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ユージン・オルコック、二十一才のオオカミ獣人。オルコック伯爵家の次男。
家族構成はオオカミ獣人の父親、夫人である人間の女性。兄弟は全員オオカミ獣人で兄と妹に挟まれた三人兄弟の中間子。
王立貴族学校を優秀な成績(在学中全ての教科で五位以内をキープしてたらしい、凄いエリートだよ!)で卒業して王宮へ就職。王子・王女室に配属されて、第三王子付きの侍従兼護衛官になる。
私の番さんのざっくりしたプロフィールはこんな所だ。次男とは言っても伯爵家出身のエリート文官。一方の私は特に勉強も運動も出来たわけじゃない、平凡な庶民。
この世界に呼び出されて、女神様の魔法で向こうの世界でのこととか深く考えられなくなっていた時期ならともかく、魔法が解けて自分で頑張ってきた自覚がある今となっては……エリート貴族様と上手くやっていける気はしない。
私なんかとではなく、心から好きでいてくれている同じ貴族であるアデラ嬢と結婚して、彼女の家に婿入りして生きて行く方がいいように思う。
他人宛ての手紙、仕事に関係する書類の入った封書を勝手に横取りして隠すなんて、駄目なことだって子どもでも分かる。それに実行したとしても、すぐにバレてしまう。物凄く稚拙だ。
それでも、形振り構わず実行しないではいられないくらい、アデラ嬢は私の番さんのことが好きで、愛していた。
自分の番相手でもないのに、そんな風に誰かを好きになるなんて、凄く激しくて熱い気持ちだ。
私がリアムさんに対して抱いた気持ちにそんな激しい熱量はなくて、もっと淡くふんわりしていた。
恋であったとは思うけど、全然違う。
「……なーんか、また妙なこと考えてるんじゃないかナ?」
手にしていた番さんのプロフィールの書かれた紙をキムが抜き取る。
「妙なこととはなによ、失礼な」
「お嬢さんとの付き合いは長くないけどネ、色々気が付いたことがあるヨ。それを踏まえたら、今のお嬢さんがあんまいいこと考えてないってことくらい分かるヨ」
キムは手元の紙を綺麗に折り畳み、上着のポケットに仕舞い込んだ。
「さて、この後昼ご飯を食べてから、お嬢さんの番ユージン・オルコックとの対面なんだけどサ……昼ご飯、食べられそうかナ?」
私は首を横に振った。
さっきお茶とケーキも食べたし、緊張やストレスでお腹の空いた感じはない。
「だよネ。じゃあ、気分でも変えてみるかい?」
「気分?」
キムは淑女をエスコートするかのように、私に手を差し伸べた。
「そう、この客間に籠って時間潰すのも別にいいけどサ。せっかく王宮に来てるんだから、少しは見学してもいいんじゃないかと思ってネ」
それに王宮なんてもう二度と足を踏み入れる機会なんてないかもしれないよネ、と続けられてそれもそうだなと思った私はキムの手に自分の手を乗せた。
この客間で飲みたくもない紅茶でお腹をいっぱいにしているより、緊張を紛らわすことも出来るだろうし、余計なことを考えなくても済むだろう。
「じゃあ、行こうか」
「キムは普段レリエルの大公館で働いてるんでしょう?」
「大公閣下の麾下だからネ。命令であちこち出かけてることも多いけど、基本はそうだヨ」
「じゃあ、王宮のことはあんまり詳しくないんじゃないの?」
どこに向かっているのか分からない、ただキムにエスコートされるまま廊下を進み、右に曲がって左に曲がって左に曲がって階段を上る。もう自分であの客間には戻れない自信がある、王宮は広すぎるし複雑すぎる。
「隅から隅まで知ってるってわけじゃないけどネ、王宮は大公閣下のお供で結構来てるヨ。アディンゼル家の者が使う周辺はちゃんと把握してるつもりサ」
そう言って案内されたのは、庭園だった。
私の知る言葉で言うのなら、空中庭園や屋上庭園というやつだ。
王宮は大きな建物が幾つも重なって一つの〝王宮〟という形になっているけれど、私がいるのは背の低い建物の屋上に当たる。常緑の植物で作られた生垣、綺麗な小石が敷き詰められた水路が張り巡らされ、区分けされた花壇には花はないけれど、色彩豊かな葉を茂らせた植物が植えられていた。
庭園のあちこちに木製のベンチが置かれ、すみっこの方には四阿も用意されている。きっと春にはとても綺麗に整えられるんだろう。
庭園の先からは王都の下街が見渡せて、背後から零れる女神様の大樹からの淡い光が降っているように見える。
「……綺麗」
レリエルの街並みは白い壁に赤黒い屋根が並んで、少しだけ寒そうだけれど……王都ファトルはクリーム色の壁に赤味の強いオレンジ色の屋根が並ぶ。女神様の大樹から零れる光もあって、温かそうな印象だ。
「この街も、この国も捨てたもんじゃないでショ」
私がこの世界に来たとき、この街に降り立った。それから勉強会、お披露目会、王宮勤務と数か月の時間を過ごしたのに、この街をちゃんと見たことがなかった。
「王宮の北側には女神の木があるけど、その子どもみたいな木が街の中央に生えてるんだヨ。そこは広場になっていて、いつも屋台がでて賑わってるんだけどサ……王都にいる間に行ってみるかい?」
「え、いいの?」
「この国では、年末には家族で一年間無事に過ごせたこと女神に感謝してお祝いする習慣があるのサ」
「……素敵な習慣だね」
日本で年末年始を家族で過ごすっていうのと同じような感覚かな?
「夜はそれぞれ家族単位で食事をするのが一般的サ。昼間は公園や広場に露店が出て賑わうんだけど……お嬢さんに興味があるなら、行ってみるかい?」
「行きたい」
言われれば、街のあちこちに綺麗な飾りつけがされている。赤や黄色、緑の葉っぱ、赤や茶色い木の実、綺麗なリボンで出来たリースみたいな飾りに、キラキラ光るオーナメントはどこかクリスマスっぽい。どうやらこの国の年末年始は、日本でいうクリスマスと年末が混じったような雰囲気で過ごすみたい。
この世界に来てもう二年近い。なのに、初めて見て知ることがとっても多い。自分の周囲も景色を見るそんな余裕がなかったのは事実だけれど、見ようともしなかったのかもしれない。
街並みや女神の大樹をちゃんと見たのは初めてだし、街では自分の周りにいるのは悪意ある人たちばかりで、誰も助けてくれない、頼りに出来ないと思い込んでいた。
大公閣下が自分から助けてと言わなくては助けなど来ない、私は子どもじゃないって言っていたけれど……その通りだったと思う。
私はきっとトマス氏に言わなくちゃいけなかった、「心無い噂を流されて辛い、助けて欲しい」って。異世界課の課長でも良かったかもしれない、彼は自分では動かなかったかもしれないけれどトマス氏に連絡くらいはつけてくれたかもしれない。
…………色々考えても、今更なんだけど。
「あの、申し訳ありません」
空中庭園にいるのはキムと私だけ、声を掛けられるのは私たちだけだ。振り返ると、そこにはモスグリーンのメイド服に白いエプロン姿のメイドさんがいた。
「お嬢様にお会いしたい、とおっしゃる方がお見えなのですが」
「お嬢様って?」
「お嬢さんのことだヨ、レイナ」
キムは私を庇うように侍女さんと私の間に入った。
「この子に会いたいって、どこの誰かナ?」
侍女さんが道を開けるように下がると、そこに一人のご令嬢が姿を見せた。
「ごきげんよう」
予想外の人物の登場に、私は声が出なかった。
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