第71話 ウィスカーズ
「うおお……これはひどいな……」
「うわぁ……村が川みたいになってるよ……」
日向と北園は眼下に広がる光景を眺めながら、そう呟いた。
家が、道路が、畑が、水浸しになっているのだ。
学校が始まって最初の週末。
日向たちは今、十字市郊外の田舎町に来ている。
総人口は百に満たない、のどかで平和な村だった。
だが、この村の近くの川に『星の牙』が出現したというのだ。
『星の牙』は川を広げ、その流れを捻じ曲げた。その結果、川は氾濫し、近くにあったこの村に川の水が流れ込んできたのだ。
……とはいえ、川は雨などで増水して溢れ出たワケではないので、その水の勢いは緩やかなものだ。そのため、不幸中の幸いと言うべきか、この洪水による死者は一人も出なかった。今は、村の人たちは全員避難したという。
日向たちは、この村を襲った『星の牙』を退治しに来たのだ。メンバーは日向と、北園、シャオラン、そして日影だ。そこにオペレーター兼医療係として狭山も付いて来ている。日向たちを乗せてきた通信車で、彼らをナビゲートしてくれる予定だ。本堂は受験勉強のため、しばらくマモノ退治には参加できない。
「この災害の内容から察するに、今回の『星の牙』は”水害”で間違いなさそうだね」
日向の隣で狭山がそう告げる。
”水害”の星の牙。
この星の水を自由自在に操るという。
川の流れを変えるくらい、お手の物ということだろう。
「だろうな。オレが以前戦った『星の牙』も、その力で川を広げたことがある」
狭山の言葉に日影が答えた。
彼は日向の家の裏山で、巨大な魚の『星の牙』を倒したことがあるらしい。
(というか、そんなのいたのかあの裏山。ユキオオカミとアイスベアーだけじゃなかったのか)
裏山が地獄の動物園と化していたことを知り、日向は身震いした。
「それで、今回の『星の牙』はどんなマモノなんですか?」
「目撃情報によると、巨大なナマズのマモノのようだね。恐らく今まで通り、周辺には別種のマモノも生息していると思われるが、残念ながらそちらは詳しい情報は無い」
「何が来ようと、ぶちのめすだけだ」
狭山の答えに、日影が返事をする。
温厚で基本、争いを好まない日向に対し、彼はとことん苛烈な性格だ。
何が彼の性格をこのように形作ったのだろうか。
(……今考えても、仕方ないか。いずれ日影に聞いてみようか……?)
そう思い、日向は皆と共に目的地の川へと歩き出した。
◆ ◆ ◆
『星の牙』が出たという川は、村のすぐ近くにある。
狭山は少し離れた場所に通信車を停めて待機し、日向たち戦闘部隊の四人は歩いて川まで向かう。
「それにしても、寒いねー。今、気温は何℃だろう?」
『現在は5℃くらいのようだよ。確かに、今日は冷えるねぇ』
北園の呟きに、通信機越しに狭山が答える。
「5℃……? 5℃って、こんなに何も感じないモノだっけ……?」
日向は、この低気温を、特に寒いとは感じていなかった。
もちろん彼には、生まれつき低温に強いとかいう特殊体質は無い。
「そんなに低かったのか? 分からないモンだな」
日影も続いて口を開く。
どうやら日影も日向と同じく、あまり寒さを感じていないらしい。
周りとの差異に、日向は自身に対して少し違和感を覚えた。
「もう寒すぎるから、今日は帰ろう……?」
シャオランは、相変わらずの弱気である。
ブルブル震えているのは、寒さのためか、それとも恐怖心か。
「マモノと戦っていれば、身体も温まって寒さも忘れる説」
「そんな説ボクは認めないぞー!!」
「そういえばシャオラン、今日は拳に包帯を巻いてるんだね」
「露骨に話をそらすなぁー!」
日向の言うとおり、今日のシャオランは、指と手の平に包帯を巻いて、テーピングをしているようだ。文句は言うものの、シャオランは律儀に、日向の質問に答える。
「コレはほら、この間のブラックマウントみたいに、素手で殴りにくい相手だったら困るから……」
「ああ、なるほど。シャオランも何だかんだ言いながら、ちゃんとマモノと戦う準備をしてきてくれたんだなぁ。偉い」
「本当は、安全第一でなべつかみあたりを着けて来たかったんだけど、『それじゃ攻撃力が下がるし、何よりカッコ悪いでしょ』って、リンファに没収された……」
「……リンファさん、ナイス」
シャオランとの会話が終わると、再び狭山からの通信が入った。
『もうすぐ目的地だよ。日向くんと日影くんは太陽の牙を呼び出しておくといい』
「分かりました。……来い、『太陽の牙』!」
