番外編・アンナと砂の街の領主 05
壁に体を押し付けながら、目の前にある大きな鉢植えの植物の陰から声のする方を覗き込む。
このお屋敷で働いている人たちが休憩する部屋と、調理室の間で侍女長とイヴリンちゃんとあたしの近くにいることが多い数人の侍女たちが集まっているのが見えた。
侍女長はいつも通り堂々としているけど、イヴリンちゃんたちは全員顔色が悪い。中でもイヴリンちゃんが一番青い顔をしている……あのお客様が来てからずっと悪くて、最近は体調も悪そうで心配していたのだ。
「イヴリン、いい加減になさい。わたくしが言うことは一つです、誠心誠意アンナ様にお仕えする、それだけです」
「侍女長! では、では、せめて……お手紙のことだけでもアンナ様に告白し、謝罪をさせてください」
手紙のこと? あたしが関係する手紙といえば、レイちゃんに宛てて出していた手紙と、オオカミの人がときどき送ってきてくれる『レイちゃんに関する報告』手紙だけだ。オオカミの人からの手紙は問題なく読んでいるから、レイちゃん宛てに出していた手紙のことかな?
「なりません! あれは……あの娘が出奔したことで解決したのです」
「解決なんてしていません。アンナ様がこちらにいらしてから、何通も何通も従姉様にお手紙を書いて出していたお手紙。どれ一つとして、実際には出してはいなかったではないですか! 従姉様が王宮にいらしたとしても、お返事なんてくるわけないのに……アンナ様はお返事を心待ちにしていらっしゃって……!」
あたしは息を飲んだ。
どういうこと?
あたしが書いてイヴリンちゃんに郵便屋さんに出してほしいってお願いしてた手紙は、一通も郵便屋さんに渡っていなかったってこと? 返事がないのは、レイちゃんが王宮にいなかったから届かなかったんだって思ってたんだけど。違ったの?
「いいのです、あの娘から返事がないことが大事だったのですから。アンナ様からの手紙を発送していなかったのではなく、あの娘が王宮にいなかったからお返事がなかった……そういうことでいいのです」
「侍女長!」
「いいですか? アンナ様は我らが旦那様の番でいらっしゃるのです、旦那様を一番に見ていただかなくてはいけません。いつまでも従姉という娘のことを考えて貰っていては困ります。そのためにも、あの娘との関係はもう切れたのだとアンナ様には分かっていただかなくてはなりません」
「だからって……」
「あの娘の方がアンナ様を切って捨てた、そう思って縁を切っていただくのが一番です」
息が詰まったような感じがする。胸がムカムカする。
「本当に憎らしいこと! あの娘のことがなければ、アンナ様はすでに旦那様の正式な番となっていたはずです。それなのに、あの娘と再会できるまで婚姻式を執り行わないなんて……」
侍女長の苛立った声が廊下に響く。
あたしは伯爵の異世界から来た番で、結婚する相手だ。今、伯爵とあたしは《婚約》している状態になっている。
お披露目会の後、この街に到着してすぐ歓迎パーティーが開かれた。あたしは単純に言葉通りの歓迎パーティーにつもりだったけど、蓋を開けてみれば実際には《婚約式》だったのだ。
綺麗なブルーグリーンのドレスを着せられて、豪華なアクセサリーを身に着けて(大粒の宝石がついたイヤリングは重たくて、耳たぶが千切れるかと思った)大勢の参加者と顔を合わせて挨拶を交わして、最後の最後に白と青のブカッとした制服を着た人の前で一枚の書類にサインするように求められた。
そのとき、あたしはその書類が正式な《婚約証明書》だって気付いた。
本来の予定なら、その《婚約式》から一年から二年後に《婚姻式》が行われるのが一般的。伯爵とあたしもそういう日程で準備が薦められるはずだったらしい。でも、レイちゃんの行方が分からなくなって、それがネッドと領地の人間が原因だということが分かって、あたしは「レイちゃんと無事に再会できるまで、結婚はしない」と宣言した。聞き入れてくれないのなら生涯結婚はしないともいえば、伯爵は渋い顔をしながらそれを認めた、という経緯がある。
