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「それでね、お願いがあるの。私ね、今とても困ったことになってるのよ」


 マダムヘレンは改めて居住まいを正し、私に向き合った。

 とても嫌な予感がする。


「……なんでしょう?」


「あのね、レイさんの口から説明をして欲しくて」


「説明?」


「クルトとあなたが番かもしれない、という噂を社交界に流したわ。それは事実よ。だって、ミレイちゃんを守るためだったのだから、仕方がないでしょう」


 前のめりになったマダムヘレンの体が丸テーブルを押し、テーブルの上の茶器やお皿がガチャリッと音を立てる。私のティーカップに入っていた紅茶がゆらりと揺れ、僅かに零れた。


「その噂を流したのが私だと、夫と長男夫婦に知られてしまったの。夫は〝ミレイのためなのだから、仕方がない〟って納得してくれたのだけれど、長男夫婦が全然納得してくれないの」


「……」


「ミレイちゃんを守る方法は他にあったはずだって、あなたに迷惑をかけて危険な目に合わせていいわけないって。そう言って非難ばかりするのよ、噂のお陰でミレイちゃんを守れたのに」


 最低でもご長男夫妻はまともな考えの持ち主であるようで、少しだけ安心する。ランダース商会の次の商会長夫妻までもが、現商会長夫妻と同じような考えの持ち主だったら先はないだろうから。


「ミレイちゃんはね、イヌ獣人なのだけれども小型犬種で体が小さくて気も弱いの。だから、守ってあげなくちゃいけない子なの」


 今、私の中でランダース商会の株は急降下している。


 身よりのない外国から来た私と契約をしてくれて、寮を提供してくれた。一緒に働く職員さんは皆私に良くしてくれた。だから、いつか私がこの商会を離れても買い物で利用しようと思っていたし、今後の発展を心から願っていた。


 でも……もう、今はそこまで思えない。

 ただ、潰れて欲しいわけじゃないから、商会の未来を背負うご夫婦が常識的な人たちでよかったと思う。


「あなただってどうとも思っていないわよね? だって、大したことされていないでしょう。ちょっと貴族のご令嬢やそのお家から手紙を貰ったり、少しばかり文句を言われただけだものね」


 毎日二十通から三十通、私の人格や存在を否定する内容の差出人不明の手紙を受け取ること。

 見知らぬ貴族のご令嬢やその従者さんたちに睨み付けられ、声を荒げて事実ではないことで文句を言われること。時には手を出されかけること。


 今まで私が受けた苦痛や恐怖は、大したことではない。

 私がなにも思っていない、なにも感じていない、とマダムヘレンは信じている。


「それに、あなたは家族もいないし番もいない……誰かに心配をかけてしまうような立場でもないもの。なんにも問題ないわよね? だからね、あなたの口からセシルとダイアナに説明して欲しいのよ」


「なにを……説明しろとおっしゃるのですか?」


 声が震えた。この先の言葉を聞くのが恐い。


「なにって、分からない子ねぇ」


 マダムヘレンは困ったような表情をし、聞き分けの悪い子どもを見るように苦笑いを浮かべた。


「今回クルトとあなたが番かもしれないって噂を流したことは、あなたも承知の上でやったことだって、あなたの口から説明して欲しいの」


 心臓が冷え、息が止まった。

 この人が本気で私に願っているのだと分かる、分かるからこそ心が凍り付いた。


「最初からあなたも承知していたことだし、手紙を貰ったことも文句を言われたこともなんとも思っていないって言ってくれたら、セシルとダイアナも納得してくれるわ。私がしたことは正しくミレイちゃんを守ったことで、なんの問題もないんだって分かってくれる」


 最後に残った栗のプチケーキを優雅に口に運ぶと、マダムヘレンは微笑んだ。本当に優しい笑顔だった。


「分かってくれるわよね、レイさん。だから、一緒にウェイイルに戻って、私のお屋敷に来て頂戴」


 スッとマダムヘレンの手が伸びて来て、私の手に触れようとする……のを咄嗟に躱し、私は席を立つ。それは反射的な嫌悪感からだった。


「レイさん? どうしたの?」


「……嫌です」


 一歩、二歩と丸テーブルから下がって距離を取る。


「どうしてそんなこと言うの? レイさんが直接説明してくれなかったら、長男夫婦に嫌われてしまうわ。次男夫婦にもクルトとミレイちゃんに知られて、納得してもらえなかったら? もし嫌われてしまったらどうするの? 私、そんな風に家族が壊れてしまうのは困るの。家族とは仲良く暮らしていきたいじゃない」


 マダムヘレンも席を立ち、私に近付いて来る。


「嫌だと申しました」


「どうしてなの!? どうして説明してくれないの? 説明してくれた後は自由にしてあげるわ。お金も好きなだけ払うし、あなたの気に入った宝珠の館に連れて行ってあげるから」


「は……い?」


 どうしてそこで宝珠の館が出てくるの? 


 意味が分からない恐怖に包まれた私は、両手で自分の腕を抱え後ろへ後ろへと下がる。けれどマダムヘレンが近付いて来るから、距離は縮まらない。


「だって、あなたは異世界からの番。でも運命の人からいらないと捨てられた子なんでしょう? だったら宝珠の館に行くしかないじゃないの」


 マダムヘレンが距離を一気に詰めて、あっという間に私の右手首を掴んだ。白くて傷ひとつない美しい手だけれど、力が強い。


「そうだわ、特別な館に紹介状を書いてあげるし、寄付金も沢山払ってあげる。それでいいでしょう!? ウェルース王国で一番格上の宝珠の館よ? やって来るのは王族か限られた上級貴族だけ、それに異世界人の方に選択権があるの。あなたが選べる立場になれるのよ」


「っ……いたっ」


 栗色の瞳が爛々と輝き、手首を掴む手に力が入って痛みが走る。けれどマダムヘレンは止まらない。


「ワルテアにある宝珠の館、本来あの館に入るためには異世界人の方も安くないお金を払わないといけないの。でも私がちゃんと払ってあげるし、ワルテアまでちゃんと送り届けてあげるから」


「……痛いっ、放して下さい! コニーさんっ」


「さ、ウェイイルに戻りましょう! 私も商会長夫人としての仕事もあるから、そんなに長く街を空けてはいられないの」


「マダム、おやめ下さい!」


「放してっ」


 右手を引っ張られると肩の方まで体の中からミシリと嫌な音がして、痛みが走った。痛いから手を放して欲しいと何度訴えてもマダムヘレンは取り合わない。


 止めるコニーさんをものともせず、私を引き摺るようにサンルームを横切り出口へ向かう。細いのに想像以上の力だ。


「マダム、困りますヨ? 許可したのはお話するだけ、連れて行っていいなんて言ってないですしネ。それに言ったじゃないですか、あなたは暴力や暴言の可能性がある、と判断してるって」

拙作の投稿をはじめて丁度一年が過ぎました。この一年、お付き合いいただきありがとうございます。

今までに沢山の方に読んでいただけたこと、本当に感謝しております。

まだ主人公の物語は続きますが、この先もお付き合いくださいますと嬉しいです。

今回もお読みくださいまして、ありがとうございました!

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