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黒と灰色の混じった毛並み、手やお腹の辺りの毛は真っ白だ。今は傷付いて汚れてしまっているけれど、ふわふわと心地良い毛並みだろうと分かる。
大きな狼だ、けれど分かった。あの狼はリアムさんだ。
赤く染まっていた瞳は青く変化して、その顔に理性が戻って来たように思えた。
「リアムさん!」
「レイ、大丈夫か? 今……」
言葉を遮るようにキムがリアムさんに飛びかかった。ふたりは揉みくちゃになって、転がって壊れたテラスサッシにぶつかった。
骨が軋むような、なにかが折れるような嫌な音がした。重たいうめき声もする。
「ルーク、コニー! さっさと行けッ」
「お嬢様、参ります! ここは危険ですっ」
私はコニーさんの手を振り払い、リアムさんの方へと駆け出した。砕けたガラスだらけの床は走りにくいし、転べば怪我は免れない。でも、私はリアムさんの元へ行きたかった。
「いけませんっ」
すくい上げられるように体が浮いた。気が付いた時には、ルークという名のマッチョな見張りくんが私を抱え上げていた。身長は百六十センチを越えていて体重だってそれなりにある私を軽々と抱え、廊下側の扉に向かって走り出す。
すぐ近くにいたリアムさんの姿があっという間に小さくなって行く。
「リアムさんッリアムさんッ!」
見張りくんの腕から逃げようと体を動かして必死に暴れるけれど、見張りくんにとってはなんの抵抗にもなっていないようだった。
「レイ! ……レイナッ!」
「っ……リアムさんっ」
リアムさんの声を聞きながら私はサンルームの部屋から連れ出され、そのままあちこちで起きている小競り合いの横を駆け抜け、裏門から馬車に乗せられた。
「下ろしてっ!」
馬車の扉に手をかけたけれど、扉は全く動かない。鍵が掛かっているのか、それとも魔法でなにかしているのか分からないけれど、押しても引いても全く動かない。
「下ろしてってば!!」
「お嬢様、落ち着いて下さいっ」
客車に一緒に乗り込んだコニーさんに押さえ込まれた。細くて華奢な体なのに、身動きも取れない。獣人さんの力は強くて、ネコ獣人であるコニーさんひとり振り払うことも出来ない。
そうこうしているうちに馬車は勢いよく走り出す。
コニーさんに押さえ込まれたまま客車の窓から外を見れば、お屋敷の外でも小競り合いが起きていた。
「なんで……、なにが起きてるの? リアムさん、怪我して……」
「お嬢様、落ち着いて下さい。さあ……腕と手首の手当を致しましょう」
クッションの敷かれた席に座らされて、されるがまま手当を受けた。右腕は捻ってしまったようで、全体的にスヤッとする薬を塗り込まれる。
手首はマダムヘレンに掴まれた手の形も鮮やかに、そのまま痣になっていた。こちらには湿布のようなものを貼られ、包帯を巻かれる。
「しばらくはあまり手首を動かさないよう、気を付けて下さい」
手当が終わり、再び窓の外を見ると景色は今までとは全く違うものになっていた。白い壁と黄色味の強い赤い屋根の街並みだった景色は、秋の森になっている。
六本足の馬が引く馬車はかなりのスピードで街を出て、新たな目的地に向かっているらしい。
私はただぼんやりと流れる景色を窓から眺めていた。
自分の身の回りでなにか起きているのか、さっぱりわからないまま……流れに身を任せるしかなかった。
馬車が止まり、客車の扉が開くと見張りくんが降りる私に手を差し伸べてくれた。その手を借りて外へ出ると、小さな村の宿屋前にいることが分かった。
村はログハウスっぽい木の家が並んでいる。宿屋や食堂、薬屋などのお店や各種ギルドの支店が並んでいて、自分の居る周辺が村の中心部なんだろうと思った。
宿屋の二階にある部屋に案内されてコニーさんが煎れてくれたお茶を飲んでいると、ノックもなしに扉が開いてキムが入って来た。
