番外編・アンナと砂の街の領主 11
「彼女と彼女に付き従っていた者たちはこの屋敷を出て、別宅に移ってもらった」
「別宅って……」
「先代伯爵夫妻、俺の両親が暮らしている屋敷だな。ここから内陸部にある静かな街で、馬車で半日程度離れている。母に監視を頼んであるから、二度と勝手なことはさせない。約束通り、《婚姻式》はレイ殿と再会して、アンナが納得してくれてから準備を始める。納得してくれるまで、何年でも待つつもりだ」
「何年でも?」
そんなこと許されるのかな? あたしの言葉に伯爵は頷いた。
「私はアンナの気持ちを最優先したい。もちろん私と婚姻関係を結んで、生涯を共にしてほしいと願っているが……アンナがその気になるまで何年でも待つ」
「…………その気になるの、十年先かもしれないけど?」
「構わない」
「あたしの生まれたところでは、結婚する年齢はあがってて……女の子でも三十歳過ぎてから結婚するの珍しくないんだけど? 結婚しない人も普通にいるんだけど?」
「構わない。十年でも二十年でも、アンナがそのつもりになってくれるまで待つ。婚姻関係を生涯結ばない……というのは苦しいが、側にはいさせてほしい」
胸がぎゅっと締め付けられるような、そんな感じがした。伯爵は本気で言ってる。
あたしがおばあちゃんになっても、この人はあたしを待ち続けるんだろうって……そう分かった。
「わかった」
「……それから、ネッドもここから出した」
「え、ええ?」
「レイ殿に関しての悪意ある噂、ことの始まりはあいつにある。あいつが想像していた以上に噂は大きくなってしまったようだが……そもそも、あいつが噂などを流さなければ問題はおきなかったはずだ。その責任は、やはり取らなければ」
伯爵の弟、ネッドは砂海を渡る船が往来する港町で警備を担当しているとのことだ。
沢山の船が行き来して、この国の人も他の国の人も大勢来たり出て行ったりする賑やかな街。賑やかだからこそトラブルが多く発生するし、人が大勢集まっていることを魔獣も知っているから夜だけじゃなく、昼間の警備も気が抜けないのだそう。
そこでネッドは警備兵として働いている。役職もなにもない新米警備兵で、門番をしたり、街中を巡回したり、夜間警備をしたりしているらしい。
「……それで、よかったの?」
ネッドはクマ獣人らしく力があってとても強いらしい。だからこの街の警備や魔獣狩りでは部隊を率いて活躍していたし、伯爵も頼りにしているって聞いていたのに。
「あいつはファルコナー伯爵家の者だとか、俺の弟だとか、そういう立場をなくして自分の力だけで仲間と信頼関係を結び、自分の居場所を確立することが必要なのだと判断した。そうでなくては、あいつは他の者の気持ちも、レイ殿の気持ちを理解できないだろう?」
伯爵は両手であたしの右手を改めて包み込んだ。相変わらず、その手は冷たい。
「アンナ、本当にすまなかった」
「……伯爵」
「俺を始め、ファルコナー家に関係する者の多くがアンナとレイ殿を傷つけた。彼らにはそのつもりがなかった、ファルコナー家のため、俺のため、そもそも女神が俺の番として呼んだのだから、と理由を様々につけていたからな」
この世界における、〝番〟っていう関係はとても大事な関係で、特に女神様が異世界から呼んだレイちゃんやあたしのような〝異世界からの番〟は特に大事な存在。
あたしからしたら、とても大事な存在なはずなのにあんまり大事にされてないっていうのが正直な感想だ。だって、レイちゃんやあたしの話を聞いてはくれないし、あたしたちの気持ちはいつだって無視されているから。
「傷つけるつもりはなかった、悪気はなかった、番だから、番であるアンナのためでもある、そんな理由をいくつ並べたところで、やっていいことではない。彼らの分も謝罪する」
「……」
「見ての通り俺は察しがいいわけではなくて、実際侍女長たちと弟が勝手にしていたことに全く気付かなかった。気配りはどちらかと言えば下手な方で、女性が喜ぶ贈り物と言われてもドレスや装飾品や甘い菓子と花くらいしか思い浮かばなくて……良かれと思ってしたことが裏目に出ることも多い」
確かに伯爵は細かなことは気にしない脳筋タイプだ。
伯爵はあたしの手を握り込んだまま、項垂れる。短い髪の中に見える丸くて小さな耳が、ペコッと伏せられた。
「思い返せば、何度もアンナは気持ちを伝えてくれていた……それが周囲に聞き入れられることは、少なかったかもしれないが」
「全然だよ、全くだよ」
正直にいえば、伯爵はさらに深く項垂れて「すまない」と言った。
「これからは俺を含め、屋敷の者全員がアンナの希望や気持ちを汲み取る。だから、これからも諦めず言葉にしてほしい」
ぎゅっと強めに手を握られ、丸い耳はピクピク動くのを見て……あたしはその耳に左手を伸ばした。そっと触れた耳はふんわりと柔らかな毛に覆われていて、温かくて指に心地いい。
「……っ! あ、アンナ!」
勢いよく顔をあげた伯爵は、両手で自分の耳を覆い隠してしまった。顔が赤い。
「え、あ……耳がかわいくて」
「獣人の耳と尻尾に軽々しく触れてはいけない! 男女に関わらず、俺以外の者の耳と尻尾には絶対に触れてはいけない!」
犬や猫も耳と尻尾に触られるの嫌がる子が多い。それと同じだろうと思って、ネッドの耳を思い切りつねってやったことがあった。伯爵の耳はそっと優しく触ったのに、痛かったのかな? 「ごめんなさーい」と謝れば、伯爵は顔を赤くしたまま首を左右に振って大きくため息をついた。
「それと、……アンナ、真剣に考えてほしいことがある」
「なにを?」
耳を大きく動かしてから、伯爵は居住まいを正して真剣な顔をした。
「キミは、貴族でいたいか?」
「へ? はぁ?」
質問の意味がよくわからない。言葉通りに考えれば、貴族としての身分でいたいかどうかっていう質問だ。まあ、あたしは正式に伯爵のお嫁さんになったわけじゃないから、この国の貴族といっていいのかどうかは疑問だけど……
「うーん。別にこだわってない。知ってると思うけど、あたしの生まれた国では身分とかないの。全員が平民。男も女も働いて、お金を稼いで生きていくのが一般的なわけ。だから、あたしにとっては貴族とか領主ってそういう立場の方が特殊なんだよね」
「……そうか、貴族は嫌か?」
「嫌かっていわれても、わかんない。だって貴族らしいことってどんなことなのかわからないからさ。あ、綺麗なドレスとかアクセサリーは嫌いじゃないけど、積極的に着飾りたいわけじゃないし、パーティーとかは疲れるからあんまりしたくない。……って、なんでそんなこと聞くの?」
伯爵は生まれたときから貴族で、ここの領主になるために育ってきた人だ。領主であることは当たり前のはずなのに。
「アンナは望むのであれば、ファルコナー伯爵家と領主の立場を他の者に譲ろうと思っている」
「は……」
「だから、考えてみてほしい。家と立場を譲る者の選別と、教育及び引継ぎがあるからゆっくり考える時間はないのだが、今日明日で結論を出す必要は……」
「ちょっ、ちょっと待って!」
貴族とか領主とかって、他の人に譲れるものなの!?
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