません。むしろ、贈り物をするなという方が酷な話です」
贈られてくるお花、お菓子、手紙やカード。その全てが私への愛を乞う行動なのだと……私に愛を、乞う。
顔が熱くなって、私は俯いた。
リアムさんが女神様が決めた相手なのか、それは私には分からない。でも、立場も身分も捨てて私を探して追いかけてきてくれたリアムさんに惹かれたことは事実。その相手から熱烈と言っても過言ではないくらいの告白を受けて、嬉しくないなんてことはない。嬉しい、そしてやっぱり同時に恥ずかしい。
「……お嬢様は、初心でいらっしゃいます」
「コニーさん!」
「再び僭越ながら、申し上げます。素直になるのが一番ではないかと思います」
言われている言葉の意味が分からなくて、両手で真っ赤になった顔を覆って指の隙間からコニーさんを見上げる。
「思うに、お嬢様は難しく物事を考えすぎている部分がおありになるかと。どうぞ、ご自分の素直な気持ちを大切にしてください」
コニーさんは私と机の上で綺麗な音楽を流し続けるカードを見比べ、アルカイックスマイルが基本のメイドさんとしての仮面を捨てて、とても美しい笑顔を浮かべた。
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