狭山に促され、日向は『太陽の牙』を手元に呼び寄せる。
日向の手の平から火柱が上がり、それが剣の形となった。
太陽の牙。
ある日、空から突然降ってきた、謎の剣。
それが実は、太陽の力を持った『星の牙』だった。
この星の『星の牙』を喰らう、もう一本の『星の牙』。
日向が偶然手に入れてしまった、この星を救うかもしれない剣。
「じゃあ、オレも剣を呼ぶか。……来やがれ、『太陽の牙』!」
日影も日向と同じように、自身の『太陽の牙』を手元に呼び寄せた。
片手で持ち上げ、刀身を日光に照らしている。
その造形は、日向の持つ『太陽の牙』と全く同じだ。
「よーし、ちゃんと来たな。……あん? どうした日向。こっちをジロジロ見て」
「いや、俺とお前で『太陽の牙』の名前が同じなのは、なんだかなーって」
「じゃあお前の『太陽の牙』の名前を変えればいいじゃねぇか」
「嫌だよ。お前が変えろよ。『影の牙』とかでいいじゃん」
「断る。オレも『太陽の牙』がいい」
「ぬぐぐ……。じゃあもういいや。二人とも『太陽の牙』で」
譲らない日影に対して、結局日向が譲歩した。
狭山は通信機越しに「嬉しいなぁ、自分が付けた名前を二人が気に入ってくれて」などと言っている。
「あ、二人とも見て! 川が見えて来たよ!」
日向と日影に、北園が声をかけてくる。
その声を受けて、二人は歩を速めた。
◆ ◆ ◆
ソイツは、広い川を悠々と泳いでいた。
ちょっとした平屋ほどもあるのではないかという体長。
開けば人間など一呑みにできそうな巨大な口。
そして左右の方に生えた長くて立派な二本のヒゲ。
その姿は、まさしく怪物ナマズと呼ぶにふさわしい。
日向たちの目の前を泳ぐ、この巨大なナマズこそが、下の村を水浸しにした『星の牙』だ。
「狭山さん、あのマモノにも名前を付けたんですか?」
『もちろん! あの長いヒゲが特徴的だからね、”ウィスカーズ”という名前をつけてみた。どうかな?』
「良いんじゃないですか。どことなくマモノっぽいような響きだと思いますよ」
答えながら、日向は剣を構えて前に出る。
その横からシャオランと日影も並んでくる。
後ろには北園が控えている。
前衛三人、後衛一人の構図だ。
「うわぁ……デカい……やっぱり帰ろう?」
「さて、とりあえずどうする? アイツをどうにかして川から引きずり出さないと」
「聞いてよぉ……」
シャオランの嘆きは気にせず、日向は皆に声をかける。
ウィスカーズは相変わらず川に潜ったままだ。このままでは戦えない。
「釣ってみるか? オレが魚の『星の牙』と戦った時はそうしたぜ? 逆に引きずり込まれたけどな」
「ダメじゃねーか。素直に北園さんの遠距離攻撃で炙り出そう」
『……いや、待つんだみんな。ヤツが動いたぞ』
狭山の声を受け、四人はウィスカーズに視線を向ける。
のんびりと川に潜っていたウィスカーズが、四人に向かって泳いできている。そして……。
「ヴォアアアアアアアアッ!!」
「ぎゃああああああああっ!? こっちに上がって来たああああ!?」
ウィスカーズが日向たちのいる土手まで上がってきた。
シャオランが泣き叫びながら、日向の背の後ろに隠れる。
正面から見ると、またかなり大きいことが分かる。
思いっきり口を開けば、ゾウだって丸ごといけるのではないか、と思えるほどだ。
「だが、あっちから来てくれるのなら都合が良いぜ!」
そう言って日影が飛び出した。
先制攻撃を仕掛けるべく、ウィスカーズに向かって走る。
「ヴォオオオオオオオオッ!!」
だが、ウィスカーズはこれに対し、その巨体を地面に思いっきり叩きつけた。
すると、周りの地面がどんどん液状化し始めた!
「うおおおおおっ!?」
液状化した地面は、泥沼となって日影の足を捉える。
液状化の勢いはなおも止まらず、日向たちにも迫ってきた。
「うわっ!?」
「きゃあ!?」
「ぎゃあああああああっ!?」
そして、後ろにいた三人も泥沼に捕らわれてしまう。
足が沼に埋まって、満足に動けなくなる。
「でも、私なら動かずとも攻撃できるもんね!」
そう言って北園は、ウィスカーズに火球を投げつける。
しかしウィスカーズは、泥沼に潜って火球を避けた。
「あ!? よけられた!?」
「アイツ、この泥沼を泳げるのか……!」
ウィスカーズは日向たちの周りを悠々と泳ぐ。それはまるで、皿の上の料理を眺め、どれから食べようかと舌なめずりするように。
四人は泥沼によって動きを封じられ、対するウィスカーズはまさに水を得た魚。開始早々、マズい展開になってしまったようだ。




