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あの面談ラッシュからの毒殺未遂事件から十日。
私は王都にあるアディンゼル大公家のタウンハウスで、のんびりと過ごしている。私だけ、のんびりと。
フェスタ王国の王宮で開催される年末の夜会は、一年で一番大きくて盛大な夜会なんだそうで、国中の貴族が参加するらしい。
当然アディンゼル大公夫妻も参加で、当日の衣装やアクセサリーの準備や化粧品や入浴道具、馬車の手入れや馬のコンディション調整まで、その準備にお屋敷の皆さん全員が追われている。
私は準備の邪魔にならないように、本を読んだり庭を散策したり厨房の隅っこを借りてお菓子を作ってみたりしているだけ。邪魔にならないようにするためには、何もしないのが最適解なのだ。
その時間を、先のことを考える時間に当てている……けれども、未だ決められないでいる。
私はタウンハウスにある図書室の一番奥、小さな机と椅子があるだけの場所。図書室を使うときはいつもここを使っていたら、いつの間にか机の上には小さな読書灯とガラスペンとインクが置かれて、椅子には柔らかなクッションとひざ掛けが用意されていた。
こういう気配りが使用人さんたちの凄いところだと思う。
クッションとひざ掛けを有難く使わせて貰いながら、杏奈から届いた手紙を開ける。レモンイエローの明るい封筒と便せんに杏奈の丸っこい文字が並んでいる。
本来なら、杏奈の番さんであるファルコナー伯爵は年末の夜会に参加しなくてはいけないし、番である杏奈も出席しなくちゃいけない立場だ。でも、私に対する暴力事件とその後の噂問題が悪質だと……一年間、一族の人たちは王都に入ることを禁止されたようだ。
だから王都に行くことが出来なくて、私に会えなくて悲しい。良かったら領地に遊びに来て欲しいことと、リアムさんが自分を訪ねて来たことが書かれていた。
リアムさんと最初に会ったとき、問答無用でビンタを食らわせたと書いてあって「ヒエッ」と声が出た。相変わらず杏奈はアグレッシブだ。でも、その後はリアムさんとどうなったのか、仲良くやれているのかと心配と好奇心が混じったような内容が続く。
結局、自分と番さんのことがなにも書いてないことから、この手紙を書いたときは番さんに対して怒っていたんだろうことが想像出来た。まだ杏奈と番さんは揉めているらしい。
「杏奈ってばもう、しょうもない……」
もう元いた世界に戻れないのなら、こちらの世界で幸せになるって約束したのに。迎えに来てくれた番さんと仲良くして、元気で幸せに暮らしてくれたら……
『レイちゃんも幸せにならなくちゃ駄目なんだからねっ!』
急に杏奈の言葉を思い出して、自分でハッとした。
そう、杏奈とこの世界で生きて行くことを話し合ったとき、お互いに幸せになると約束したのだ。杏奈だけじゃない。私も幸せになる努力をして、幸せに生きて行かなくちゃいけない。
「……幸せって、なんだろ?」
杏奈は番さんが迎えに来てくれたんだから、結婚して仲良く不自由なく暮らせばいいと思った。番さんは杏奈を愛して大事にしてくれるから、きっと幸せな生活が送れるって思ったのだ。
対して自分は番さんが迎えに来なかった……だから、誰かに頼ることなく自立して生きて行こうと思った。働いて賃金を得て、自分で自分を養って生活するんだって。
でも、それは……幸せになるってこととイコールじゃない。ただ、生きて行くための手段だ。
「……失礼します。随分と難しいことを考えておられるようで」
声を掛けられて、そちらを向けば全く思っていなかった人物がいて、普通に驚いた。
「えっ……伯爵様?」
「先ぶれもなく突然押しかけて申し訳ない、執事殿にこちらにいらっしゃると案内されて」
そこには茶色の毛並みを持つオオカミ獣人、リアムさんのお兄さんであるオルコック伯爵様がいたのだ。
「ああ、はい。こちらへどうぞ」
執事長がここへ通して来たということは、私に対して敵意がなく問題も持ち込まない人ということだろう。
こちとら庶民中の庶民なので、貴族のお手紙で事前連絡をしなくちゃ無礼! とかいう感覚はなく突然の来訪に驚いただけだ。
私は近くにある椅子を運んできて、伯爵様に勧める。
「ええと、本日はどんなご用件で?」
「まずは、これを」
差し出されたのは封筒だ。
真っ白で飾り気もなにもない封筒で、そこには女性らしい小さめな文字で私の名前が書いてあった。
「その、妹からあなたへの謝罪の手紙になります。本来なら、謝罪の場でするべきことだったのですが……先日はあの態度で謝罪にはならず、申し訳ありませんでした」
妹ということは、クローディア嬢からの謝罪の手紙?
伯爵様、クローディア嬢、アデラ嬢の三人と会ったとき、謝罪してくれたのは伯爵様だけでふたりのご令嬢は自分たちの気持ちや考えを話してくれただけだった。
よく分からない劇を披露してくれたあのクローディア嬢が私に謝罪したいだなんて、ちょっと信じられない。
「どういった心境の変化なのですか?」
「あなたにお会いして謝罪出来なかった面会の後、クローディアは己の番と出会いました」
「番さんに……」
どうやら、私と会った後で伯爵様はご令嬢ふたりを連れて帰ろうと王宮を歩いていて、もうじき正門という所で西の辺境伯様の一行とすれ違った……そのとき、辺境伯様の元にいたひとりの若い見習い騎士の青年と出会った。
そのオオカミ獣人の青年はクローディア嬢の番相手で、あっという間に惹かれ合ったらしい。
「……そこでようやく、番と出会えないことの辛さや引き裂かれることの苦しさを理解したようです。軽々しく己が行ったことであなたとユージンを傷つけた、その罪深さも」
「ああ、なるほど……」
手渡された封筒はほどほどの厚みがあって、きっと一生懸命謝ってくれてるんだろうなと察するに余りあった。
「改めて、申し訳ありませんでした。アデラもクローディアもそれなりの罰を受ける、そんなことで許して貰えるとは思わないし、あなたの気が晴れるとも思わないのですが……」
聞けば、アデラ嬢は現代で言う刑務所みたいな所に入れられて、クローディア嬢は元いた神学校に戻されて一層厳しい教育を受けるらしい。
クローディア嬢の番さんは平民なんだそうで、番さんが正式に騎士になったら結婚するそうだ。きっと貴族のご令嬢が平民として生きて行くのは大変だろうし、番さんとも結婚するまでは遠距離恋愛になるらしい。
なんだか、少し可哀そうな感じがするけれど……それが罰だと言われたら私から言う言葉はない。
「分かりました。私はこの国の法律に詳しくないので、罰が重たいのか軽いのか分かりません。でも、きっと相応の罰とされたのだと思います。なので、もう大丈夫です」
もう済んでしまったことだ。
きっと、クローディア嬢もアデラ嬢もそれぞれに罰を受けて、その先を生きて行く。
与えられた罰が彼女たちの今後の人生にどんな影響を与えるのか分からないけれど、罪を償ってそれからちゃんと幸せに生きて行ってくれたらいいと思う。
「……それで、あの、弟のことなのですが……聞いて欲しいのです」
伯爵様は膝の上で組んだ手にぎゅっと力を込めた。その手が真っ白になるほど強く。
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