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遠くで人の話し声が聞こえる。
なにを言っているのかはっきりと聞き取ることは出来ない。でも、楽しい話しをしている感じはない。どちらかと言えば揉めている感じだ。
なにを揉めているのか聞き取ろうとすると、私自身の感覚や意識が徐々に戻って来る。体の中心部分から少しずつ少しずつ腕、指先に向かって熱が広がっていく。
「……んう」
「お! お嬢さん、気が付いたのかナ?」
声がはっきりと聞こえて、ミントのようなスヤッとした香りが漂って来た。その香りを嗅いでいると、感覚や意識の回復が急激に早くなってくるのを感じた。
意識が強引に引っ張り上げられているような感覚だ。
「いやあ、良かった良かった。なかなか目が覚めないから、さすがに不安になったヨ」
目を開くと灰色に黒の混じった毛色、薄水色の瞳、先っぽが丸みを帯びた猫耳、太くて長い尻尾……二度と顔を見たくないと思う件の猫耳男が私を覗き込んでいた。
私はベッドに横になっていて、猫耳男が手にしている小瓶の香りによって覚醒したようだった。
「……ここは?」
「キミの寝室。二日も目が覚めないからサ、本当に心配したヨ? 異世界の人は魔法が使えなくて、魔法への耐性も全くないって知ってはいたけどネ。こんなによく効いちゃうなんて、思ってもみなかったんだヨ」
私が聞きたかった「ここは?」の質問の答えじゃないのは、多分、絶対ワザと答えなかったんだろう。だって、この猫耳男はアガサさんを傷付けて、私を誘拐した張本人。私に現在地なんて教えてくれるわけがない。
「で、気分はどうかナ? 大丈夫そうなら、なんか食べないとネ」
ベッドサイドに置かれたテーブルの上にあった銀色のベルを猫耳男は鳴らした。リンリンッとベルの音が響いて、すぐに扉がノックされた。制服らしいグレーのワンピースに白いエプロン姿の女の子が入って来て、深々と一礼する。
「お呼びでしょうか」
真っ白い毛色にヘーゼルの瞳、長毛種のネコ獣人さんだろうか。とっても美人さんだ。
「紹介するネ! この子はコニー、今からお嬢さんの身の回りの世話をするから。何かあったら遠慮なく頼ってネ」
「いや、自分のことくらい自分で……」
「コニー、やっとお嬢さんの目が覚めたからサ、宜しく頼むヨ。食事と入浴と着替え。お嬢さんはまだ体調がよくないから、体調の回復にも努めてネ」
「かしこまりました。まずはお食事の用意を致します」
「……」
猫耳誘拐犯と美少女メイドは私を無視して、私の扱いを決めてしまった。どうやら私が生きてさえいれば良くて、私の意思などは関係がないらしい。
「まあまあ、そんな膨れっ面しないでヨ。可愛い顔が台無しだからサ?」
猫耳誘拐犯は私の体をゆっくりと起こし、背中に枕やクッションを入れてくれた。その手つきがとても優しく、丁寧で驚く。もっとこう、ガサツで乱暴な男なんだと思ってた。
「……あのサ、物凄く失礼なこと考えてないかナ? 言ったよネ、お嬢さんを傷付けたりはしないヨ」
「私が暴れたり逃げ出したりしなければ、でしょ?」
「そういうコト。コニーはネコ獣人だけど、逃げ出したお嬢さんを追いかけて捕まえて連れ戻すくらいは余裕だからネ? 獣人と人間とは体の基本的な能力が違うから、妙なことは考えない方が良いと思うナ」
ノックが響き、食事とお茶の乗ったワゴンを押して美少女メイドが戻って来た。ベッド用の小さなテーブルをセットし、野菜スープと柔らかそうな白いパン、小さめにカットされた果物とミルクティーを並べてくれる。
「食事の介助は必要ですか?」
「大丈夫、自分で食べられます」
「ゆっくり食べてネ。あ、それから俺のことはキムって呼んで。なんだか失礼な感じに呼ばれてる気がするからサ」
猫耳で誘拐犯なことは事実だろうに。
「……そんなことより、なんだか揉めているようだけど。そっちはいいの?」
ミルクティーを口に含んで、口の中や喉を潤しつつ聞いてみた。
眠っている間に聞こえた声はまだ聞こえている。隣の部屋って感じではないけど、ほどほど近い所でなにやら騒いでいる。なにを言っているのかは聞き取れない、でも、ずっと揉めていることだけは分かる。
「ああ、アレ。問題ないヨ、お嬢さんにも俺たちにも一切関係ないから安心して休んでネ。お嬢さんがすることはゆっくり休んで、体調を回復させることだけサ」
キムという名の猫耳誘拐犯は「後は宜しくネ」とコニーさんに言うと、長い尻尾を揺らしながら部屋から出て行った。そのとき、チラリと扉の横にマッチョな獣人さんが立っているのが見えた。
日に焼けた小麦色の肌、黒い髪に丸みを帯びた耳、長い尻尾は黒いヒョウとかジャガーとかそういう印象だ。そして、その腕は丸太のように太い。強そうだ。
これは……見張りとか監視という存在なのではないか?
ぼんやりと猫耳誘拐犯キムの出て行った扉を見ていると、コニーさんに食事を促されたのでもそもそと食べた。
部屋は日本でいう所の十畳くらいの広さで、セミダブルサイズの天蓋付きベッドが一台、大きな鏡の付いた化粧鏡台が一台、布張りのソファとローテーブルが一セット。小さな棚の上にはガラス製の花瓶が置かれ、白と青の花が生けられている。
家具も食事の乗る食器も中級レベルのものが使われているので、裕福な庶民層から下級貴族が使う宿屋のお部屋か別邸の客間という印象だ。
窓ははめ殺しで開かないけれど、これは私のいる部屋の階が高いので転落防止のためなのだろう。窓から見える景色は高い所から街を見下ろす感じだ。
下に見える街並みには見覚えが全くない、でも雰囲気からするとウェルース王国の地方都市だろうと想像する。
窓に掛かるカーテンやベッドリネンの色は白や薄緑が使われているので、男性でも女性でも使えるように用意されているようだ。
誘拐されて運ばれた先、としては上等なんじゃないだろうか。牢屋の中とか檻の中でもなく、手足を拘束されているわけでもない。
室内を観察しながら食べたスープもパンも果物も美味しかったんだと思う……実際には、ほとんど味を感じることはなかったけれども。
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