番外編・アンナと砂の街の領主 07
夜、シーツで作った紐を使ってベランダからリュックを下ろす。リュックはシュルシュルと音をたてて下がり、地面まで下りきった。
リュックの中には替えの衣類と最低限の化粧品、水の入った皮水筒とクッキーとキャンディーが入っている。小ぶりなイヤリングやネックレスなどのアクセサリーも幾つか入れたのは、換金用だ。
あたしのために用意してくれたアクセサリーを勝手に売るなんて、と思ってたけど……そんなこともう言っていられない。
あたしはどうしてもレイちゃんに会いたい。
リュックを下ろしたシーツの紐にあたしもしがみ付いて下を目指す。
二階だから大丈夫、そんな高くない! 子どもの頃には木登りだってしたし、大きな公園遊具で遊んだりしたから同じような感覚よ!
そんな風に思ってたけど、実際に下り始めてみると思ってたよりも怖い。落ちるかもしれないっていう恐怖と、誰かに見つかっちゃうかもしれないっていう恐怖が交じり合ってる。
でも、あたしは、レイちゃんに会いたい。
トラの人が置いていって、伯爵があたしに見せるのをためらった資料を見た。伯爵が見せるのをためらったのは分かったけど……けど、もっと早く見せてほしかったって思う。
その資料には、あたしと別れたあとのレイちゃんが体験したことが書かれてた。
王宮で働く人たちが面白半分で広げた心無い噂、異世界から来た人を保護する施設《宝珠の館》にレイちゃんを入れようとしてた人たちがいたこと。その《宝珠の館》って施設は、異世界から来た人を保護するって施設じゃなくて、お金で子どもを生ませるっていう……ちょっと考えられないようなことを最近までやってたことまで細かく丁寧に書いてあった。
幸いレイちゃんは無事だったけど、それもあって自分から王都を出て行ったんだと思う。
あたしが思ってた以上に、レイちゃんは大変な経験と辛い思いをしてた。そんなレイちゃんがこの国に帰ってくる……だったら、会いたい。会いに行きたい。
会ってなんて言葉をかけようとか、今は分からない。でも、顔が見たい、声が聴きたい。
足が地面に着くと、ホッと息が漏れる。すぐにリュックを拾って背負ってフードを被って、しゃがみ歩きで庭の植物に隠れながら移動した。もうみんな眠ってるとは思うけど、月明かりが眩しいほどだから万が一にも見つからないように息を殺す。
壁沿いに歩けば庭師が使ってる小さなくぐり戸があって、その戸を抜ければお屋敷の外。
残念ながら街側じゃなくて、砂海側に出る。街側に出られたのなら、すぐに辻馬車のロータリーみたいなところに行けるけど仕方がない。お屋敷の壁沿いに砂海に続く、砂丘っぽいところを通って街へ入ることにする。
くぐり戸は内側から鍵が閉めてあるけど、掛け金式だから内側から開けるのは簡単だ。あたしが通った後は……その、鍵が閉めてない状態になっちゃうけど。ごめんね、庭師さん。
そっと小さな木製のくぐり戸を潜れば、地面は土と砂が混じった感じになる。このまま真っすぐ南に向かえば、砂海になるらしい。砂海はまんま砂の海で、黄色からオレンジ色の砂が波のように打ち寄せては返すし、貝とかエビとか魚も住んでる。中には狂暴な魔獣も住んでいるとか……恐竜みたいなものをイメージしてるけど、合ってるのかは分からない。
土と砂が混じる地域にはゴツゴツした岩があちこちにあって、ヤシの木っぽい背の高い木が生えてて、その根元には地面を這うように背の低い植物が繁ってる。
もっと砂漠っぽいのを想像してたけど、植物が結構生えてるし紫や白の小さな花まで咲いていてここは以前いた世界とは違うんだなって改めて感じた。
くぐり戸を閉めて、あたしは壁沿いに歩き出す。今から行けば、夜に出発する最終の辻馬車に間に合う……はず。急げ!
