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「レイちゃん、酷い! あたしが住んでるところの近くにまで来たのに、無視して通り過ぎようってした! あんまり会えないんだから、そういうチャンスは逃したくないんだけど!?」
「ごめん。でも杏奈、その髪どうしたの……」
「え? 髪? 切りたくなったから切っただけだよ。女の子は長くしなくちゃダメとか、なにそのルール。バカみたい」
私の隣に座り、キムと同じジュースを注文した杏奈は子どものように頬をぷくっと膨らませた。
杏奈の番である伯爵様は「ウィルはここに座って大人しくしててっ!」と言われ、後ろの席で大人しく座って……杏奈の様子を伺っている。大きな体を小さくしている様子に、なんだか気の毒な感じ。
「無視したわけじゃないんだけど、ごめんね。でも、私杏奈のいる街には行かない、杏奈にも会わないって宣言しちゃってるから寄れないよ」
私が張った意地っ張り期間の中でも、最高潮に意地を張っていたときに杏奈には二度と関わらないし、会うつもりもないと伯爵様の弟に言い切ってしまった。それなのにただ顔を見たいからって理由で破るわけにはいかないし、本音で言うのなら……クマ獣人さんたちが居る街に行くのはやっぱり怖い。
「ネッドにあれこれ言われて、そう言わざるを得なかったんだよね、聞いたよ。もう、凄いムカつく。思い出すとまたムカムカしてくる!」
杏奈は運ばれて来たジュースを勢いよく飲んだ。一気にそれを飲み干してから大きく息を吐いて、ジュースのグラスを横に避ける。
「……ごめんね、レイちゃん。なんか本当、最低で最悪だって思う。獣人とか人間とかそういう種族とか関係なくて、人としてダメなことをレイちゃんにいっぱいした。ウィルもネッドも、王宮にいた侍女とかメイドとかの人たちも」
杏奈は私の両手を包み込むように握った。
「ごめんね。みんな今、凄い反省中。レイちゃんは許さなくっていいよ、でも、反省してる。もちろん、私に会わないとか街に入らないとか、そんなの無効だし! だから……近くに来たんなら顔見せてよ、無視して行っちゃうとかダメだから」
「…………それで、良いのですか?」
私は杏奈のことを家族だと思ってるから、杏奈に手紙を出すこともこうやって顔を合わせてお茶するのも問題ない。出来ることならしたい、だって、この世界で唯一の血縁関係のある人だから。
でも、それを嫌だと思う人たちがいることを私は知っている。
後ろのテーブルで体を小さくしていた伯爵様は、私から声を掛けられるなんて思っていなかったようで、酷く驚いた顔をしてから大きく頷いた。
「その……色々と申し訳なかった。自分自身のことも、弟がしたことも、我が領地出身の者たちが王宮でしたことも全て。あなたは我が最愛の番であるアンナと血縁関係のある家族だ、だから自分にとってもあなたは親戚になる。姉妹のように育ったふたりの交流を邪魔したりはしない。是非、我が屋敷にも顔を出して欲しい」
そう言って彼は私に頭を下げる。
まさか、私の存在を目の敵にしていた伯爵様に親戚だと言われて、謝罪されて、頭を下げられるとは思ってもみなかった。
「もう大丈夫だからね、レイちゃん! レイちゃんと私は家族だもん。だから、旅行から帰ってきたら絶対うちに寄ってよ。向こうから手紙もちょうだい、お土産もいっぱい買って来てね!」
華やかな笑顔を浮かべ杏奈らしいお願いとおねだりを聞くと、ここが異世界だってことを忘れそうだ。学校の帰りにったカフェでお茶をしながら、旅行先から絵ハガキを出してくれとかお土産を買って来てくれとか……そんなことを言われているみたい。
「……うん、分かったよ」
「その……土産はともかく、あちらからアンナに手紙を送ってやって欲しい。帰国したときは、我が領都にも寄っていただきたい。あなたの旅路の無事と訪問を皆心待ちにしている」
伯爵様の言葉は未だ完璧には信じられない。領都にあるお屋敷を訪問してなんらかの嫌がらせにあうって可能性も否定出来ない……けれど、頷いておく。
そこへ手続きを終えたリアムさんが戻って来て、その場の空気がピリついた。けれど、杏奈がそれを吹き飛ばす。
「あ、レイちゃんの番さん、お久しぶり~。お見送りの話を聞かせてくれてありがとう、お陰でレイちゃんの顔を久しぶりに見られたの」
「お久しぶりです。……レイナと話が出来たのなら、良かったです」
「うん、本当にありがとう。あ、旅行から戻って来たらレイちゃんと一緒にあたしが住んでる街に寄ってね!」
リアムさんは怪訝そうな顔をして私の背後に立つと、肩に手を置いた。
「なによー、その顔は! 旅行から帰って来たらまたこの港に到着するんでしょ? だったら、帰る前に私の所に寄ってねって言っただけじゃない」
「ああ、そう言うことですか。その時、レイナがあなたの所へ寄って行きたいと言ったら、寄ります」
私は肩に置かれた手に自分の手を重ねながら彼を見上げる。すると「それで良いよね?」ととろけるような笑顔でリアムさんに言われて……私は無意識に頷いていた。
「ちょっとー、笑顔で丸め込まないでよ。レイちゃん約束だからね? 帰って来たら絶対に寄ってよ!? ……あれ、レイちゃんこれなに? 綺麗な模様だけど、入れ墨?」
