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お屋敷に連れて来られて数日が経つけれど、私のと言われた部屋から出るのは初めてだ。
私が滞在しているこの場所は宿屋ではなく、貴族か商家の持つ別邸のように見える。華美過ぎることはないけれど、適度な装飾の施された内装に絵画や彫像などの美術品が廊下やホールに飾られ、飾られたばかりだろう花も花瓶に活けてある。
食事だって体調が悪い私が食べられるように、優しい味付けの柔らかくなるまで煮えた料理が並んだ。
このお屋敷の持ち主は、広いお屋敷を美しく維持出来るだけの財力があり、しっかり仕事をこなすことが出来る使用人や料理人を抱えている。
「中庭はあんまり広くないんだけどネ、大きな木があって気持ちがいい場所なのサ。芝生の上に敷物を敷いて、手掴みで食べるのもいいものだヨ」
案内された中庭は全面に芝生が生え、中央に大きな木が一本あり、秋なのに深い緑色の葉を茂らせ白い花を咲かせている。庭の隅の方には花壇が作られて、秋に咲く黄色や赤い花が小さな花を沢山咲かせているのが見えた。
手入れが行き届いている。
マッチョな見張りくんが分厚い敷物を木陰に敷いてくれて、私はその上に置かれた丸クッションの上に座るように促された。
秋の乾いた風が吹き、木の葉が揺れる。
こんなに気持ちの良い場所でピクニックなんて……いつぶりだろう? 子どもの頃、両親とお弁当を持って出かけた海浜公園以来だろうか。
バスケットから取り出されたのは、豪華なサンドイッチだ。スモークハムと葉野菜を挟んだもの、挽肉をいれたオムレツを挟んだもの、ポテトサラダを挟んだものなどが並び、チーズやボイルしたソーセージ、デザートにはカットされた果物が沢山広げられる。
「遠慮しないで食べてネ? でも、無理はしないで」
「……いただきます」
ポテトサラダサンドを手にして齧りついた。小麦の香りが香ばしく少し堅めに焼いたパンに、マヨネーズがたっぷり使われたマッシュポテトが美味しい。
異世界から大勢の人が召喚されて来ているこの世界は、驚くほど食生活に違和感がない。マヨネーズもケチャップもあるし、パンも麺類もある。この辺は召喚された先輩達に感謝しかない。
「このマヨネーズってのはサ、天才的な調味料だと思うんだヨ。これを開発した人、この世界に伝えてくれた異世界人に感謝を」
猫耳誘拐犯キムはマヨネーズの入ったボトルに祈りを捧げ、ポテトサラダサンドにたっぷりと追いマヨネーズをして美味しそうに食べた。口の周りにマヨネーズがついたけれど、気にする様子はない。
「そろそろ、教えて貰いたいんだけど」
コニーさんが煎れてくれた紅茶でサンドイッチを流し込み、そう切り出すとキムは口の周りのマヨネーズをペロリと舌で舐めとる。その仕草はとてもネコっぽい。
「お嬢さんはなにが知りたいのかナ? 答えられることがあるかは分からないけど、取りあえず質問を聞くヨ」
「ここはどこ?」
「ウェルース王国ミッドセア。王都ウェイイルから馬車で半日くらいの街だヨ」
「これから私はどうなるの?」
「どうって言われてもネ、どうもならないと思うヨ?」
「ここからまた移動するの? 移動するならどこへ行くの?」
「移動はするネ。お嬢さんの体調が良くなったからサ、ぼちぼち移動の準備中。行き先はまだ秘密だヨ」
キムは笑い、私にスモークハムと葉野菜のサンドイッチを取ってくれた。ひと口噛み付けば、シャクッとした葉野菜と燻された香りのするハムがとても美味しい。
「誰に頼まれたの? 誰かに頼まれて、私をどこか指定された場所に連れて行こうとしてるんでしょ?」
