番外編・アンナと砂の街の領主 10
「ごめんなさい」
「すまなかった」
あたしの声と伯爵の声が同時にした。どっちも謝罪の言葉だ。
その後話をしようとするけど、お互いに「あのっ」とか「そのっ」とか同時に言ってしまって話せない。それを五も六回も繰り返したら、なんだかおもしろくなってくる。
「アンナ、いや、先に話してくれ。私の方が恐らく話が長くなる」
あたしは頷き、アイスティーを口に含んでから改めて伯爵に頭を下げた。
「ごめんなさい……あたしが抜けだしたせいで、大勢の人にいっぱい迷惑と心配をかけてごめんなさい」
「そのことについて聞きたい。なぜ、その……あんな時間に屋敷を出たんだ? 街の外は魔獣が出て危ないと言ってあっただろう。南部地域では夜行性の魔獣が多く生息していて、夜の砂海側の地域など……危険極まりないというのに」
「レイちゃんに、会いに行くつもりだったの。あそこを通り抜けて街まで行って夜立ちの辻馬車に乗って、レリエルに行こうって思って」
「……は?」
伯爵は目をまん丸にしてあたしを見た。〝なぜ?〟って気持ちが顔全体に書いてある感じ。
「レイちゃん、この国に帰ってきたんでしょ? レリエルって街にしばらく滞在するんだって聞いたから、レイちゃんに会いにレリエルに行きたかっただけ」
「なぜ、それを言ってくれなかったんだ?」
「言っても無駄だって、思って」
「無駄、だと……!」
「だって、もしあたしがレイちゃんに会いたいからレリエルに連れてって言ったら、連れて行ってくれた?」
あたしの問いかけに対して、伯爵は「それは……なんだ、その……」とモゴモゴと口の中で言うと、眉をひそめた。
「あたし……カッとなったんだよね」
「え?」
「なんていうか、ここの人たちはさ……伯爵のために一生懸命だよね。あ、それが駄目って言ってるわけじゃないよ? 領主と暮らしている人たちが仲良いっていいことだって思うから。でも……伯爵のためにってみんなが考えることがここでは当たり前で、そこから外れることはダメなことって考えで行動している人が多いじゃん」
伯爵の運命の相手であるあたしは、伯爵より従姉の心配をすることはダメなこと。
どうして運命を蔑ろにするの? どうして大事に想われている気持ちを返さないの? どうしてうちの伯爵を大事にしてくれないの? どうしてうちの伯爵の希望を叶えてくれないの?
そういう周囲から感じる気持ちは感じていたし、実際侍女長はしびれを切らしてあたしに無断で《婚姻式》の準備を進めて式を挙げようと計画を始めていた。
侍女長の勝手と、レイちゃんに宛てた手紙の未発送、レイちゃんに関する悪意満載の噂のこと、宝珠の館に関することを教えて貰えなかったこと。そういう事実が重なって、カッとなった。
それを説明すると、伯爵は顔色を悪くして俯いた。
「このままじゃあ、なにかと理由をつけてレイちゃんと会わせて貰えないって」
「……そう、か」
「あたしは、レイちゃんに会って無事を確認して、話がしたかったから。そのためには自分で行動するしかないって、思ったの」
伯爵は俯いたまま顔をあげない。
「でも、……あたしは間違えた」
「ん?」
ゆっくり顔をあげた伯爵は首を傾げた。
「カッとなったし、みんなのことが信じられなくなったよ。けど、それでも、あたしは諦めちゃいけなかったんだと思う」
「……アンナ」
「誰にもなにも言わずに、夜ひとりで部屋を抜けだして他の街に行こうっていうのはダメだった。ちゃんと伯爵に言わなくちゃいけなかったんだって……今は思う。あたし、外は危険だっていう意味をちゃんと理解できてなかった。結果的にあたしは助かったけど、あそこで死んじゃっててもおかしくなかったし、助けて貰ったあともお医者さんとかイヴリンちゃんたちとかに心配をいっぱいかけちゃって。そういうの、ダメだから」
あたしはベッドの上で姿勢を正した。柔らかなベッドマットの上では背中をまっすぐにするのが難しかったけど、大きなクッションに支えられるようにして背筋を伸ばす。
「ごめんなさい」
勢いよく頭を下げた。洗って、梳かして貰った髪は清潔で綺麗だけど、サソリにあちこち切られて毛先はバラバラ。そんな状態の髪が流れて、ベッドに広がった。
「…………そうだな、夜に外へ出ては危険だと誰もが注意したにも関わらず、外に出て魔獣に襲われた。大きなケガをして、医師の手を煩わせたし、侍女たちも通常の仕事に看病が加わって大変だっただろう。もし、もしもあのとき、〝アカクロボシサソリ〟にアンナが殺されてしまっていたら、侍女たちも屋敷の夜間警護と担当していた者たちも全員処罰の対象になっていた」
あたしは一瞬息が止まった。
そうか、身分のある社会なんだからそういうこともあるんだって、今分かった。
領主の番であるあたしが死んじゃったりしたら、イヴリンちゃんたち侍女も、護衛の人たちも〝領主の番を守り、世話する〟って任務が果たせなかったことになる。当然、責任問題が発生する。
そこまで、全然考えが及んでなかった。
「……はい」
「アンナ、カッとなることがある……私もそれはよくわかる。そうして考えなしに行動した結果、取返しのつかないことになることだってあると私も身をもって知った」
伯爵の大きな手があたしの肩に触れて、促されるまま顔をあげる。目の前にあったのは、すごく困ったような悲しいような伯爵の顔。
そう言えば、伯爵がレイちゃんに酷いケガを負わせたのも〝自分の大切な番と馴れ馴れしくしている男を見て、カッとなったから〟だった。実際にはレイちゃんは女の子で、あたしとは血の繋がった従姉妹という親しい関係で、伯爵が思ったような関係じゃない。ついでに言えば、くっ付いていたのはあたしの方だった。
カッとなって衝動的に行動した結果、伯爵とこの家は王家から重たい処罰を受けている。
「……はい、ごめんなさい」
「キミ自身のためにも、周囲にいる者たちのためにも、もう、しないでくれ」
「はい……」
「アンナ、キミが……魔獣に襲われて死んでしまうかと思った。とても、恐ろしかったよ……」
伯爵はあたしの右手を取った。大きくてゴツゴツしていて硬い手だ。
「本当にごめんなさい」
「ああ。次は、……私の話だ」
あたしの手に触れた伯爵の手は冷たい。
「私の方こそ、悪かった。すまない」
「?」
「アンナがカッとなったのは、レイ殿への手紙、私が隠していた書類のことと、《婚姻式》のことなどが原因だろう? ……実際に侍女長がアンナに話を通さずに、《婚姻式》で出す料理について料理長と話を進めていたこと、招待客の選別とドレスの発注をしようともしていたことも確認がとれている」
やっぱり、あの侍女長ならやるんじゃないかって思ってた。
「大丈夫だ、心配するな。料理と招待客のことは話だけの状態だし、ドレスは差し止めた……侍女長ももういない」
「え? いないって、どこ行っちゃったの!?」
驚いた拍子にベッドに置かれたテーブルに左手が当たって、コップとクッキーの乗ったお皿がカシャンッと音をたてた。
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