「でも、アンナ様の従姉様……帰国されるって聞きましたけど」
それって本当!? 叫んで侍女の元へ飛び出しそうになったけれど、侍女長の嫌そうな顔を見て植木の後ろにまた体を隠した。
「困ったわ。アンナ様には早く旦那様の正式な番になっていただきたいけれど、あの娘と会うことが条件なんて。あの娘と会ったら、またアンナ様の意識がそちらに向いてしまうかもしれないわ」
「けど、アンナ様は従姉様と再会した後でなければ《婚姻式》は行わないと……」
ハァーッと大きなため息を侍女長は吐く。
「そうだわ。《婚約式》のときのように、アンナ様には知らせずに準備をすすめて《婚姻式》をおこなってしまおうかしら」
「え、でも……ドレスや装飾品はどうなさるのですか? 旦那様がなんておっしゃるか……」
「ドレスも装飾品も全て旦那様の色で統一したら問題ないでしょう。ドレス寸法はもう分かっているのだから、旦那様のお好みで発注しましょう! 招待客の選別やお料理の用意は元々こちらで行うことなのですもの。《婚姻式》を行ってしまえば、さすがのアンナ様もおとなしく番としての椅子に座られるでしょうからね。旦那様とて、《婚姻式》を行えるのならば細かなことはなにもおっしゃらないでしょう! いいえ、きっと喜んでくださいます」
その場の空気は微妙という他ない。侍女長は一人でテンションが上がっているようだけど、イヴリンちゃんたち侍女は顔を見合わせて言葉を無くしている感じだ。
あたしはそっとその場を離れて、裏口から外に出る。足音をたてないように通路を歩き、建物横にある庭園に入った。庭園の中央には四角い形で薄いカーテンのついたパーゴラがあって、その下にはクッションが沢山置かれた椅子と丸いテーブルが置いてある。
手にしていたパイナップル入りの袋をテーブルに置いて椅子に座ると、そのままクッションの山に突っ伏した。胸の中がモヤモヤイライラする。
ここに暮らしている人たちはみんないい人だ、真面目で一途で一生懸命な人が多い。それはいいことだって思う。果樹園で働くひとたちも、街でお店をやっている人とか職人をしている人とか、みんな大らかで優しい。
でも、お屋敷で働いている人たちの……一部の人たちはそうじゃない。いや、きっと根っこの部分は真面目で一生懸命なんだと思う。そういう性格だから、伯爵のために一生懸命尽くしてる、全ては伯爵のために。
伯爵のためならば、伯爵やネッドがレイちゃんにしたことも、あたしの気持ちもガン無視できるくらい一途になれる。伯爵のために、伯爵のために。伯爵のためならば、どんなことだってしてみせる、どんな願いも叶えてみせる……みたいな。
「……」
侍女長は伯爵兄弟の乳母だったらしいから、育ての親として伯爵兄弟は自分の息子も同然っていう気持ちがすごく強いらしい。
異世界から女神様が呼んだ番であるあたしが、あれこれいって伯爵のお嫁さんにならないことが気に入らないのは分かっていたけど、ついにしびれを切らして強硬手段に出そうだ。
でも、しびれが切れそうなのはあたしも同じ。
今まではおとなしく待ってるだけだったけど、行動に移すときがきたのかもしれない。
「……アンナ様? どうかなさいましたか、そのようなところで」
じょうろと肥料を持った庭師たちがやって来て、クッションに埋もれているあたしを心配してくれているようだ。
「あ……大丈夫、少し疲れちゃっただけ」
「ご無理はなさらないでくださいね? ほら、従姉様がお戻りだそうじゃないですか。アンナ様が元気でいらっしゃらなくては、従姉様も悲しみます」
そうですよー、と他の庭師たちも声をそろえる。
本当に、みんないい人だから……どうしてこう食い違っちゃうのか。あたしのモヤモヤは増すばかりだ。
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