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昼食を取ったあと、キムと私は市場の散策に戻った。
暖かそうな裏起毛のパンツと厚手のブラウスを数枚、ブルーグレーの毛皮で出来たマフラーと手袋のセットを購入する。毛並みが素晴らしく気持ち良くて、手放せなくなってしまったのだ。
私の心を打ち抜いた毛皮が、カミナリウサギとかいう体長が一メートルほどもあり、その名の通り電撃を放ち鋭いキックをしてくる凶暴な魔物のものだと知ったのは、帰りの馬車の中だった。
結局、市場で買い物をした全ての支払いはキムがした。予算を大公閣下より貰っているので、気にしないでいいらしい。
確かに大公閣下にしてみたら、庶民である私の洋服や靴などを纏めて買った所で痛くも痒くもない金額だろう。
私にとっては大金だけど。
「番さんになにも買わなかったけど、いいの?」
市場の散策は楽しくて、結局全部の通りを見て回った。
小物やアクセサリー、魔道具、食材に至るまで、様々な品の露店があって、その中には恋人に贈るのに丁度良い品も沢山あった。
自分をウェルース王国の王都ウェイイルに連れにやって来て、フェスタ王国の都市レリエルまで一ヶ月以上の間、キムは番さんと顔を合わせてない。
手紙のやりとり程度はしていたかもしれないけど、レリエルに戻って来たというのに未だに顔を合わせていない。会うときには手土産が必要だろうと思う。
なのに、キムはなにも買わなかった。
「会いに行く前に花を買うつもりだヨ」
「お花が好きなの?」
「そうだヨ。会いに行くのは明後日、昼ご飯を早めに食べて向かうからそのつもりでいてネ」
「分かった」
楽市楽座を開催していたラフスター村を出て、レリエルに向かって馬車は走る。
秋も深まった今、日が落ちるのは早い。オレンジ色から紫を経て、夜の色になろうとしている空を馬車の窓から見ながら、キムの番さんに会えるのが楽しみだった。
こんな偏屈で性格も口にも難ありな男と番で、任務とは言っても長期間不在になって、街に帰って来ても家に帰らず顔も出さない……こんな男と一緒にいられる心の広い女性はどんな人なんだろう。
凛としたしっかり者タイプだろうか、それとも可愛らしい甘えっ子タイプ? 色々な想像をするけれど、いまいちしっくりこないまま馬車はレリエルの城門を潜った。
フェスタ王国は女神の大樹の国、主産業は農業。女神の加護を強く受けるため、農作物は沢山実り味も一級品ばかり。野菜や果物の輸出と、女神信仰の中心地であり巡礼者を受け入れる宗教の中心地でもある。
ウェルース王国は産業の国、各国を繋ぐ街道を使い材料を輸入加工し、それを輸出している。それに付随して商業も盛んだ。
アラミイヤ国は砂漠の国。広大な砂漠からは多くの宝石や金銀などが算出されて、その輸出と加工技術が発展している。彼方此方にあるオアシスは保養所としても人気があるらしい。
クレームス帝国は岩と雪の国。深い雪の中でも生きていける牛や馬を中心とした牧畜、刈り取った毛を使った産業が盛ん。帝国の岩の中には石炭のように燃料になる岩があって、その輸出もしている。
ファンリン皇国は大陸の東端にあり、海上産業が盛んらしい。漁師さんが海で漁業をし、魚や貝や海藻の養殖も行われている。美しい織物や細かな細工もの、装飾品も有名らしい。国土としては最大で、フェスタ王国に次いで農業も盛んらしい。
ポニータ国は東の海に浮かぶ島国で、独自の文化を持っている。国内の産業で基本回っているようで、他国との関係は薄い。最近になって輸出量は多くないけれど、品質の高いお茶や穀物を他国とやり取りするようになった。
〝学べる! 世界の国図鑑〟という子ども向けの本を眺め、私は本の内容や今まで人から聞いた話しを織り交ぜてまだ見ぬ世界を想像する。
ファンリン皇国はベトナムや中国辺りの文化圏、ポニータ国は中国や韓国、日本辺りの文化圏である、そう考えられた。
最初は日本に似た東の島国、ポニータ国に行ってあの国の静かな街か村で暮らせるようになりたいと思っていた。でも、似たか寄ったかならファンリン皇国でもいいかもしれない。
この国での用事が済んだら、東に向かおう。
東の国と島について、もう少し詳しい本があったら見ておきたい。大公館の本館には図書室があり、結構な量の本が収められているらしい。
私の立場は一応〝お客様〟というもので、東館の客室に部屋を貰って滞在している。けれども、本来のお客様って立場でもないから呼ばれたとき以外、本館には立ち入らない。本館は大公閣下の家族が暮らしている場所だから、私のような者は立ち入らない方がいい。
本は執事さんにお願いして選んで持って来て貰った。
〝学べる! 世界の国図鑑〟を閉じれば、美しい湖や遺跡のイラストが表紙を飾っていて、この景色を実際目にすることが出来たら……なんて思う。
表紙をスッと手で撫でると、左手首にずっとある白花のブレスレットが揺れた。
「……」
白花をモチーフにした華奢で美しいデザインのブレスレット。このブレスレットを見る度に、私の心は痛む。
私に優しくしてくれたこと、大事にしてくれたこと、一緒にご飯を食べてくれたこと、お祭りに連れて行ってくれたこと……難癖をつけてきたご令嬢から庇ってくれたこと、笑顔を見せてくれたこと。繋いだ手の温かさ、握る手の力強さを覚えてる。
ボロボロになった私の心が、また好きになった人。
黒と灰色の毛並みを持ったオオカミ獣人で、ウェルース王国にある商業ギルドウェイイル支店の守衛さん。ギルドの独身職員寮に部屋を借りてるって聞いた。
よく考えたら、私はリアムさんのことをそれしか知らない。出身地も、ご家族のことも、ウェイイルに来る前のこともなにも知らない。
キムから聞かされたことはショックだった。
私は騙されていた? なにかに利用されてた? そう思うと心が引き裂かれるように痛い。
好きになった気持ちはそんな簡単に消えたりしない。今でも、好きだ。好きに決まってる。好きだからこそ、心が痛い。
リアムさんを信じたい、信じたいけど信じ切れない。
自分が好きになった人を信じ抜くことも出来ない、そんな自分が嫌になる。
「……ここにいたんだ。探したヨ」
軽い物言いで声を掛けられ、私は現実に引き戻される。胸の痛みも少しずつ引いていく。
「あ、もうそんな時間?」
大公館東館にある小さな読書スペース。四角いテーブルに、クッションを置いた椅子が一脚あるだけの本当に小さなスペース。私はこの場所が気に入っていて、多くの時間を過ごしていた。
「部屋にいないから、あちこち探しちゃったヨ」
「ごめんごめん」
「次からはまずここに来ることにするヨ。で、行けるかナ?」
私は席を立ち、ルークさんのご実家で買ったリュックを背負いキムの後ろを追いかけた。
大きく息を吸い込んで、胸の中にある痛みと自己嫌悪を息と共に吐き出すと、少しずつ気持ちが立ち直ってくる。
キムの番さんに会いに行くためにも、いつまでも俯いてはいられない。
強がりだったとしても、今の私には無理矢理にでも顔を上げて前を向くことが必要だ。
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