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「就業時間は過ぎたぞー! よっぽどの急ぎじゃないのなら、適当にして終われよー!」


 開け放たれた扉をノックする音と同時に聞こえた声に私は書類から顔をあげた。廊下から半分体を室内に入れているのはクルトさんだった。


「あ、お疲れ様です」


「もうこんな時間?」


「お疲れ様。急ぎの仕事はなかったはずだよね? いつまでも仕事していたら駄目だよ」


 クルトさんのモットーは、良く働いて良く食べて良く遊んで、良く休む、なのだそう。だから急ぎの仕事がないときの残業は、彼にとっては駄目なことなのだ。


「すみません、もう終わります」


「私も終わりまーす」


 時計は終業時刻を三十分ほど過ぎていた。まだお店の方は営業しているけれど、事務系である私たちは余程のことがなければ定時で終業する。


 私は訳していたページに栞を挟み、インクとガラスペンを片付けた。窓の施錠を確認してから、私物の入った鞄を肩に掛ける。


「では、お先に失礼します」


「お疲れ、また明日。あ、レイちゃん、明日はクレームス帝国から来た商家の人間と商談があるんだ。通訳をお願いするよ」


「分かりました」


 店全体の施錠を確認してから帰る、と言うクルトさんに一礼して私は他の事務系職員さんたちと一緒に裏口から外へと出た。


 夕食を一緒にどうか、家に食べに来ないかというお誘いをやんわりとお断りする。彼女や彼らには恋人さんや伴侶さんがいる、夕食はカップルの中に入り込む形になるのだ。


 さすがにお祝い事とかお祭りなら受けるけども、何もない時にカップルの邪魔をするなんて……いたたまれない。


 フェスタ王国にいた頃、私を食事に誘ってくれるような人はいなかった。


 お披露目会の時、杏奈の番さんに大怪我させられるまでは杏奈と一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりした。でも、大怪我の後からはずっと部屋でひとり、ご飯やおやつを食べた。


 杏奈や知り合った異邦人仲間さんには、番である獣人さんがいていつだってラブラブ(杏奈と番さんはギスギスしてたけど)で、その間に誰かが入り込む隙はなかった。


 ランダース商会にお世話になってからは、マリウスさんやバーニーさん、グハラム主任を始めとして、同じ商会のお仲間さんと一緒にご飯を食べることになった。仲間と一緒にご飯を食べるって楽しいことだ、と思い出させて貰った。


 でも基本的にみんなには仕事を離れたら、伴侶さんや結婚を約束した恋人さんがいる。私はあくまで仕事の仲間、仕事を終えたらみんな大事な人のところへ帰って行く。


 獣人という生き物は、番や家族をとても大切にする一族なのだそう。仕事が終わればみんな急いで家族の待つ家に帰るか、恋人との待ち合わせ場所へと一直線。


 その様子は微笑ましいし、少しだけからかえば可愛い反応が返ってきてこっちもほっこりする。


 時々、そんな様子を見ていると無償に羨ましくて、寂しくて苦しい気持ちになる。私にはそんなお相手はいないんだって、思い知らされるから。


「レイちゃーん!」


 声を掛けられて振り返ると、帰り支度を済ませたマリウスさんが小走りに駆け寄って来た。


「バザー&ティーパーティーがあるんだけど、一緒に行かない?」


 シャツの胸ポケット入っていた一枚のチラシを私に見せてくれた。チラシには女神様を祭っている教会が開催するバザーとティーパーティーのお知らせが書かれている。


「ティーパーティーとか謳ってるけど、教会に併設されてる孤児院への寄付を募るバザーと、お茶を出して休憩所を設置してるだけだから」


「孤児院?」


 教会は勿論独立機関だけれど、国や貴族からのお布施的なものも大切な収入で……孤児院の運営費もそれらの収入が大きなウエイトを占めるんだろう。

 少し拙い文字なのは、きっと孤児院にいる年長の子たちが書いたものだからだ。


「そうなの。孤児院で暮らしてる子たちが作ったお菓子と飲み物、刺繍をしたハンカチやクッションカバー、寄付された品を販売するの。販売しながら、寄付も集めるって感じ?」


 日本でも幼稚園とかでそういうイベントがあったような気がする。家庭にある不要品とかをバザーで販売して、その売上げを寄付する、みたいな。


「どう? ハンナも行くから、一緒に行こう?」


「でも、お邪魔じゃないです?」


 マリウスさんの愛妻ハンナさんは狐獣人で、震えるほど美しい黒い毛並みを持ったスーパー美人。ふたりは番で、プライベートではもう見てるこっちが恥ずかしいくらいにラブラブだ。ラブラブカップルの邪魔なんて絶対したくない。


「ハンナがレイちゃんと一緒に行きたいって言い出したのよ? 販売するカップケーキも一緒に作って欲しいって。ね? バザーの前日うちに来てハナとお菓子を作って、そのまま泊まって! 朝になったら一緒にお祭りに行きましょう」


「……え、新婚家庭に泊まるって」


「新婚って、うちはもう結婚四年目よ! それに、家族が泊まるのなんて普通でしょ」


 マリウスさんは「決まりね! 週末はお泊まりセットを持って出勤してね。一緒に我が家に帰りましょう」と決めてしまった。


 勝手に、と思いながらも嬉しかった。


 強引に私を家族の一員として扱ってくれるマリウスさんとハンナさん。私だったら絶対に出来ない強引さで、私をその優しさで翻弄する。


 とても嬉しかった。

 お節介な兄夫婦のようなふたりの気持ちが、とても嬉しかった。

お読み下さりありがとうございます。

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