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閑話12 ヴィクター・キム・オルグレンの改悛

 屋敷に戻ると先代様のときから大公館を取り仕切る、イーデン執事長が直立不動で待ち構えていた。


 帰りが予定よりも遅くなったことと、あからさまにお嬢さんが泣いた痕があったことに対しての小言を貰ったが、本気で怒っている様子は感じられない。


 本気で執事長が怒ったときは、歯の根が合わないくらい体が震える……思い出したくない想い出のひとつだ。


「レイナさん、お手紙が届いておりますよ」


 大公館東館に入ってすぐ横にあるサロンに入ると、執事長はトレイに乗った手紙をお嬢さんに差し出した。


 手紙、と聞いてお嬢さんは一瞬体を硬くした。まあ、そうだろう。お嬢さんにとって手紙は良い印象がない、見知らぬご令嬢から貰う罵倒や人格否定の手紙か、俺から貰った体調不良になる魔法が仕込まれた手紙だったから。


「誰から、ですかね?」


 お嬢さんは四通の手紙を手にすると、差出人の名前を確認する。最初の封筒の後ろを見ると目を見開いて驚いていたが、口元が緩んだ。差出人はお嬢さんにとって嫌な相手ではなかったようで安心する。


 けど、よく考えればお嬢さんに害を及ぼすような手紙を執事長が持ってくるわけがなかった。


「僭越ながら、お返事を差し上げたら喜ばれるかと思われます。便せんやインク、ペンの用意もございますので、いつでもお申し付け下さい」


 執事長の言葉にお嬢さんは少し戸惑った様子を見せながらも「はい」と素直に返事をしていて、安心した。その後、お茶を運んで来たコニーが一緒にペーパーナイフを渡していて、ゆっくりと手紙の封を切っていた。


「……大公閣下がお呼びです、執務室へ」


「はいはい、分かりましたヨ」


 返事をして執務室に向かおうとすると、執事長の尻尾が俺の尻を引っぱたいて来て、とても痛かった。返事の仕方が気に入らなかったらしい。相変わらず躾に厳しい、おっかない爺さんだ。






「キムです、お呼びと聞きました」


 執務室の扉をノックして声を掛けると「入れ」と返事があった。そのまま執務室に入ると、執務机ではなく応接用のソファに座った大公がだらけた格好で座っていた。


 ローテーブルの上には茶ではなく、酒と氷の入ったグラスとガラスの酒瓶が乗っている。


「……夕食前だっていうのに、もう始めてるなんて珍しいですネェ」


「飲まずにいられるわけないだろう」


「お嬢さんを王都に向かわせるって言うから、後始末は終わったんだと思ってたんですけど……違うんですかネ?」


 向かいのソファに座ると、空のグラスを取って中に氷の塊を魔法で作って入れる。その中に高そうな酒を注げば、カランッと氷は高い音をたてた。


「大丈夫だ、全て終わっている」


「だったら酒の理由はなんですかネ?」


 大公はグラスの酒を煽り、その勢いのままグラスをテーブルに戻すと、長い尻尾をソファに叩き付けた。ご機嫌斜めであることを隠しもしない。


「館に関することは、セドリック王太子殿下と共に当時出来る限りの手を尽くしたつもりだ。だが、全てに手が回っていたとは思わないし、大切なものを取りこぼした自覚もある」


「……」


 五年前、俺が大切な番であるクレアを亡くした事件。あれは〝レリエル館の惨劇〟と呼ばれて、フェスタ王国に生まれた者なら知らない者はいない。


 大切な異世界からの番を蔑ろにし、傷付けた大事件として知られている。二度とこのような事件が起きないように、という戒めの意味も込めて。


「それでもあの事件以来、館は縮小され王都に残された一軒のみ。それも、現在滞在している異世界人たちが役目を終えれば閉鎖になる。それは……この国の貴族、希少種族家全てが納得しているものだと思っていた」


 〝レリエル館の惨劇〟に関わった貴族や希少種族家には重い罰が下った。取り潰しになった家もあったし、貴族としての身分を剥奪され平民に落とされた者もいたし、処刑された者もいた。


 多くの貴族や希少種族家は震え上がったはずだ。何代か前に利用したことがあるとか、利用を考えていた家なら尚のこと見せしめのように下された処罰を重く受け止めたはずだ。


 改めて異世界から来てくれた番を大切にしなければならない、とも思ったはずだ。


 それなのに、お嬢さんに対しての嫌がらせや館入りを願う発言や、それっぽい行動を起こした連中がいたことは大公閣下にとっては衝撃的だっただろう。夕食前に酒を飲みたくなってしまうほどには。


「理解、納得していない連中がいたことも衝撃だったし、レイナ嬢を館入りさせようとしていた連中が実際にいたとは。殿下と俺がしてきたことに意味はなかったのかと、嫌気もさす」


 あの事件はたった五年前の話しなのだから。


「それで? どう始末を付けて来たんです?」


「……王宮で出鱈目な噂に踊らされていた愚か者たちは、三ヶ月の減俸。出鱈目な噂を率先して流していた馬鹿者たちは、一週間の謹慎と半年の減俸。レイナ嬢に対して館入り云々の話をしていた痴れ者たちは、二週間の謹慎と半年の減俸と二週間の懲罰作業」


「案外甘い始末になりましたネ」


「なにか実行に移したわけではないからな、あまり重い罰には出来ない。精神的に傷付け、追い詰めていたことは事実で精神面での暴力だが、立証が難しい」


「…………お嬢さんの館入りを画策していた希少種族の家がある、と聞いていますけどそちらはどうなりましたかネ?」


 確か、歴史のあるエルフの家系だと聞いた。家には男子がふたりいて、幸いなことにどちらもエルフの血が濃くでている。だから、一族は兄弟から沢山のエルフの子が生まれることを期待しているらしい。


 長男は番だという人間と結婚したが、生まれた最初の子は人間だったらしい。次男は未だ番と出会えておらず独身。


 可能なら、次男とお嬢さんを番わせたかったらしいけれど、他の家の口出しもあって館入りさせる方向で話しが進んでいた、ようだった。


「それも実際にレイナ嬢を館入りさせたわけじゃない、そういう方向に持っていこうと画策していた状況だった。実行に移す前にレイナ嬢が出奔したからな」


「お咎めなし、になったんですかネ?」 


「現当主は引退し領地に夫婦揃って蟄居、王都への立ち入りは生涯禁止。代わりに長男が当主の座に座ったが、第二夫人以降を娶ることは禁止されて、夫人との間に出来た子のみ後継と認める。次男は王宮勤めの魔導師だったが、山岳地方の薬草研究所に移動。まあ、左遷だな。二度と王都に戻ってくることはないだろう」


 大公が酒瓶に手を伸ばしたので、俺からグラスに酒を注いでやり氷も追加してやった。


 下された処分が適切だったのかどうかはよく分からないが、お嬢さんが王都に行っても出鱈目な噂の問題や、館どうこうという問題に悩まされることはなさそうだ。


「……で、レイナ嬢の様子はどうだ? 王都に行って、落ち着いて話しが出来て、冷静な判断が出来そうか?」


「どうなんですかネ?」

お読み下さりありがとうございます。

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