外伝3話 影は人間になった
狼どもを殲滅したオレは、近くの川で休んでいた。
この山の大体の地形は、日向の記憶に入っている。
とはいえ、ここは日向の自宅からかなり離れている。ギリギリ分かる範囲、というやつだ。ここから先の地理はちょっと記憶に無い。
それにしても、日向の身体であの数の狼を相手にしても、何とかできるモンだな。
一息ついたオレは、現状を確認することにした。
まずオレは、日下部日向の影だ。本来ならただの自然現象として、人格はもちろん、思考能力すら持たない存在。だがオレは、現にこうして実体化している。
その原因は剣だろう。
確かな認識が、オレの中にある。
冷静に頭の中を整理して、分かったことがある。
まず、オレは日下部日向の記憶を受け継いでいるようだ。
生まれたばかりのオレだが、この世界の基本的な知識は備わっている。
だがそれとは別の、日向の記憶には無い知識が存在しているのが分かった。
一つは、影であるオレの機能について。
もう一つは、この剣の持つ、ふざけた能力について。
影の機能についてだが、オレが日向から離れたことで、日向は鏡に写らなくなった。
影も鏡像も、光が作り出す像だ。だから、影が無い人間が鏡にだけ写るのはおかしいのだ。日向のやつ、きっと鏡を見たら大騒ぎするに違いない。
それと、この剣の持つ能力についてだが、先ほどの身体が燃え上がったものと、傷を燃やして治すもの、そして剣に炎を灯したものとは別に、もう一つ能力が備わっていることを認識した。しかし、これはとびきり厄介な代物だ。
「およそ一年ほどで、日向は、オレに存在を取って代わられる、か……」
影と本体の成り代わり。
このままいけば、日向がオレの影となり、オレが新しい「日下部日向」となる。止めるには、オレが死ぬしかない。
オレの身体は傷を焼いて治す能力が付与されているようだが、これは自分の意思で停止させることもできるようだ。成り代わりに関する知識が、オレの頭に初めから備えられていた。
「さて、どうしたもんかね……」
日向にとっては、実に迷惑な話だろう。
突然、残りの寿命を一年にされてしまったんだからな。
オレが自ら命を断ち、日向の影に戻ることも可能だ。
だが、それで良いのか、オレは。
せっかく転がり込んできた、自分の人生だぞ? 無下にして良いのか。
「……まぁ、あと一年あるし、今すぐ決めることもないか」
そう自分を納得させることにした。
その時、ふと気づいたことがあった。
「……そういえば、今のオレ、普通に言葉を喋ってるな?」
先ほどまでは、口を開いても全く声を発することができなかった。
だが今は、自在に言葉を話すことができる。
さらに、よく見ると自分の身体が真っ黒ではなくなっている。
川の水面を覗き込むと、そこには日向に瓜二つの顔が写っていた。
「……そりゃそうだ。オレは日下部日向の影。顔だってアイツと全く同じになるだろうよ」
水面に写る自分の顔を見ながら、そう呟いた。
顔も記憶も借り物だが、こうしてオレは正真正銘、一人の人間として確立された。だが、最後に気になることがある。それは、オレが生み出された目的。
オレが実体化したのは、日向があの剣を手に取ったからだ。
で、なぜあの剣にそんな機能があったのか?
オレはこれからどうすればいい?
オレはこれから、何を目標に生きていけばいい?
日下部日向の影であるオレの、生まれた意味とは?
……それはきっと、あるいは………。
そんなことを考えていると、視界の端に何かがチラリと映った。
振り向いてみると、そこにいたのはイノシシだ。
それも、ただのイノシシではない。
まず目を引くのはその体躯だ。大きい。二階建ての家くらいはありそうだ。長く伸びた二本の牙には、さらに無数の棘が生えている。まるで棍棒のような牙だ。
日向の記憶に、イノシシに関する詳しい知識は無いが、あれはちょっと自然に生息するイノシシではないだろうと、何となく分かった。
大猪は、両前脚を持ち上げ、地面を踏みつける。
その衝撃が地鳴りとなり、離れているこちらにも伝わった。
まったく、どういうパワーをしているんだ、アイツは。
「……となると、アレもさっきの狼と同じ、何かの怪物ってところか」
大猪は後ろ足で地面を蹴り、鼻息を荒げている。今にも突撃してきそうな勢いだ。オレも剣を構え、大猪を見据える。
両者、構えたまま相手の出方を窺う。
緊張した空気が、場を包み込む。
ぐー。
不意に、オレの腹が鳴ってしまった。
「……そういや、腹ペコだ。参ったなぁ。空腹で運動したくはないんだが」
苦笑いしながら、再び大猪に向き直る。
「んじゃ、今日はイノシシ鍋だな」
「ブモォォォォォ!!」
大猪が、牙を剥いて突進してきた。
オレも、真正面から大猪に立ち向かった。
◆ ◆ ◆
「……思ったより、あっさり終わったな」
目の前でぶっ倒れている大猪を見つめながら、オレは呟いた。
勝負は速攻で片が付いた。
オレの身体は傷が治るのだ。だから、その能力任せに真正面から大猪に突撃し、衝突と同時に脳天に剣をぶっ刺してやったのだ。大猪はひとしきり暴れまわった後、絶命した。何だかんだで、勝負は一撃で決したのだ。
「さて、それじゃあどう料理してやろうかね」
そう言って、オレは大猪の亡骸に歩み寄る。肉の調理について、日向は詳しい知識を持っていないようだった。なので、調理は完全に手探りだ。
まずは剣で大猪の肉を切り出す。野生のイノシシの肉なんて、そのまま食べていいのかちょっと心配だったので、川の水で軽く洗った。
その後、近くの草むらから、適当に乾燥した草木を拾い集める。それを一か所に集め、剣に炎を発生させ、集めた草木に火をつける。
この剣があれば、刃物と火の両方をクリアできるのは便利だ。どちらもサバイバルにはかかせない。
「イノシシ鍋なんて言ったが、そういえば鍋が無いな。仕方ない。普通に焼くか」
拾った枝に肉を括りつけ、火で炙る。
肉の焼ける香ばしい臭いが鼻を突き抜ける。
ジュウジュウという音が耳を楽しませてくれる。
赤色が抜け落ち、白く焼き上がったら完成だ。
「さて、いただきます」
そう言うと、オレは枝に括りつけた肉にかぶりついた。
「……思ったより淡泊な味だ」
ちょっと期待外れだった。もっとジューシーな味かと思っていたが。塩でもかければもっと変わるのだろうか。
だが、オレには塩を買う金は無い。日向が持っている金をコピーしているなんてこともなかった。アイツ、あの剣を拾った時は一文無しだったのか?
そもそも、塩を買う金と施設があるなら、肉も水も手に入る。こんなサバイバルをする必要も無い。
「……だが、悪い気はしないな」
口に入れた肉を頬張りながら、オレは呟いた。
傷を治す能力もあってだが、オレは自力でこの大猪を倒し、その肉を手に入れた。そして、自分なりの方法を模索して、肉を調理し、馳走にありつくことができた。大変だが、とても楽しい。生きているという感じがする。
「こんな経験、日向の記憶には無いようだな。どうだ見たか。さっそくオリジナルを超えてやったぜ」
満足げに微笑みながら、オレは空を見上げてみた。
気が付けば、既に空は夕焼けに染まっていた。
焚き木の燃える音と、川の水の流れる音が静かに響く。
そうしていると、第二、第三の肉が焼きあがった。
相変わらず淡泊な味だが、なぜか胸がいっぱいになる。
ああ、生きるって、楽しいモンだな。