ポンチョコートのフードの中に左右でおさげに結った髪を纏め入れて、リュックを背負い直して小走りに進む。ブーツが砂や小石を踏む音が思ってたよりも大きく響いて、どきどきする。獣人種族の人ってとっても耳がよく聞こえるんだもん。
お屋敷の壁沿いに移動しているから、足音を聞き取る人もいるかもしれない。どうか、誰もいませんように。
でも、その、分かってたことだけど、このお屋敷……大きい。壁添いに移動するだけでも思ってたより時間がかかるし、砂が多い場所を歩くのは大変だった。
まだ街側にも出てないのに、息があがる。
運動不足なんだって思う。こっちの世界に来てからのあたしはお姫様みたいな扱いで、お屋敷にある庭を散歩して、お屋敷からほど近い果樹園に通って、ときどき街中を散策するくらいしか運動していない。
足を止めて、大きく息を吸い込む。乾燥していて少し砂の匂いのする空気で胸がいっぱいになれば、乱れていた呼吸も整ってくる。
何度か大きく呼吸を繰り返して、あたしは再び一歩を踏み出した。
「……?」
背後でなにかの音がした、気がした。スルリというかサラリというか、軽い音。
耳を澄ますけれど、聞こえるのは風が吹いて植物の葉っぱを揺らす音くらい。気のせいだったのかな?
あたしがもう一度歩き出したとき、ザザーッという音をはっきりと聞いた。砂が流れる音、零れ落ちる音。
「……」
背後に、なにか、いる。
振り向いたらダメ。振り向かずに全速力で街に向かって走る……あれ、でも、あたしが街に向かって走って、後ろにいるなにかが追いかけてきたら? なにかが街の中に入っちゃう? そもそも、走るのが早くないあたしは、すぐに追いつかれちゃうんじゃない?
ドキンドキン、心臓の音がとても大きく聞こえる。冷たい汗が流れて、背中を流れてく。
怖い。すごく怖い。
この世界には怖いことがたくさんあって、危険なこともたくさんあるって聞いた。でも、そんなの実感したことなんてなかった……
背後にいるなにかは、嫌な音をたててる。
ギシギシとかキシキシとかいうなにかが軋むような音、それととても重たいものがゆっくりと砂の上を移動する音だ。
「……」
あたしは首だけを横に動かして、視線を後ろに向ける。
後ろにいたのは、大きなサソリ。あたしが知ってる(っていっても実物を見たわけじゃなくて、テレビとか本ね)サソリは掌サイズだったけど、目に入ったサソリは三メートルくらいありそうだ。
青白い月明かりに照らされたサソリは赤っぽい色で、大きな二つのハサミと鋭い棘のある尻尾が揺れている。
その尻尾が大きく揺れた瞬間、あたしは走り出した。
「きゃああああ!」
無意識に悲鳴が漏れる。
声なんか出さない方がいいだろうし、あの場で動かないでいた方がいいのかもしれなかったけれど、怖くていられなかった。気が付いたときにはもう足は動き出していた。
砂が動く音がして、大きなサソリがあたしを追いかけて来てるのを感じる。しかも、想像よりずっと早くてすぐに追いつかれそう!
ガサガサという音がどんどん近くなる。
「いやっ……」
がむしゃらに走るとあたしのすぐ右側にサソリの足が突き立てられた。ドンッと地面が揺れて、体勢が前のめりに崩れ、すぐ後ろでまた地面が揺れてあたしは両膝をついた。
サソリの棘がついた尻尾が迫ってきて、あたしは横に転がる。大きな棘が砂の地面に突き刺さり、ジワッと地面の色が変わったのが見えた。
これって毒? サソリって毒のある生き物だよね?
引き抜かれた尻尾の棘が持ち上がった。またあの棘をあたしに突き刺そうと……
もう意味が分からない、自分がどんな風に動いたなんて覚えてない。あたしは地面を転がったり、這いまわったり転んだりしながら、なんとかサソリの攻撃を避けた。
自分で思っていた以上に逃げられてる! もしかして、女神様がくれた能力のオマケでこの世界の人と同じくらい体が動かせるようになってるとか!? ……でもだんだん逃げるところがなくなって、サソリの攻撃が少しずつ当たるようになってきてる。棘がかすった足や手の感覚が鈍くなってきて、目も霞んできた。このままじゃ、本気でヤバい。
サソリの足が顔のすぐ横をよぎって、フードが裂けておさげにしていた髪が大きく切れる。フードの切れ端と切れた髪が砂煙と一緒に飛んだ。
お読み下さりありがとうございます!
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番外編も折り返しになります、最後までお付き合いよろしくお願い致します!!
◆「派遣社員ジリアン・エヴァンスの手記」
新しいお話の投稿をスタート致しました。
『前世の記憶がある』ことが特別珍しいことではない、そんな世界に生まれ変わった主人公。
前世の記憶を夢に見るという形で徐々に思い出しながら、借金返済のために派遣社員として真面目に頑張って働く毎日。そんな彼女に訪れる変化と出会いの物語。
こちらも、お時間あるときにでもお付き合いいただけますと嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




