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空中庭園の端っこにある四阿、というかガゼボ? パーゴラ? 名称は分からないけれど、柱があってその上に屋根が乗っている六角形の休憩する場所に座って、私はお客様と向かい合った。
私の横に座っているキムは不機嫌を隠そうともしない。長い尻尾が空いたベンチの座面を叩いている。
「ええと……アデラお嬢様? 一体なんの御用でしょうか」
焦げ茶色のワンピース姿のアデラ嬢は客間で顔を合わせたときとは少し印象が違う。客間で会ったときは、まさに悲恋劇に出演中の舞台女優という感じだったけれど……今はなにか覚悟を持ったひとりの貴族令嬢という感じ。
それにしても驚いた。メイドさんが私に会いたいと連れて来たのがアデラ嬢だったとは……私のこと睨んでいたし、話したい内容も全く想像がつかない。
「……あなたにお聞きしたいことがありまして」
「なんでしょう?」
メイドさんがお茶とお菓子を乗せた白いワゴンを押してやって来た。新人さんなのか、少し慣れない手つきで紅茶を煎れる準備を始めた。
「あなたの番、ユージン従兄様について。正直にお聞かせ願いたいわ、どう思っていらっしゃるのか」
ああ、そうか。私はその質問を投げかけられて納得した。
彼女は私の番さんを心から愛していて、結婚したいと思っている。そんな彼女からしたら、私という存在は面白くないだろうし、自分が愛する男性をどう思っているか知りたいに違いない。
「……正直にお答えしますが、今はまだどうとも思っておりません」
「なっ!」
「申し訳ないのですが、私はまだ一度もお会いしたことがないのです。書類で表面上のことは先ほど知りました、オオカミ獣人であるとか年齢とかお名前とか、第三王子の侍従兼護衛官であるとか」
私がまだ番さんに会ったことがない、そう言うとアデラ嬢は少し落ち着いた様子で椅子に座り直した。
「この後、初めてお会いします。ですから、お手紙とか贈り物を沢山送ってくださっていた、気遣いの出来る優しい方なのだろうと想像しています」
「……そうね、ユージン従兄様はとても紳士的でお優しい方だわ」
優しくされたことを思い出しているのか、アデラ嬢は一瞬微笑んだ。けれどすぐ厳しい表情を浮かべた。
「まだ会ったことがないことは承知したわ。それでもお聞きしたいの、あなたはユージン従兄様とどうなるおつもりなの?」
「……えっ」
「ユージン従兄様を一人の男性として愛して、ずっとずっと大切にして下さる、そのつもりがおありなの?」
私は息を飲んだ。
だって、アデラ嬢の濁ったような目の中に強い怒りを感じたから。
好かれているとは思わなかった。だって、自分の好きな相手の運命の相手なんて、恋する乙女からしたら憎たらしい相手でしかない。
でも、こんなに強い怒りを持たれるとは思っていなかった。
「どうなのですか? あなたは違う世界から来て、番が分からない。ユージン従兄様は番であるあなたを無条件に愛するけど、あなたはそうじゃない。あなたが好きになる、愛するつもりで歩み寄らなくてはいけない。そのつもりが、あなたにはあるの?」
「……えっ……あの……」
答えられない。
私が困っていると、アデラ嬢は大きなため息をついて視線を一点に据えた。
「どうぞ、お茶とお菓子を召し上がって……それからお返事を聞かせてください」
「……はい」
アデラ嬢はメイドさんにお茶を出すように指示した。
テーブルにアイシングの乗った小さなカップケーキと、紅茶がサーブされる。濃い琥珀色の紅茶からは、果物のような甘い香りがした。
アデラ嬢は時間をくれただけで、私の答えは絶対に聞くという意思を見せた。答えなければ帰れない。どうしよう、困った。
白いティーカップに手を伸ばすと、「飲むなッ!」と言う声が聞こえて紅茶の入ったカップが宙を舞った。琥珀色の液体が零れて、テーブルに飛び散る。
「え?」
隣にいたはずのキムが消えて、ドサッという重たい音とお茶を用意してくれたメイドさんの悲鳴が聞こえた。なにが起こったのか分からなくて、メイドさんのいた方に視線をやると彼女はキムに取り押さえられていた。
「おまえ、毒を仕込んだな!?」
毒? 紅茶に? 私はテーブルに広がる琥珀色の液体に視線を向ける。
甘い香りがしてる紅茶、これに毒が入っていると言われても理解が追い付かない。
「うっぐ……」
「言え! 俺の鼻を誤魔化せると思うなヨ? 甘い香りのする紅茶で誤魔化したつもりなんだろうが、匂うんだよ……毒の匂いがサ」
「どうして……」
メイドさんに毒を盛られる、全然分からない。
私がこのお城にいたとき、滞在していたのは南離宮と異世界課の入っていた文官区画だけ。こんな王族や高位貴族のいる奥には入ったことがなくて、当然メイドさんとも初対面。殺したいほど恨まれる理由なんてないはずだ。
「どうして? 逆に聞きたいわ、どうして恨まれていないと思ったの?」
アデラ嬢はゆっくりと席を立ち、私に一歩近づいた。
「あなたのその腕輪……白花だわ。それを贈った人があなたにはいる、将来を共にと願って贈られるそれをあなたは受け入れた。でもそれを贈ったのは、ユージン従兄様じゃない」
「……え?」
私の手首には華奢なブレスレットがある。それは、リアムさんから贈られたものだ……私はお祭りのときに白花モチーフのアクセサリーを贈る、贈られる意味を知らなかった。
意味を知ったのは後からだった。
「あなたはユージン従兄様を選ばない、あなたを大切に想って誠実に扱ったユージン従兄様を、あなたは捨てるのでしょう? 酷い人」
アデラ嬢の手にはナイフが握られている。ケーキを切り分けるためのナイフだから、先端は丸くなっていて殺傷能力なんてない。切りつけられても、少し皮膚が傷つく程度。でも、私は動けなかった。
「本当に酷い人」
生まれて二十年、こんな正面切っての殺意をぶつけられたことなんてない。貴族のご令嬢から厳しい言葉を沢山投げつけられたけれど、彼女たちは私を遠くへやりたいだけで殺したいと思っていたわけじゃなかった。
「あなたが、嫌いよ。あなたさえこちらに来なければ、みんなが幸せになれたのに。あなたが、全て壊したのよ」
だから、強い殺意と共にナイフを向けられて……私はすっかり腰が抜けてしまい、それでも逃げなくてはという気持ちでもって強引に体を動かした。
椅子から滑るように落ちて、私は四阿の床に尻もちをつく。そのままゆっくり後ろへ下がるけれど、アデラ嬢が近づいて来る方が早い。距離がどんどん縮まっていく。
「だから、死んでちょうだい。居なくなって」
手にしたナイフはキラキラと輝いて、光る膜のようなものを纏った。
魔法? 白く光る膜のようなものはナイフ全体をその形に添うように覆い、先端を鋭く尖らせる。
「消えて、お願い。そうしたら、みんな幸せになれるわ」
私の体は固まった。
みんなが幸せになれる、このセリフを過去にも聞いた。
みんなが幸せになれる、私が犠牲になれば、私が居なくなればと。
「お嬢さんッ!」
暴れるメイドさんを押さえつけているキムの声が遠くに聞こえて、魔法を帯びたナイフを持つアデラ嬢が突進して来る。
アデラ嬢の綺麗な顔が般若のように歪んで、小さな手に握られたナイフはスローモーションのようにゆっくりと私の胸に向かって突き出される。
恐怖にかられた私は、衝撃と激痛を覚悟してギュッと目を閉じた。
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