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「……え?」
キムの言っていることの意味が理解出来なかった。
助け求める?
「どうして助けてって言わなかったのかなって疑問でサ」
「…………えっと、なにに対する助けを?」
「え、だってお嬢さん変な噂流されて、虐められてたでショ? 助けてって言うものじゃないのかナ?」
「誰に?」
「……えっ、信頼してる人にサ」
シンライ? 信頼? 信じて頼ることが出来る人?
「……」
「……」
執務室に沈黙が降りた。
大公館の整えられた立派な庭に遊びに来ているらしい小鳥の声が聞こえ、執務室にある立派な置き時計の秒針が、カチコチと動く音が大きく聞こえる。さらに、館から離れている所を移動していく馬車の音まで聞こえる。
いたたまれなくて、私は放置されている紅茶に手を伸ばした。温くなってしまってはいたけれど、すっきりとした味でとても美味しい紅茶だ。
さすがは大公家、高価な茶葉を使っているんだろう。
大きな息が吐かれ、大公閣下が沈黙を破った。
「……分かった。レイナ嬢、キミはフェスタ王国で知り合った誰ひとりとして、信頼していなかったのだな。助けを求めるなんて思いもしなかった、ということだ」
それは、申し訳ないと思いつつも……私と同じ状況にあって王宮の誰かに信頼を寄せろ、という方が難しいのではないだろうか。
私の周囲にいた人はみんな私を番に見捨てられた惨めなゴミ、嬲っても問題のないサンドバッグ、楽しい噂話の元となっている娯楽、くらいにしかみてなかった。
その人たちを信頼しろと? 無理だ。私はそこまで心が広くはないし、強くもないし大人でもない。
「事情はおおよそ理解した。この先のことは私に任せ、キミはここでしばらく過ごして貰いたい」
「えっ……」
「キミを王都に連れて行くことに変わりはないが、相応の準備が必要だ。その準備が整うまでの間、この屋敷で自由に過ごしてくれて構わない。キムを護衛として同行させるのなら、街に出ることも近隣の村に行くことも構わない」
そう言って大公閣下はソファから腰をあげる。執事さんが音も立てずに執務室のドアノブに手を掛けた。
「その代わり、出かけても必ずここに帰って来るように。行方不明にはならないでくれ、探し出すのは手間だ」
勝手に出国した私に勝手に居なくなるなと釘を刺すと、執事さんが開けた扉に向かい廊下に出る。その直前に大公閣下は足を止めて振り返った。
「レイナ嬢」
「……はい」
「覚えておいて欲しい、人は己を頼りにしてくれない相手を頼ったりはしない。己を信じてくれない相手を信じたりはしない。誰かが助けてくれるのを待つばかりではなく〝助けてくれ〟と自ら声をあげなくては誰も助けない。キミは幼子ではないのだから」
濃い飴色をした大公閣下の瞳に、呆けた顔をした私の顔が写っていた。
「キミの行方が分からないと知ったマッケンジー上級文官とその部下は、キミを探した。彼らは文官として責任者としての意識もあっただろうが、私財を投じてまで探している」
トマス氏が? 私を探していた?
「それに、お披露目会開催中にキミの世話をしていた侍女、マリンというリス獣人の娘だ。あれも侍女仲間と共に、休日キミを探して城下街を回っていたそうだ」
マリンさんが?
「キミが信頼出来ないと切り捨てた者でも、あちらはキミを案じて探し回っていた。それを知って覚えておいて欲しい」
大公閣下はそう言って執事さんを連れて出て行った。
執務室には呆然とした私と肩を竦めるキムだけが取り残され、お昼を知らせる鐘の音が響き渡った。
目の前に置かれたのは大きなマグカップ。お皿の上にはナッツとチョコの入ったクッキー。
いつも飲み物と言えば、華奢なデザインのティーカップに紅茶だったから、白い大きなマグカップにマシュマロの浮かんだココアは珍しい。
「腹が減ると碌なコト考えないって、相場が決まってるんだヨ」
大公閣下の立派な執務室を出て、本館から当面の住まいとなった大公館の東館に戻った。なんだか疲れてしまって、東館に入ってすぐ横にある休憩室でぼんやりしていた。
昼食は全く食欲がなくて遠慮したのだけれど、気にしたんだろうか。
「……ありがと」
チョコレートの甘い香りに、溶け始めたマシュマロはココアの海に半分ほど沈み始めている。口にココアを含めば、甘さは思っていたより控えめだ。一緒に出て来たクッキーが甘めだったので、甘みの少ないココアとの相性は良かった。
キムはテーブルの向かいに座ると、自分の手にあるマグカップに口を付ける。
「少しは落ち着いたかナ?」
「落ち着いたっていうか、頭の中でいろんなことがぐるぐる回ってる」
今まで考えていたのは自分のこと、マリウスさん、グラハム主任、バーニーさんを始めとするランダース商会でお世話になった人たちのこと、リアムさんのことくらいだった。
私の中でフェスタ王国での想い出は辛くて苦しいことばかり、となっていた。誰も私のことなど気に掛けないし、心配なんてしまいと決め込んでいた。
まさかトマス氏やマリンさんが私を心配して探してくれるなんて、全然思っていなかった。だから、心配してくれたことをありがたく思うと同時に、申し訳なく思う。
「ま、変な部分で考えすぎなお嬢さんのことだから、そうだろうネ」
まだクッキーの残る皿を私の方に押しやり、キムは笑った。
「甘いものは心を落ち着けて、元気をくれるんだヨ。お嬢さん、甘いもの好きでショ」
「ありがと」
猫耳誘拐犯キムとの付き合いはほどほど長くなっている。なんと言っても三回の食事も移動中もほとんど一緒にいるし、宿の部屋も隣だったり向かいだったり。
とにかく一緒にいる時間が長い。お陰で興味もないのに、キムのことを色々と知ってしまった。同時に私のことを知られてしまった。
甘いお菓子や果物が好きだとか、洋服は落ち着いたデザインのものが好きだとか、あちこち旅をしてこの世界を見てまわりたいことまで。
「で、どうしようかネ?」
「? なにが」
「大公にちゃんと帰って来るなら、出かけて構わないって言われたよネ。出かけようヨ」
「…………本気?」
「本気も本気サ! お嬢さんはこの世界にある見た事のない景色やら、品物やら生き物やらを見たいと思ってるんだよネ? この街も見るべき所が多々あるし、近くの村にも連れて行きたいんだヨ」
キムなりに私を慰めようとしてくれてるんだろうか。
胡散臭い男だという印象に変わりはない、でも私があちこち見て回りたいと思っていることを考えて、それで誘ってくれることは純粋に嬉しかった。
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