いつものキムは少し着崩してはいるものの上等なシャツとパンツスタイル、でも今は彼らしくない下層庶民が着るようなシャツとパンツ姿。
体のあちこちに大なり小なりの傷を負っているみたいで、包帯が巻かれガーゼみたいなものが当てられている。少し痛々しい。
「無事お嬢さんをここまで連れて来られてよかった、コニー、ルーク良くやったナ」
コニーさんとルークさんはキムに軽く頭を下げた。
「で、お嬢さんは……無傷ってわけにはいかなかったが、軽傷でよかったヨ。治癒魔法が使える奴がいないから勘弁してネ。ここで一日、二日休んで補給してから出発するから、そのつもりで」
「…………リアムさんは?」
「リアム? あー、あのオオカミくんネ。大丈夫、大丈夫。獣人って生き物は人間の何倍も丈夫に出来てるし、傷の回復も早いからサ。ま、二、三ヶ月もすれば動けるようになるヨ」
「なんでそんな怪我させるようなことしたの!? 大体、あの乱闘騒ぎはなんなの!?」
キムは部屋に備え付けられている椅子に座ると、大きなため息をついた。
「あれは、俺たちにしても予定外だったんだよネ」
「予定外?」
「あの屋敷であんな乱闘騒ぎになるなんてこと、全く想定してなかったってことサ」
ボサボサぎみの毛並みをさらに掻き回すように、キムは自分の頭をかきむしった。
「マダムヘレンはお嬢さんに会って、家族に言い訳してもらおうとあの屋敷に通った。さらに、寮の部屋にあったお嬢さんの荷物も纏めて持ち込んで来た」
まさか、マダムヘレンが私の部屋にあった荷物をあのお屋敷に持ち込んでいたとは知らなかった。
「それを知った三男坊の嫁になりたい貴族のご令嬢は思ったのサ。商会の三男坊と、お嬢さんがいよいよ結婚するんだってネ。義理の母が義理の娘の荷物を秘密裏に匿ってる屋敷に運び込んだ、んだからサ。まあ、そう思っても仕方がないよネ」
「……え」
「マダムはさ、お嬢さんを閉じ込めるつもりなんてなかったからネ? 自分の用事が済んだら、お嬢さんが希望する所へ送っていくつもりだった。隠すつもりもないから、尾行とか無頓着で困るヨ」
「……え」
「結婚云々はもちろんご令嬢の勘違いだヨ? でもご令嬢本人と彼女の家は自分たちの思い込みを信じて、お嬢さんを傷付けることに決めたのサ。顔に傷を残すとか、手足を使い物にならなくさせるとか、無理矢理汚すとか……そのために破落戸を金で雇った、それが第一グループ」
キムはお茶菓子のプレーンクッキーに指を置いた。
「もうひとつは、マダムヘレンを護衛しているランダース商会の護衛たち」
チョコレートクッキーに指を置く。
「さらにもうひとつは、攫われたお嬢さんを取り返しにやって来たランダース商会の有志メンバーとあのオオカミくんの一団」
ナッツの乗ったクッキーに指を置く。
「そして、あの屋敷とオレたちを守るために最初からいた警備の連中」
マーブル柄のクッキーに指を置く、そしてキムはその四つのクッキーをお皿の中央でぶつけた。
「貴族の破落戸を雇って、屋敷にいるお嬢さんを襲撃するとは思っていなかったんだよネ。商会の連中が、お嬢さんを取り返しに来るかも……とは思ってたけどネ? まさかマダムヘレンが来てるときに、一斉に仕掛けてくるなんて思わなかったヨ。混乱に乗じてって……思ったのかもしれないけどサ」
キムは四つのクッキーを次から次へと口に入れ、クッキーカスが零れるのも気にせずにバリバリと咀嚼した。
「お陰で俺たちはてんやわんやだったヨ、なんとか切り抜けられて良かったけどサ。参った参った」
そう言いながらも、あまり参ったような印象を受けることはない。相変わらず飄々としていて、捉えどころのない男だ。
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