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アガサさんが倒れてる、しかも知らない猫耳男がその背中を踏みつけてる! 苦しいんだろうアガサさんは時折体を動かしては、呻くような声をあげてる。
「うっぐ!」
「悪いなぁオバサン。ちょっとだけ大人しくしててくれよ、そしたらこれ以上なにもしないからサ」
「やめてよっ! アガサさんを放して!」
そう言いたいのに、口の中に布を詰め込まれてその上から猿ぐつわを噛まされて声が出ない。むーむーとかうーうーとしか声にならない。
「こらこら、暴れないで!」
「むーっ! んんーーー!!」
知らない男に後ろから羽交い締めにされて、力一杯暴れるけども上手く体が動かない。あっという間に足を紐で纏められた。
「ホントにサ、大人しくしててくれよ。別に俺たちはオバサンに用があるわけじゃないんだからサ。ね? 分かってヨ」
そう言って猫耳男はアガサさんの背中踏む足に力を入れてから、ようやく足を退かした。でも、アガサさんは動かない。
イヤだイヤだ、アガサさんが死んじゃう!
「大人しくしなヨ、お嬢ちゃん? キミが大人しくしてくれたら、もうこのオバサンには何もしないからサ。大体ね、キミと一緒に居たからこのオバサンはこんな目に合ったんだヨ?」
え? 私のせい? 私のせいでアガサさんは倒れてるの?
「はー、そうですよ。大人しくしていて下さい、元気なのは良いことですが、お転婆はいただけません」
私を羽交い締めにしていた茶色い毛並みの垂れ耳犬獣人は、私が暴れるのを止めたのを幸いと、黒塗りの馬車に私を押し込めた。
外側には装飾の類いも全くない、シンプルな黒塗りの客車。けれど、内装は思っていた物の十倍は豪華だ。内側には落ち着いた色合いの柔らかな布地が貼られて、座席のクッションも分厚く肌触りも上質。身分の高い人がお忍びで使うような客車だ。
「んんー!」
「お嬢さん、お静かに」
猫耳男が自分の口元で人差し指を立てた。
「大人しくしててくれないと、あのオバサン……本当に殺しちゃうヨ? キミ自身だって痛い思いしちゃうかもネ? こっちとしたらキミの足が動かなくなっても、手が動かなくなっても、なーんにも問題ないんだしサ」
氷のような薄青色の瞳を細めて笑って、ひとつに纏めて縛られている私の右足に手を掛ける。猫耳男の指先にある爪が、ニュッと伸びた……とても長くて鋭い。
アキレス腱の辺りに、猫耳男の長くて鋭い指の爪が何度も擽るように触れる。私のアキレス腱なんて、一瞬で切られてしまうんだろう。
猫耳男は……本気だ。
なんの理由があって、私をどこに連れて行こうとしてるのかは分からない。でも彼らにとっては私が多少傷付いても、命さえあれば問題ないのだ。
「良い子だネ、物わかりが良くて素直な方が可愛げがあっていいヨ。言うこと聞いてくれたら、痛いことは多分……しないから、安心してネ」
猫耳男は私を横抱きに抱えて座席にそのまま座った。向かいに片方の耳だけ垂れた男が座り、馬車の扉が閉まる。
それと同時に馬車は結構な勢いで走り出し、中が大きく揺れた。
「んうっ」
「あー、悪いネ。こっちも急いでるからサ、キミ具合悪いんでショ? 体調考えるとゆっくり行きたい所だけど、そうも行かなくてネ。俺が支えてあげるから、我慢だヨ」
馬や鳥の引く車には何度も乗ったし、長距離移動も経験済みだ。でも、こんなにスピードを出して走る車には乗ったことがない。
客車を引く馬や鳥の疲労もあるし、どんなに上等な客車でも衝撃があって乗っている人にダメージがあるから。
けれど、この馬車は馬の疲労も乗っている私たちのダメージも気にするつもりはないらしい。
猫耳男が私を抱えているとは言っても、上へ下へと揺さぶられるし、全く信用出来ない嫌な雰囲気の男に抱えられているという嫌悪感、更に私は元々体調不良なことも手伝って……体調はどんどん悪化して来た。
熱が上がっているのか体がとても暑い。揺さぶられたことで馬車酔いして気持ちも悪く、吐き気がこみ上げる。同時に咳が出始めるけれど、口に詰められた布のせいで上手く呼吸が出来ずに苦しい。
「アレレ? 本格的に具合悪くなって来たのかナ?」
猫耳男はもう目も開けられない私の顎を掴んで、強引に上を向かせた。もうなんの抵抗も出来ない。
「……死なれたら、困るんだよネ。キミはさ、大事な存在だからサ。でも、元はと言えばキミが悪いんだから、多少は我慢しなくちゃだヨ」
意味が分からない。
私がなにかしたって言うの? なにも悪いことなんてしてないし。
フワッと甘い匂いを感じた。
熟しきった甘い南国産の果物みたいな、ねっとりした濃くて甘い匂い。私の顔の近くに匂いの元があるみたい、匂いは薄れることなく私の鼻を刺激した。
「……ううっ」
「ゆっくり深呼吸しなヨ、凄く楽になるからサ」
気分が悪いところに甘い匂いをたっぷりと嗅がされて、私の意識は真っ黒い闇に絡め取られる。洗濯機で洗濯中のシャツやタオルのように上下左右関係なく揉みくちゃにされるようで、私は闇の中で悲鳴をあげて泣いた。
恐い、苦しい、気持ち悪い。
助けて!
どっちが上なのか下なのかも分からないけれど、とにかく手を伸ばして助けを求めた相手は……黒い毛並みに覆われた尻尾を揺らし青い瞳を細めて笑う、紺色の制服を身に纏ったリアムさんだった。
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