杏奈は私の左手薬指にある模様を見て、自分の左手薬指を突いて見せた。
女神の大樹の間近に行ったときに出来た大樹の花の神紋は、擦っても洗っても消えない。きっと、これは生涯消えることはないのだと思う。
「これは、女神様から貰った印なの」
私の肩に置かれたリアムさんの左手薬指にも、全く同じ模様がある。それを目敏く見つけた杏奈は、ニヤニヤ笑いを浮かべた。
杏奈は体を寄せ、声を落とす。それは、子どものときからふたりで内緒話をするときにする体勢だ。
「いいね、なんだか結婚指輪みたい。これ、どうやって女神様から貰ったの?」
「……これは、王都に女神の大樹があるでしょ? 大樹が近くで見たくて、奥まで行かせて貰ったの。昔、番が分からないお姫様が、相手の男性が番なのかを女神様に教えて貰ったんだって。それと同じ感じかな」
「それ、私も受けられるのかな? 受けられるのなら、受けたい」
「杏奈」
杏奈は私の左手を取ると、薬指の第一関節にある神紋にそっと触れた。
「あたしはね、幸せに向かっての一歩を踏み出した所だよ。色々あって、最近ようやくウィルとも歩み寄りを始めた所なの」
「そうなんだ」
「うん、色々あったことはレイちゃんが帰って来たら話すよ。あたしなりに頑張り始めたところだけど、あたしはウィルが運命だって分からないじゃん? ウィルが私を運命だって言うその言葉が全てで」
自分では相手が運命なのかは分からない、でも相手は〝キミが運命の相手なんだ!〟と言って来るそれを信じるしかない。でも、その言葉を信じても大丈夫なのか……女神様の魔法にかかっていて妄信的に相手の言葉と愛の言葉と態度を信じられればいい。けれど、杏奈と私は魔法が解けてしまい、相手を信じきれないし、不安になる気持ちを押さえられない。
「あ、アンナ! キミは確かに俺の番だ、それは間違いない。信じてくれ! 信じて貰えるまで、しつこいと言われても何度でも伝えるぞ!」
杏奈の番であるクマ獣人、ウィリス・ファルコナー伯爵様は慌てた様子で声をあげた。必死に伝える態度を見ていれば、彼が杏奈を大事に想っていることが伝わって来る。
それはちゃんと伝わっているようで、杏奈は伯爵様に向かって頷いて微笑んだ。
「うん、大事にして貰ってるのはあたしも分かってる。でも……、目に見える形で繋がってるっていうのは分かりやすく安心できるよね」
「確かに、ね」
女神の大樹の元へ行ったときに一緒にいてくれた大神官様が言っていた、目に見えない大切なものは勿論あるけれど、目に見えるものは分かりやすくて安心出来ると。
「あ、ううん、まあ、女神の大樹がある王都にはあたしたちしばらく入れないんだけどね」
「そっか」
確か、ファルコナー家の人たちは王都への立ち入りが禁止されたとか言っていた。それでなくても、女神の大樹の近くにまで行くのは特別なことで……杏奈が私と同じように目に見える印を貰うことは難しいのかもしれない。
それでも私は思うのだ、同じように女神様から目に見える形を貰うことができるのなら……番が本能では分からない異世界から来た人たちだって安心するのだから、目に見える印を貰えたらいいのに。
「レイちゃん、今まで沢山心配かけてごめんね? でももう大丈夫。あたしなりに考えて、ウィルと一緒に頑張ってみることに決めたの。だからもう大丈夫、あたしのことは心配ないから、安心してやりたいことをやってね」
そう言う杏奈の笑顔は、この世界に来てあの事件があってから初めて見た……心からの笑顔だった。
伯爵様のことを愛称で呼んでいたし、杏奈らしく自由気ままに振る舞っているということは、伯爵様を信頼しているということでもあるのだろう。同時に自由にしている杏奈のことを伯爵様が全て受け入れているということ。
ふたりの間になにがあって、どんな話が交わされたのかは知らないけど……杏奈は自分が言うように、きっともう大丈夫なんだと思う。
杏奈の中で伯爵様と一緒に、この世界で生きて行く覚悟が決まったんだろう。
「レイちゃん。レイちゃんは今、幸せ? 自分が、レイちゃん自身が幸せになる努力をしてる?」
杏奈の言葉に私は息を飲んだ。
そうなのだ。私が杏奈の幸せを願うように、杏奈は私の幸せを願ってくれる。ただ生活するためじゃなくて、私が笑顔で充実した生き方が出来る幸せを。
「……ありがと、杏奈。私も幸せな、生きてて良かったって思える人生を送りたいからね。リアムさんと一緒に頑張るよ」
「うん!」
私たちはお互いの手を取り、ぎゅっと握って笑い合った。
けれど、その後すぐに私たちはお互いの番によってすぐに引き離されてしまった。
引き離したときの顔は不貞腐れたような表情で「同性の従姉に嫉妬とかやめて」と杏奈が言い、私たちは顔を見合わせてまた笑った。
「アンナ、なにを笑って!」
「……そんなに笑うことないだろう、レイナ?」
私たちはまた手を握り合って笑った。
何の心配も不安もなく、心から一緒に笑っていることが嬉しくて……私たちはしばらく笑い続けていた。
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