「そう、オレはある方の命令を受けて行動してるのサ。お嬢さんを無事に指定された場所へお連れする、それがオレの今の仕事なんだヨ」
「ある方って誰?」
「……お嬢さんが知らない方だヨ。心配しなくていい、ある方はお優しいから、どう転んでも酷いことにはならないからネ」
どうやら、キムに私の誘拐の命令をした人のことや行き先に関しては、話すつもりはないらしい。食い下がって聞いた所で、はぐらかされるのが落ちだ。
「他に聞きたいことはないのかナ?」
「……そう言えば、私がここで目を覚ましたときに魔法がよく効いちゃってって言ってたけど、どういうこと?」
「よくぞ聞いてくれました! お嬢さんにラブレターを送ったんだけど、それに仕込みをしといたんだよネ」
ラブレター? そんなものを貰った覚えはない。貰う手紙は正直に言って不幸の手紙の部類だ。
「あれれ? ほら、お嬢さんくらいの女の子が好きそうな、可愛いレターセットを使ったんだヨ? 花模様が可愛いやつ」
そう言われて思い当たった。中身がなにも書いてなかった、庶民向けのレターセットで送られて来た手紙。あの手紙にこの猫耳誘拐犯キムがなにか細工をしていた、と。
「……あれ、あなたが」
「そう、ちょっとだけ体調を崩しちゃうような魔法を仕込んでたんだヨ。ちょっと熱が出て咳が出る風邪の諸症状的なネ」
あの体調不良がこの猫耳誘拐犯キムの魔法のせい、それが分かると非常に頭に来た。熱が出て朦朧としたし、咳が止まらなくてとても苦しかった。
「なんでそんなことをしたの?」
「だって、お嬢さんを無理矢理連れて来るのに、元気なままじゃあ俺たちが大変でショ? でも、お嬢さんが異世界人だってこと配慮し忘れて、思った以上に体調悪くなっちゃった。魔法が効き過ぎたみたいで、ゴメンネ」
ごめんと謝罪するわりには、にこやかで気持ちは全く感じない。内心で悪かった、なんて微塵も思ってないに違いない。
「それで、こっちからひとつお願いがあるんだけどサ……」
私は、ブルーグレーのスカートに刺繍も鮮やかなブラウス、ざっくり編まれたカーディガンを着せられてから部屋を出た。
「気楽なお茶会ですので、お茶とお菓子を楽しんで下さい。もし退出されたくなったら、私に合図して下さい」
中庭でのピクニックランチをキムとした翌日、お願いされたお茶会に参加する。
コニーさんに説明をされながら、お屋敷一階にあるサンルーム的な場所に案内された。
ガラス張りのテラスの向こうにはお屋敷の前庭が見える。赤やピンクのコスモスっぽい花が咲き、奥に植えられた木は紅葉した葉が赤や黄色に染まっていて綺麗だった。昨日の中庭とは趣が違って華やかな印象の庭だ。
「ようやく会えたわね」
テラスに用意された丸テーブルと椅子がセッティングされていて、テーブルには美しいデザインのティーカップと、栗を使ったプチケーキとベリーのジャムとクリームの乗ったミニカップケーキが並んでいる。
椅子に優雅に座っていたのはひとりのご夫人。
シックなシャンパンゴールド系のデイドレス、ゴールドとシルバーを合わせ、真珠をポイントに使ったアクセサリーも上品だ。
淡い茶色の柔らかなそうな毛並みに垂れた耳から、ゴールデンレトリバー系のイヌ獣人マダム。どこかで見たような印象だけれど、はっきりと覚えがない。
「こうして面と向かって顔を合わせて、お話するのは初めてね。レイさん?」
マダムは私の名前を知ってる。でも、私は……
「分からないのも仕方がないわね。私はあなたをよく見ていたけれど」
「……」
「私はヘレン。ヘレン・ランダースよ。クルトの母と言えば分かるかしら」
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