80
完全に大樹の影の中に入ったのか、周囲は薄暗く黄緑色の光球が雪のように降っては消える。白い霧にその光が反射して、なんとも幻想的な景色だ。
橋の下には鬱蒼とした森が広がっていて、その森のどこかにエルフやドワーフと言った希少種族の暮らす里があると聞く。
希少種と呼ばれる彼らは基本的に女神の大樹の麓にある森から生涯出て来ることはなくて、たまーに外の世界に興味が沸いて里から出て来る変わり者がいて、そんな人たちの子孫が希少種族の貴族になったらしい。
大神官長様からのお話を聞きながら、私はリアムさんに抱き上げられたまま女神の神託を受けるという名目で大樹の間近にまでやって来た。
女神の大樹は想像よりずっと大きくて、間近に見る幹はもう丸く見えない。白っぽい色の幹はつるりとした印象で、遥か上にある葉はとても濃い緑色。黄緑色の光球がどこから発生しているのかは見えないけれど、葉からだろうか?
「さて、女神様より神託を頂きましょう」
歩いてきた橋は、大樹の幹を一周ぐるりと回るように続いていた。その中心部分に祭壇と女神像があるのが見える。幹の大きさに比べたら小さな祭壇だ。
二段になった祭壇に女神像、左右には魔導ランタンが置かれていてオレンジ色の優しい光が零れる。ランタンの後ろには一本ずつ木の枝が生けてあって、淡い緑色の葉っぱに白い花を咲かせていた。
特別なものなんてなにもない小さな祭壇だ。けれど、そこからは神聖というか、特別なものだっていう感じがした。魔力も霊感も全くない私でも、なんとなく分かる。
「おふたりはこの祭壇を挟むように左右に立って、片手は大樹に幹に触れて、もう片手はふたりで手を繋いで」
言われるまま、祈りを捧げるポーズの女神像を囲むように手を繋ぎ、幹に触れた。
大樹の幹に触れた左手がほわんと温かくなる。その温かさは掌から腕に体に流れ込んで来て、そのまま繋いだリアムさんの手にも伝わっていく。
大樹から感じられる熱は途切れることがなくて、体中がぽかぽかとして力が抜けてリラックスした気分になる。さらに大神官長様が歌う聖歌(女神様に捧げる歌的な?)がこだまして、より一層のリラックス気分に……瞼が重たくなって、眠ってしまいそうになる。
眠ったら駄目だ、そう思っても瞼がどんどん落ちてきて目を開けていられない。ついに目を閉じてしまった。
瞼の裏は真っ暗ではなくて、濃い茶色のような赤色のような色の中に黄色っぽい光がポツポツと浮かぶ、そんな世界だ。
なんだか、橋の上から見た大樹の向こうの世界に似ている気がする。
『……』
大神官長様の歌声に乗って、声が聞こえた気がした。でもはっきりとは聞き取れない。
『…………』
けれどなんとなく、なんとなくだけれどこちらに来てからのこと、都度自分がどう思ってきたのかを話して欲しい、そんなことを言われている気がした。
この世界に来てから自分の身に起こった理不尽な出来事、突然死ぬほどの暴力を振るわれたり(全然記憶にないけれど)、ムカつく内容の嘘百パーセントで出来た噂を流されたりした。子どもを産む道具として施設に入ることを望まれた、そんなことまで思い出す。
それらに対して私は番相手にも見捨てられているのだし〝自立してやる〟とか〝誰もあてにせず生きて行くんだ〟と決意して、私は行動に移した。王宮での仕事を辞め、王都からも国からもひとりで出て、仕事をして自分で自分を養って生きて行くと。
誰にも相談せず自分ひとりで決めたそれは、意地になっていたんだと今なら分かる。
意地になったのは、怖かったからだ。
この世界がこの世界に暮らす人たちが自分に向ける悪意や、蔑みの気持ちが怖かった。でも、それを自覚して動けなくなることは……避けたかった。だから自分を奮い立たせ、意地を張った。
けれど、そのせいで沢山の人に迷惑をかけたし、心配もかけてしまった。
たまたまマリウスさんやグラハム主任たちのような親切な人たちと出会えたから、事故も怖いこともなく他の国にいってまともな仕事を得て生活出来ていたけれど、怖い思いをして死ぬような結果になった可能性も十分にあった。
この世界では命は簡単に失われてしまう。魔物に襲われて死んでしまったかもしれないし、夜盗に捕まって酷いことされて売り飛ばされてしまったかもしれなかった。
私は単純に運が良かっただけ。
意地を張らず、素直になることは……大事なことなんだ、そう思う。
私が意地になって取った行動で、迷惑をかけた人が大勢いる……それを知ったのは王都ファトルに帰って来てからのことだ。
お披露目会を担当していたトマス・マッケンジー氏をはじめとする文官たち、お世話をしてくれた侍女のマリンさんたちにも迷惑をかけた。グラハム主任やマリウスさんたちに至っては、誘拐犯にしてしまうところだった。
ひとりで出来ることは限られているし、気付かないことも沢山ある。自分ひとりで生きて行こうだなんて、最初から無理だったのだ。ひとりで生きていけると思っていたなんて、私はイキがって意地になっていた子どもだった。
そう思えるようになったことは、自分にとって気付きであり成長だったとも思う。
王都ファトルに戻って来て良かった。
最初はここで全てのケリを付けて、ひとり新たに旅立とうと思っていた。新たな国の新たな場所で、ひとり自活していくことが自分の幸せで自分の望むことだと思っていたから。
でも、自分が幸せだと思っていたことは、生きて行くための手段でしかなかったと分かった。
私はこの世界にやって来た瞬間から、フェスタ王国の国民でこの国の決まりや法律の元で生きて行かなくちゃいけない立場であることも……分かった。
自分の思い込みや意地でもってひとりで決めた行動は、周囲に迷惑をかけてしまうことも、私を心配してくれる人が大勢いてくれることも知った。
気が付けば、なんの関係も縁もなかったこの世界の人たちと、沢山の縁を結んでいた。
仕事上の関係で結ばれた縁、お茶や食事から結ばれた縁、お世話をしてくれたことから結ばれた縁、誘拐されたことから結ばれた縁もある。その中に……恋をして結ばれた縁もある。
神様が決めた運命の相手、そういう相手のいない世界に生まれて育った私には、自分以外の人が決めた相手にピンと来るものがなかった。運命の番だなんて、物語の中のフィクションだった。
リアムさんが女神様の決めた相手だ、と知ったときは驚いた。でも、私が恋したリアムさんは……私自身が想い願って結ばれたいと思ったお相手だ。
女神様が決めた運命の相手としてじゃない。
『……』
声がまた聞こえた気がして、目を開ければ左手を大樹の幹に当てて、右手をリアムさんに取られている格好そのまま、数センチだけれど浮かんでいた。
上から降り注いでいる黄緑色の光球も下へ落ちないで、周囲に沢山浮かんでいる。
大神官長様の歌が終わる。それと同時に私たちはジャンプした後のように地面に足を付き、光球も下へと降り始めた。
「……なにが?」
大樹の幹から手を放すと、急に左手が熱くなった。
お読み下さりありがとうございます。
評価、イイネ、ブックマークなどの応援をして下さった皆様、ありがとうございます。
皆様からの応援が糧となっております、本当に本当にありがとうございます。




