外伝7話 影の名は
「おーい、兄ちゃん。大丈夫かー?」
誰かの声がする。
頬に、冷たくざらざらとした肌触りを感じる。
オレは、地面に倒れているのか。
あの後、川の主にトドメを刺した後からの記憶が無い。
もう息継ぎするのも億劫になって、身体から力が抜けていき、そのまま……どうなったんだ、オレは。
オレは立ち上がり、状況を確認する。
傍では見知らぬ爺さんが心配そうにこちらを見ていた。
「……大丈夫だ。生きてる」
不安げな表情を浮かべている爺さんに、言葉をかける。
「おぉ!? 良かったよー。溺れ死んでるのかと思ったよ。君、名前は?」
「……無い」
「へ?」
周りを見渡し、現在位置を確かめる。
ここは川の土手のようだ。山からだいぶ流されてしまったらしい。周りには家がチラホラと建っている。
とはいえ、ここはまだ川の上流のあたりのはずだ。先ほどの場所までは、十分に徒歩で戻ることができる。
「起こしてくれてありがとうな。爺さん。それじゃ」
「え!? どこに行くんだい!? 一応、病院に行った方がいいよ?」
「大丈夫だって。もう平気だからよ。心配すんなよ」
キョトンと立ち尽くす爺さんを後目に、手を振りながらその場を去る。大丈夫だというのは嘘ではないが、オレには病院で診てもらう金も身分証も無い。よって、山に戻るしか選択肢は無いのだ。
◆ ◆ ◆
オレはもう一度あの川に戻ってきた。
しかしその一方で、オレは途方に暮れていた。
「やっぱり、川の中に落としてしまったのかねぇ……」
オレの剣が無くなっていたのだ。
そりゃあ一緒に川岸に流れ着くなんて都合の良いこと、起こるはずもなく。
水面を見つめ、底に剣が落ちていないか確認していく。
しかし川は随分と広く、そして深くなってしまった。いちいち確認していくのは骨だ。オマケにいまは冬真っ盛り。すでに夜の帳は降り始め、水底は暗く、見通せない。
これは参った。あの剣が無ければ怪物とロクに戦えない。それに、今まであの剣で火を起こしてきたのだ。このままでは肉も焼けないし、暖も取れない。木材や怪物の肉を切り分けることもできないだろう。怪物の肉に関しては、切り分ける以前に調達すらできそうにないのだが。
無くなって初めて分かる。
あの剣、サバイバルに超便利だったんだなぁ。
あの剣が無いと不便極まりない。
もういっそ、日向の家に駆け込むか。
……いや、それはなんか、負けた気分になるから嫌だ。
しかし、だからと言って剣を見つけるための妙案が思い浮かぶでもなく。
「くそ……呼べばあっちから来てくれたりしないかな……」
祈るように呟いた、その瞬間。
オレの手からゴウッと火柱が上がった。
「おわぁぁ!?」
慌てて炎を振り払う。
そして足元に転がったのは、あの剣。
「あ……?」
目の前で起きたことに頭の整理が追い付かず、しばらく硬直してしまう。
だがあの剣だ。間違いない。さっきの火柱の中からいきなり現れた。
「まさか、本当に呼んだら来るとはな……」
冗談のつもりだったんだが、この剣、なかなか侮れない。
もしかしたら、まだオレの知らない様々な能力が隠されているかもしれないが……。
「ガルルルル……」
「おっと、お出ましか。惜しかったなぁ。もう少し早かったらオレは丸腰だったんだけどなぁ?」
茂みの中から現れたのは、最初に戦ったのと同じ、白い狼だ。数は三匹。いつもなら五匹くらいの群れで行動しているはずだが、やはり怪物の数が少なくなっているのか。少し狩りすぎたかな。
「バウッ!! バウッ!!」
「よっしゃ、かかって来な」
オレの声を受けたかのように、一匹目が真正面から突っ込んでくる。
その狼に向かってオレは蹴りを繰り出す。しかし避けられる。
その隙を突いて、狼が飛びかかってくる。
だが、これは予想通りだ。
「そこだぁッ!!」
「ギャンッ!?」
思いっきり剣を横薙ぎに払い、刀身は見事に狼を捉えた。
狼は吹っ飛び、背後の木に叩きつけられると、動かなくなった。
こいつらはいつもこうだ。こちらの攻撃を誘い、それを避けてから本命の攻撃を繰り出してくる。この五日間でそれを何度も食らい、何度も退けてきたのだ。いい加減慣れてきた。
そして、一匹の個体に気を取られている間に、別の個体が足を狙って噛みついてくるということも。
「うるぁッ!!」
おおよその場所とタイミングを予測し、足元目掛けて逆手で思いっきり剣を突き刺す。
そこに丁度突っ込んできた狼が、断末魔を上げる間もなく絶命した。
「さぁて、あっという間に残り一匹だな?」
「グルルルル……」
最後に残った白狼を見据える。
残り一匹になった白狼が、何をするかも大体分かってる。
オレは軽く腰を落とし、身体を左に向け、剣を逆水平に構える。
そして、白狼が口を開き……。
「ウオ―――――」
「遅い!!」
白刃一閃。
仲間を呼ぶ遠吠えを上げる前に、その喉を切り裂いた。
そして……。
「トドメだ!!」
振り抜いた剣を構えなおし、袈裟に振り下ろす。
切っ先は狼の首筋を捉え、その命を断ち切った。
「さて。これで今夜の晩メシは確保だな」
◆ ◆ ◆
辺りはすっかり暗くなった。
剣の炎で焚き木を燃やす。
仕留めた狼の肉を焼き、かぶりつく。
こちとら昼から何も食べていなかったのだから、メシを食う手が止まらない。
「んー。マズイ」
肉を頬張りながら、味の感想を口にする。
化け物の肉はどれもこれもイマイチなものばかりだ。
日向の記憶にはもっと旨い、ちゃんとした料理の記憶があるが、一文無しのオレには関係ない話だ。
肉を咀嚼しながら、物思いにふける。
「名前……か……」
昼に出会った爺さんから受けた質問。
オレの名前とは。
そういえば、考えたことがなかった。今までは自分のことを「日向の影」と認識し、心の中ではそう呼称していたが、そろそろ自分の名前を持つべきか……。
「……日影でいいか」
日向の影。だから日影。
我ながら随分と皮肉めいた名前を考えたものだ。
日陰者には、持ってこいの名前じゃあないか。
こうして、オレの名前は日影になった。
由来はどうあれ、日向とは違う、オレだけの名前だ。




