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 アディンゼル大公閣下はオレンジ色の強い毛並の中にある黒い耳をピクピクと動かし、大きく息を吐いた。高貴な方はなんでもない仕草も気品がある。


「まあ、無断出国についてはよい。キミはそれが重罪になる所か、自分が出国禁止の立場にあることすら知らなかったのだろうからな」


「……」


「キミを無断出国の罪で裁くとなると、キミを保護する立場にあったトマス・マッケンジー上級文官とその部下たちを処罰し、キミを国外へ連れ出したランダース商会の者たちも、誘拐犯として捕らえ罰しなくてはならなくなる」


「……え?」


「そりゃあそうだろうサ!」


 戸惑う私を笑うように、キムが口を挟んだ。


 大公閣下と同じ場所にいるっていうのに、いつもの軽い調子のまま。大公閣下も執事さんも慣れているのか、特別口出しすることもない様子だ。


「お嬢さん、よく考えてみなヨ。マッケンジーはお披露目会の責任者で、奴と奴の部下たちが動いて開催されたわけだヨ。異世界から呼んだ番たちの安全に関してはマッケンジーが責任者なんだネ。番が伴侶となる獣人と出会ってお披露目会最後のパーティーで正式に引き渡される、そのときに責任は奴から伴侶に移るわけサ。ここまではいいかナ?」


 私が首を縦に振ると、キムも縦に振る。


「けどお嬢さんは伴侶の番に引き渡されていないわけだから、キミの保護官はマッケンジーのままなのサ。保護対象であるキミが行方不明になったら、当然責任問題になるわけで……マッケンジーの保護責任者遺棄罪が問われるんだヨ。保護してるはずの異世界からの番に逃げられるなんて、前代未聞」


「……そんな」


「ランダース商会の連中に至っちゃあ、誘拐犯だヨ! フェスタ王国が呼んだ異世界からの番を、伴侶とまだ出会ってない番を! 国外に連れ出すなんて! 誘拐以外のなにものでもないんだヨ。誘拐だって重罪だし、出国禁止のキミを出国させちゃったなんて、これまた前代未聞」


 勢いよく語ったキムを、大公閣下が手で制して止めてくれた。止めてくれなかったら、もっと語っていたに違いない。


「まあ、大元を辿れば……伴侶にお披露目会で迎えに来て貰えなかった異世界からの番、という存在も前代未聞だ」


 とどめを刺された私は俯いた。

 膝の上に置いていた手が震える。


 私が国を出てしまったことでトマス氏や彼の下で働いている文官さんたちが責任を問われ、ランダース商会のマリウスさん、グラハム主任、バーニーさんが誘拐犯にされてしまうなんて……想像もしてなかった。

 そんなつもりはなかった、と言っても意味がない。結果は変わらない。


「知らぬこととは言え、申し訳ありませんでした」


 それでも頭を下げ、謝罪の言葉を口にしないわけにはいかなかった。


「トマス・マッケンジー氏にご迷惑をかけるつもりは全くありませんでした、ランダース商会の商隊に関しては私が同行を願い出たのです。どうぞご容赦下さい」


 この先、どうしたらマッケンジー氏と部下さんたち、ランダース商会の面々に掛けられた容疑を晴らすことが出来るのだろう?


「それはよい、と言っているだろう」


「え……ですが」


「問題なのは、キミに出国を考えるきっかけの方だ。理由があったから、フェスタ王国から離れようと思ったのだろう?」


 顔を上げると、正面には表情ひとつ変えていない大公閣下とその後ろで両肩を竦めているキムが目に入った。


「一応調べはついてるんだけどサ、お嬢さんの口から説明して欲しいんだヨ。お嬢さんの立場から見た状況、お嬢さんが感じたことをネ」


「……それで、どうして国を出ようと?」


「私がこの国にいる意味がありましたでしょうか」


 私がそう答えると、大公閣下は長い尻尾を揺らし首を傾げた。心底私の言葉の意味が分からない、という風だ。


「意味? あるに決まっているだろう。キミはフェスタ王国にいる獣人の番なのだから、王宮から出たとしても王都に滞在するべきだ」


「……心からそう思っておられた方が、王宮に何人いたでしょう」


 当時のことを思い出すと、胸が痛い。


「王宮での私は番に迎えに来て貰えず、従姉妹に縋り付き同行を断られた、行き場のない異世界人でした。誰かの番として召喚されたのではなく、なにかの間違いで従姉妹と一緒に間違って来た不要の人と言われたこともあります。事実無根の噂を沢山流され、私に居場所はありませんでした」


「……」


 大公閣下とキムは目を見開いて言葉を飲み込む。


 彼らは私がお披露目会の後どんな風に王宮で過ごしていたのか調べただろう、寮に移って〝異世界課〟で翻訳の仕事をしながら過ごしていたことを。

 噂を流されていたことだって知っていたはずなのに、どうして驚いて見せるのだろう。


「王宮での生活は順調でした。仕事は嫌いじゃありませんでしたし、労働をしてその対価としてお給料を貰うことで、私はあの場所で辛うじて居場所を得ておりました」


「異世界課の課長はキミを高く評価していたよ。沢山の本を翻訳してくれたし、分からなかったことも丁寧に解説してくれたと」


「……仕事でしたので」


 異世界課の中では普通に過ごせていたと思う。課の同僚さんたちとも普通に会話が出来ていた。

 けれど異世界課から一歩外へ出れば、そこは結構な地獄だった。異世界課の室内と寮の自室だけが安全地帯だった気がする。


「最初は王宮から出ようと思いました。城下町で部屋を借りて、翻訳の仕事でもして暮らしていこうかと」


「でも、お嬢さんは国を出たよネ? その理由は?」


「……私を〝宝珠の館〟へ入館させたい人が大勢いらっしゃるようでした。館入りすることを望んで、人間ではない種族の子どもを私に生ませたい人が」


「それは、本当か!?」


 大公閣下は身を乗り出した。私は首を縦に振って肯定する。


「名前も顔も分かりません。でも、新しい血が館に入ることを喜んでいましたし、私が入館しなかったら肩すかしだとも言っていました」


「……それで、お嬢さんは国を出る決意をしたのかナ?」


「このまま王宮に王都にいたら、強引に館入りさせられる可能性がある、そう思いました。なので、商隊に同行させて貰うことにしたのです」


 ぼすんっと音をたてて大公閣下はソファに座り直し、片手で顔を覆った。耳は伏せられ、尻尾は苛立たしそうにあちこちを叩いている。


「キミが置かれていた状況、立場については理解した。宝珠の館に関することで恐怖を抱いたことも、そこから逃げ出すことで自衛しようとしたことも理解した」


 小さく息を吐いた。

 少なくとも、私が出奔しようとした理由については理解して貰えたようだ。それなら、マッケンジー氏や商会の皆への責任問題や誘拐罪もえん罪としてなんとかなるかもしれない。


「でもサ、お嬢さん」


 キムは真面目な顔で私を見つめた。


「お嬢さんの事情はよく分かったヨ、逃げ出したくなる気持ちも理解出来るヨ。でも、どうして助けを求めなかったのかナ?」

お読みいただきありがとうございます。

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ありがとうございます。

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