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六本足のスリア馬は大人を四人も乗せた客車を引き、風のように走る。客車の窓から見える景色がどんどん後ろへと流れていく。
木々に囲まれた森の中の街道を走っていたのが、徐々に木が少なくなり背丈の低い木に変わる。
客車の中には美少女メイドのコニーさん、猫耳誘拐犯キム、そして私、御者台にマッチョな見張りのルークさん、という位置で移動を続けている。
私がランダース商会の契約社員として暮らしていたウェルース王国の王都ウェイイルから攫われ、ミッドセアという街のお屋敷に監禁された。そこでキムにかけられた魔法の影響で体調不良になっていたため、療養の意味合いが強い監禁になった。
体調が良くなったころ、ランダース商会の商会長夫人でクルトさんのお母様であるマダムヘレンと不可解で不快なお茶会をし、その途中で乱闘騒ぎに巻き込まれ、恋した人が連れ戻しに来てくれたのはいいけれど、結局誘拐犯からは逃げられず馬車に放り込まれて慌ただしく出発。更に恋した相手の名前や立場があやふやだ、ということを知らされた。
情報量が多い。
しかも、お茶会から乱闘、強引な移動開始とリアムさんに関しては、数時間の間に入ってきた情報だ。私の脳の処理能力を大幅に超えている。
戦う人、戦う獣、怒声、悲鳴、呻き声、唸り声、咆哮。割れて砕けた食器やガラス、引き裂かれたカーテン、壊れた家具。流れて飛び散った血液。
私の耳の奥と瞼の裏にまだ鮮明に残っている。
戦うこととは私が今までに経験してこなかったもので、普通に元の世界で生きていたとしたら、死ぬまで経験がなかった可能性が高いものだ。
私の心と体は驚き、今は軽いショック状態にあるように感じる。心は痺れて麻痺に近く、深く物を考えることと感じることが上手く出来ない。
親しい人が亡くなったとき、親族が心を守るためにぼんやりして過ごすことがあると聞いたことがあった。それに近いような気がする。
「次に行く大きな街はきっと楽しめるヨ、期待して」
キムは相変わらず飄々とした感じに言う。
あのお屋敷でマダムヘレンとの不快なお茶会も突然始まった乱闘騒ぎも、リアムさんと戦って彼に大きなケガを負わせたことも、自分がケガをしたことも、なにもなかったかのように。
包帯やガーゼが痛々しいけれど、痛そうな素振りを見せることもない。
「いい加減、教えてくれない? 誰に頼まれたかってことは話してくれないだろうから、もういい。けど、私をどこにどこへ連れて行こうとしてるのかくらいは、教えてくれてもいいんじゃない?」
だってもう、私ひとりの力じゃあウェイイルに戻ることなんて出来ない。荷物はなにも持っていないし無一文で、身分証だってキムに「これは預かるからネ」と取り上げられてしまった。
おかげで商業ギルドに預けてあるお金を引き出すことも出来ないし、大きな街には入ることも出来ない。
キムたちとはぐれたら、私は野垂れ死ぬしかないのだ。死にたくなかったら一緒に行くしかない。
「…………連れて行くっていうか、帰るんだけどネ」
キムは長い足を組み、同じく長い尻尾で座面をリズミカルに叩く。尻尾がクッションの効いた座面をパシンパシンと叩く音が客車内に響いた。
「……フェスタ王国の王都ファトルに?」
「そう。お嬢さんが気になってる、誰が俺に命令したのかどうして帰るのかって理由……は本人から聞いて欲しいナ。本人から聞いた方がお嬢さんも納得出来るだろうし、俺に命じたお方も、直接お嬢さんに話しがしたいだろうしネ」
キムは……きっとある程度立場のある人なんだろうと思う、メイドや侍従さんのような職業の人たちに命令することに慣れているから。
そんな立場の人に〝異世界人レイを王都ファトルに連れ戻せ〟と命令出来る人となると、かなり身分の高い人になる。
私にはそんな身分の高い人に知り合いなんていないから、誰なのか想像も出来ない。
勿論、私に話したいことの内容だって全く分からない。
異世界から召喚されたのに、番から迎えに来て貰えなかった不憫な異世界人、宝珠の館に行くしか道がない可哀想な異世界人、従姉妹とその番に領地へ一緒に連れて行ってと縋って断られた哀れな異世界人……それが南離宮と王宮で貰った私の評価だ。
誰がどう聞いても良い評価とは言えない。
そんな自分に会って、直接話したいことがあるなんてろくな内容じゃないに決まってる。
王宮にいる間、惨めに孤立した私を皆が笑い、馬鹿にし、噂話を耳にして新たな噂話を生み出して、より一層孤立した。そして、それを見て皆が笑い哀れんで楽しむ。
当時を思い出すと、背中に冷たいものが走る。
たったひとり誰に気に掛けて貰えることも庇って貰えることもなく、王宮で働く人たちのサンドバッグ兼娯楽になっていた。
行き着く先も、行き着いてからも……私にとっては辛いことになりそうだ。そして、そこから逃げることは許されない。
それなら、このまま心が麻痺したままがいい。いっそ凍り付いてしまえばいい。痺れて凍った鈍い感覚でいるなら、なにを言われてもなにをされてもやり過ごせそうな気がする。
そうだ、王都ファトルでの時間をやり過ごせたのなら、また国を出よう。
今度はひとりで国を出る。ひとりでも辻馬車と定期船を使えば、比較的安全に移動が出来ることが分かっている。
どこかの商隊に通訳や翻訳の仕事を兼ねて同行させて貰ってもいい。目的地に到着したらそこで終わるビジネスライクな関係なら大歓迎だ。
髪を短く切って、庶民の男の子がよく着る木綿のシャツとズボン、皮のブーツにフードの付いたポンチョ、帽子はキャスケットタイプにしよう。鞄はリュックタイプがいい、両手が自由に使えることは大事だ。
船に乗って、東を目指す。
どうやら東に行けば行くほど、アジアっぽい文化圏になるようだと確認が取れている。
大陸の東端にはファンリン皇国という大きな国があって、そこから船で東の島国ポニータ国へ渡れる。おそらく、あの国が一番日本に近いんじゃないかと思われた。
私は日本人だから、やっぱりずっと暮らすのなら日本に近い文化圏で暮らしたい。お箸を使ってお米を主食に過ごしたい。
コトコトと揺れる客車の中で、私はギュッと目を瞑りお腹の奥にある吐き気と嫌悪感と恐怖を押さえつけた。
キムに命令を下した偉い人と会って話を済ませれば、私は解放される。その後は自由だ。
私は唯ひたすらに、旅立つことと旅だった後のことを考え続けていた。ひたすらに。
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