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 誰かが、わざわざ『クルト・ランダースと商会社員のレイは番であるらしい』という噂を社交界限定で流している。


 おそらく、私がクルトさんのお兄さんたちに擦り寄っているとか、商会で好き勝手しているとか、そういう噂は付属的に発生してきたものなのだろう。


 噂はクルトさんと私が番だろう、というただそれだけ。


 誰が、何のために?


 私の頭にはクエスチョンマークは幾つも浮かんだ。


 この噂を社交界で流して、一体誰が特をすると言うのか私にはさっぱり分からない。


 ふと喉の奥がまた乾燥してきて、咳が出た。私はぬるくなった紅茶をゆっくりと飲んで、咳を沈める。


「……私には、理解出来ません」


「そうだな、俺にもどうしてそのような情報操作をしているのか分からない。この国の社交界については詳しくない、内情を探る伝手もない以上、現状では手の打ちようがない。だが、何かしら手を打たなくては」


 私はティーカップをソーサーに戻すと、何やら考え込んでしまったリアムさんの手に右手を重ねた。


「どうして、こんなに……優しくして下さるんですか?」


 ずっと疑問だった。


 狼獣人であるリアムさんには番さんが存在している。今はまだ出会えていないようだけど、半分の人が番と出会えるのだからリアムさんだってきっと出会える。


 それなのに、番でもない私に対して良くしてくれて優しくしてくれる。

 お陰様で好きになっても、恋をしてもその先がはない、辛い思いをするだけだって分かっているのに……好きになってしまった。


 優しくしてくれることを勘違いしてはいけない、これは友情だったり親愛だと思い込もうとした。けど、駄目だった。

 粉々に砕けたはずの私の恋する心は、それでもまた恋という気持ちを抱いてしまった。


「……」


 目をまん丸にして、大きな三角形の耳もピンッと立てて、リアムさんは驚愕の表情で私を見た。本当に驚いている顔だ。


 その顔を見て、しまったと思った。


 さっきのセリフはまるで私のことを恋愛的な感情で好きだから、という前提条件でもって話しているように聞こえる。


 リアムさんにとって私は友人で、恋の対象ではない。だって、獣人さんにとっては番さんだけが本当の意味で恋して愛する相手なんだから。


「あっ……その、ごめんなさい。変なこと聞きました、忘れて下さい」


「……レイ」


「あの、大丈夫です。噂のことは自分でなんとかします」


「しかし、社交界の話しだぞ? 個人でなんとか出来るような問題ではないだろう」


「いえ……大丈夫です。やりようはあるので」


 私は笑って見せた。

 ちゃんと笑えているかは分からないけど、ファミレスのバイトで身に着けた〝営業スマイル〟というやつ。微笑んでいるようには見えるはずだ。


「レイ?」


「ありがとうございます、話しを聞いて貰えて気が楽になりました。昼間はご令嬢方からも守って頂いて、本当に嬉しかったです」


 窓から見える夜空が一気に明るくなった。

 こちらでも花火の最後は一気に大きな花火を沢山打ち上げてフィナーレを飾るらしい。


 青、赤、黄色、オレンジ、緑などの花火が夜空一杯に広がって、ポポポンッという音が光りを追いかけるように響く。それを見ている人たちの歓声も聞こえてきた。


 この花火が終わると、三日間に渡って開催された〝白花祭り〟は閉幕する。

 次のお祭りは三年後の晩秋。


 次の〝白花祭り〟が開催されるころ、私は一体どこで何をしているんだろう? 

 どこの国のどこの街に居てもいい、穏やかな気持ちでこのお祭りを楽しんで、今日のことを幸せな思い出として思い返していられたらいいな、と思う。


「リアムさん。本当に、ありがとうございました」


 今日という日が最高に幸せな日だ、私は心からそう思った。

 それと同時に、この幸せを失いたくなくて悲しくなった。






 〝白花祭り〟が終わり、後片付けが終われば街は通常の姿へと戻って行く。


 ランダース商会も通常営業に戻って、私も本店で翻訳作業をしたり打合せや買い付けに同行して通訳をしたりと、いつもの日常業務をこなしている。


 私への差出人不明のお手紙も相変わらず届いてはいるけれど、少しだけ数を減らした。二十五通前後だったものが、十通程度になった……中身は相変わらずだけど。


 少し変わったと言えば、咳が出るようになったこと。


 朝晩の寒暖差が激しいので、もしかしたら風邪でも引いたのかもしれない。元々喘息気味だったから、気を付けなくちゃいけない。


 秋も深まって冬が近付いて来ている。

 この国には結構な量の雪が降るそうで、寒さもなかなか厳しいと聞いた。ぼちぼち真冬用の洋服や、コートにブーツなどを新調するべきだとは思っている。


 ただ……今以上に物を増やすことに躊躇いを感じている私は、新しい物を買えずにいる。


 リアムさんにはなんとかすると言い切ってしまったけれど、あの噂に関して私が出来る行動はひとつ。


 ランダース商会を辞めて王都ウェイイルを去る、それだけだ。


 ご令嬢方やそのご家族方が私を気にするのは、クルトさんの番かもしれないという曖昧な立場だからだ。社交界に縁がなく、守ってくれる家も家族もない私に出来ることは立ち去るだけ。手紙にも書いてあるように、私がここから居なくなれば問題は解決する。


 この街から立ち去るつもりなら、荷物を増やしたくはない。非力な私が持てる荷物は限られているし、お金だって節約(乗り合い馬車に大きな荷物を乗せるには、別途荷物料金を払わなくちゃなのだ)しなくちゃいけない。


 コンコンコンッと乾いた咳をして、手に持っていたガラスペンをペン立てに戻した。この頃は咳が一度出始めると止まらない。


 お茶を飲んだり、喉に良いというハチミツや果物味の飴をなめたりもしているけど、効果が出ている感じはない。


「……レイちゃん、大丈夫? お祭り終わってから、咳が出てるけど」


 マリウスさんが温かい飲み物を持って来て、咳が止まらない私の背中を摩ってくれた。同室で仕事中の職員さんたちも不安そうな顔をしている。


「ハチミツ湯よ、ゆっくり飲んで」


「ありがとうございます……」


 ランダース商会を辞めるということは、マリウスさんやグラハム主任、バーニーさんたち皆ともう会えなくなるということだ。


「それ飲んだら今日はもう帰りなさいな。倒れてしまいそうよ?」


「……はい、そうしますね」


 こんな風に気遣って貰えることもなくなる。


 当然、リアムさんとご飯を食べに行くことも、休日に遊びに出かけることもなくなる。声を聞くことも、笑顔を見ることも、触れることもなくなる。


 酷く悲しくて寂しくて、涙が零れそうになって……私は温かいハチミツ湯を強引に飲んだ。

 あったかくて甘くて、とても優しい味がして美味しかった。

お読み下さりありがとうございます。

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