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閑話13 ヴィクター・キム・オルグレンの改悛

「おい!」


 大公は耳をピンッと立てて、また尻尾でソファを叩いた。


「大事なことなんだぞ!」


「……お嬢さんは余分なこと考えすぎちゃう子ですからネ。ついでに自立心が旺盛で、意地っ張りで、他人に頼ることを良しとしないんですヨ。話は出来るしこっちの聞いてもくれるでしょうけど、それをどう判断するかは分かりませんネェ」


 そう言ってグラスの酒を煽る。

 高価なはずの酒は俺の喉を焼くばかりで、味は全く分からなかった。






 女神のお告げを感じたときはとても嬉しかった。俺の可愛い番が異世界からやって来る、俺は愛しい番と会うことが出来て番うことが出来る。嬉しかった。


 だから、お披露目会が始まると同時に迎えに行って、速攻で求愛した。


 淡い茶色の髪に青い瞳が綺麗な、愛しい番。彼女からはいつも甘い香りがしていて「バニラエッセンスの香りが染み込んでるのかしら?」と菓子作りを職業にしようと思っていたらしい彼女は笑っていた。


 あの可愛い笑顔は、綺麗な笑顔はずっと俺の側にあるものだと信じて疑ってなかった。


 お披露目会が終わってすぐ、レリエルに連れて帰って正式に婚姻を結んで番った。新居を大公館の近くに構え、ふたりで暮らした。


 生家の長兄夫婦があれこれ言って来たけれど、ほとんどを無視していた。お世辞にも上手く行っている兄弟とはいえない関係だったのに、異世界からの番を俺が迎えた途端に声をかけてくるなんて……ヘソで紅茶が沸きそうなくらいにおかしかった。


 俺の仕事は大公に命じられた任務をこなすこと。


 新しく王太子の座に座ったセドリック殿下と、大公が〝宝珠の館〟のあり方を見直し、縮小閉鎖して将来的に無くす方向で動き出したときも、特になにも思わなかった。


 俺にとっては大公から命じられた任務をこなし、愛しい番と一緒に生きて行ければそれで良かったから。他の異世界から来た他の番がどんな生き方をしてようが、気にもしてなかった。


 だから、推し進めた〝宝珠の館〟縮小閉鎖計画が発端になって……あんな事件が起きるなんて全然考えてなかったし、その事件に俺の可愛い人が巻き込まれて命を落とすなんてこと、想像もしてなかった。


 俺の可愛い人、クレアが保護対象である異世界人たちと一緒に誘拐されたって聞いたときは、時が止まったように感じた。


 周囲の人の言葉なんて全然耳に入って来ないし、自分が呼吸してるかどうかも分からなかった。


 誘拐された異世界からの番たちが監禁されている、と特定された屋敷に仲間と共に乗り込んだ。そこまでの間の記憶はあやふやで……屋敷の中で鼻を刺激した強烈な血液の匂いで我に返った感じだった。


 俺の可愛い人を探して屋敷の中を駆け回って、二階奥にある部屋で彼女の匂いを感じた。その部屋に飛び込んで、目に入ってきたのは……切り裂かれた布のようになった俺の可愛い人と、血塗れになったライオン獣人、部屋の隅で震えている異世界人の女の子。


 目の前が真っ赤になって、俺はライオン獣人に飛びかかっていた。無我夢中で戦って、自分が傷ついていることも、相手がどんな状態なのかも分からず、大公に止められて気が付いたときにはそのライオン獣人は動かなくなっていた。


 仇は取った、でも、俺の可愛いクレアは帰って来ない。


 俺は大切な大切な宝物を無くしてしまった。


 あの可愛い笑顔は二度と見られない、可愛く俺の名前を呼ぶ声は二度と聞こえない、二度と甘い香りのする体を抱きしめることは出来ない。


 俺の心には大きな穴がぽっかりと開いて、世界は色を失った。死ぬまで治ることはないんだろう。


 獣人社会では番を守れなかった者は「軟弱者」とか「出来損ない」とか「情けない者」と呼ばれて、蔑まれる。そういう不名誉な獣人を出した家もいい顔をされなくなる。


 俺自身そんな風評はどうでもよくて、長兄から伯爵家から籍を抜くと言われてもなにも思わなかった。だって、俺の可愛い人がいない世界なんてどうでもよかったから。


 王太子殿下と大公は自分たちの進めた計画が性急過ぎたせいで、事件が起きたこと。大勢の異世界からの番が死んでしまったこと、その中に菓子作りを教えに行っていた俺の可愛い人が含まれていたことを悔やんで、謝罪してくれた。


 彼らが俺の可愛い人を殺したわけじゃないのに。


 結局、俺の心には大きな穴が開いたまま……大公の側に未だ付き従っている。他にする事がないから。


 レイナという名のお嬢さんが……この国から出てどこかに行きたいと言うのなら、連れて行ってやろうかと思った。お嬢さんと話していて、ほんの少しだけ心の穴が塞がった感じがしたから。


 俺の可愛いクレアのために泣いてくれた。可愛い人を亡くした俺のために泣いてくれた。その優しい気持ちが、ほんの少しだけだけど心を満たす一滴となった気がするのだ。


 こんな優しくて可愛いお嬢さんを迎えに来ないなんて、お嬢さんの番ってヤツはどんな間抜けな獣人なんだろう……興味深い。





「少しでも前向きに話しを聞いて検討してくれるよう、おまえたちを付けたんだぞ。この世界や獣人に対して、多少は好感を持ってくれたか? 信頼してもいいと思ってくれたか?」


 大公はグラスの中身を一気に飲み干し、グラスを突き出して来た。そのグラスに酒を注いでやり、酒瓶の蓋を閉める。

 ほどほどにしておかないと、執事長の怒りが俺に向きそうだから。


「さて、分かりませんヨ。俺たちはみんな、お嬢さんを傷付けてばっかりですからネ」


「……うむむ」


「でもあのお嬢さんは年齢の割に大人ですからネェ」


「大人の対応をしてくれるか?」


「…………無理して大人にならざるを得ず、頑張って意地はって己を奮い立たせてひとり立ってる状態だから、ちょっとしたことで折れたりしそうで恐いんですヨ」


 氷の溶けた水を飲んで、頭を抱える大公に向かって聞いた。俺がずっと気になって、知りたかったこと。


 ぼちぼち教えて欲しい。

 俺の対応も、それによって変わってくるから。


「それよりも、いい加減に教えて欲しいんですよネ。お嬢さんの番って、誰なんですカ?」

お読み下さりありがとうございます。

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