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 力強く掴まれた腕を引かれ、勢いのままに振り返るとそこにはリアムさんがいた。


「……えっと?」


 息が上がっていて、額からは汗が沢山流れている。紺色の制服の上着を脱いで腕に持っていて、着ているシャツは汗に濡れ、ネクタイは大きく緩んでいた。


「さ、探した……」


「え?」


 リアムさんとの約束はお祭り三日目だ。私は一日目に仕事が入っていたし、リアムさんは一日目と二日目は仕事だと言っていた。

 リアムさんは大きく息を吐いて呼吸を整えると、苦笑を浮かべる。


「…………本当はキミの仕事が終わる少し前には、商会の販売ブースに行くつもりだった」


「え、え?」


「予定では定刻通りに仕事が終わる予定だったんだが、想定外に客が多くて、なかなか終われなかった。それで、キミの所へ行くのが遅れてしまった」


「でも、その……約束、してませんよね?」


 私の腕を掴んでいたリアムさんの手が移動し、私の手を握り込む。

 大きくて、硬い手だ。でも、とても温かい。


「約束はしてない。ただ俺がキミに会いたくて、夕食を一緒にしたいと思っただけだ」


 一気に血が流れて、私の顔は耳まで燃えるように熱くなった……きっと不自然に赤くなっているだろう。

 でも陽が落ちかけて薄暗いし、オレンジ色の強い魔法ランプのお陰でごまかせている……と思いたい。


「だから、一緒に食事にしよう?」


 これで、ノーと言えたなら……きっと人としての情を無くしてしまってる。


 私は情を失ってもいないし、無謀にもリアムさんにひっそりと恋をしようとしているのだ。

 はいかイエス、しか返事のしようがなかった。






 賑やかなレストラン街から奥に入った小さなお店に入り、テラス席へ案内された。メインストリートの喧噪が遠くに聞こえて、煩くはないけど賑やかさは感じられる。


 このお店はお肉料理が美味しいと有名だと聞いたので、名物のひとつであるミートパイとマッシュポテト、ナッツとカリカリベーコンをたっぷり散らしたサラダを注文した。飲み物はレモンのようなライムのような、スッキリした味と香りのする炭酸水を選ぶ。


「商業ギルドはお祭り期間でも忙しいんですね」


 仕事の後は誰だって疲れが見えるものだけれど、今日のリアムさんは疲労度がとても高そうだ。


「そうだな、通常の業務はないんだが……イベントを開催している」


「イベント、ですか?」


「ああ、〝詰め放題〟というイベントだ。先代のギルド長夫人が始めたことらしい。ひとりにひとつ袋や籠を渡されて、定額でその中に商品をいっぱい詰め込んでいいというものだ。溢れたり、袋や籠が破れたり壊れたりしたらそこまでで」


 詰め放題? 

 私の記憶が正しいのなら、ひとり五百円とか千円払ってビニール袋を貰う。そしてその中にお菓子や野菜を詰められるだけ詰めて、零れなければ大丈夫というやつだ。


 先代のギルド長夫人は私と同じように、日本から召喚されて来た日本人に違いない。きっとこの国のお披露目会で無事に番さんが迎えに来てくれて、異世界人の番として普通に生活してきた人なんだろう。


「詰められる物によって値段が違うが、五百ガルから千ガルで菓子や野菜が沢山買えると、ご婦人たちが山のように押し寄せて来ていてな……」


 リアムさんは今日のことを思い出したのか、明日のことを想像したのか、はたまたその両方か……運ばれてきたエールをぐいっと飲んで息を吐いた。


「お疲れ様です。〝詰め放題〟は主婦層には人気のイベントですからね。殺気立つ女性客が多いのは仕方がないかと」


 スーパーの詰め放題は母や伯母も熱心に参加していたし、情報番組でも見たことがある。

 有名お菓子メーカーがやってる詰め放題とか、詰め放題の達人がいるとかなんとかかんとか。だからきっとこっちの世界の主婦に受け入れられて、人気が出るのも納得だ。


「そういう、ものか」


「そういうものなのです。見守るしかないですよ、逆らっちゃ駄目です」


 リアムさんは再度大きく息を吐き出すと、運ばれてきたホールのミートパイにナイフを入れた。パリッという音をさせて、濃い目のきつね色に焼けたパイ皮が割れて中身の挽肉が肉汁と共にあふれ出る。


「美味しそう……」


「この店のミートパイは食べやすいと評判だ。食べきれなかった分は包んで貰えるから、明日以降に食べると良い」


 大きなミートパイはふたりでシェアしてもとても食べ切れそうにない。テイクアウトが出来るなら、明日のご飯の心配もなくなってありがたい限りだ。


 ミートパイを切り分けて貰っている間に、私はサラダを取り分け、付け合わせのマッシュポテトも盛り付けた。


 スパイスの効いたミートパイは美味しくて、滑らかなマッシュポテトと良く合う。食感の楽しいサラダに口がさっぱりする飲み物。


 目の前には好きになりかかっている男性がいて、和やかに楽しい食事が出来ている。

 私は、今幸せだ。幸せを確かに感じている。


 この世界に来て色々なことがあった。辛いことも切ないことも、頭にくることもあったけれど……ここ一年は幸せだ。


 でも先のことを考えると、不安しかない。


 いつまでもランダース商会の契約社員ではいられないし、リアムさんとの関係も不明。なにより、妙な噂が上流階級レベルで流れている以上、今後も身分の高い人から絡まれたり、何かしらの行動を起こされる可能性がある。


 クルトさんとの関係を噂されているのだから、商会を辞めて別の街で別の仕事を探すことも考えた方がいいかもしれない。


「レイ、どうかした?」


「えっ……あんまり美味しいから、食べ過ぎちゃったみたいです。お腹いっぱいで、苦しくなっちゃいました」


「そうか?」


 考えなくちゃいけないことだけれど、今考えるのは止めよう。


「はい」


 せっかく、楽しくて幸せな気持ちなんだから。

 楽しくて幸せな思い出を、作ってる最中なんだから。

お読み下さりありがとうございます。

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