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第381話 追跡者再び

 真っ暗闇の中を、基地内の照明が照らしている。空からは『電波妨害』の能力を持つ雪がしんしんと降ってきている。


 ここはホログラート基地の屋外。そこに停められている大型トラックのコンテナの前に、オリガは立っていた。背後には大勢のテロリストを引き連れて。


 今からオリガは、ズィークフリドを改めて洗脳するつもりだ。オリガが仮眠を取っていたことにより、『星の牙』やズィークフリドの洗脳は解除されている。


「コールドサイス、ヘルホーネット・クイーンは既に洗脳を完了した。後はズィークだけね。皆、警戒しておいてね。彼は私でも荷が重い相手。油断したらすぐにコンテナを脱走しちゃうわ」


「了解。コンテナを開きます」


 オリガの前で、コンテナの扉が重々しく開かれる。

 その奥、コンテナの壁にもたれかかるように、ズィークフリドが眠っている。


「ズィーク? ねぇズィーク、起きて?」


 コンテナへと入り、オリガがズィークフリドの頬をぺちぺちと叩く。


「…………。」


 すると、ズィークフリドがうっすらと目を開ける。

 それに合わせて、すかさずオリガがズィークフリドの目を見つめる。


「…………!」


 ズィークフリドの目が見開かれる。

 次いで、彼の身体がふるふると震え出す。

 右腕を叩きつけ、コンテナの壁が大きくへこんだ。


「こら、ズィーク。暴れちゃダメよ」


 そんなズィークフリドに怯まず、オリガは金色の瞳でズィークフリドを見つめ続ける。やがてズィークフリドの頭がガクリとうなだれ……。


「…………。」


「……ふぅ。今回も上手くいったみたいね。毎度毎度、あなたを洗脳するのは緊張するわ」


 ズィークフリドの洗脳が完了したようだ。

 彼の瞳からは、意志の光が失われている。


「……ふふ。ほらズィーク、お目覚めのキスよ」


「…………。」


「……ふぅ。さてズィーク、さっそくだけど仕事をお願いするわ。日下部日向が脱走したの。あなたは基地一階を見て回って。私は地下を捜索するから」


「…………。」


 オリガの言葉に頷き、ズィークフリドはコンテナを出る。

 待機していたテロリストたちが、ズィークフリドに道を譲った。



「…………。」


 ……だが、コンテナを後にするその途中。

 ズィークフリドは静かに瞳を閉じる。

 そして次にまぶたを開くころには、彼の目に光が戻って来ていた。



◆     ◆     ◆



「こっちだ! 急げ!」


 声と共に、ロシア兵たちが駆け抜けていく。

 日下部日向も、それに追従する。


 武器庫を後にした日向たちは、そのまま一気に下水道へと向かう。

 途中、テロリストやアイスリッパーの襲撃にあったが、難なく撃退した。


「俺たちは『星の牙』に勝ったんだ! もう何が来ようと敵じゃねぇぜ!」


「油断するなキール。こちらのメンバーはもう、ほとんどが負傷者だ。また先ほどのような強敵が現れたら、もはや勝てる保証は無いぞ」


「分かってるってのアンドレイ! お前は怪我人なんだから、大人しくしとけ!」


 三十人ほどのロシア兵たちの中でも、随一の射撃の腕を誇るキールが通路を先行する。両手でアサルトライフル型の対マモノ用ショットガンを構えながら、神経を研ぎ澄まして敵の気配を探っている。


「……敵影無し。なぁイーゴリ、たしか下水道の入り口は、もうこの辺だったよな?」


「うん! そこのマンホールから降りることができるよ!」


 イーゴリが指差すその先には、通路の真ん中に取り付けられたマンホールがある。その近くには、おあつらえ向きにバールも置いてあり、これでマンホールを開けることができる。


「ちなみにそこのバールは、このルートの安全確保のついでに俺が拾っておきました」


「ナイスだ日下部よ! お前、頭良いな!」


「頭が良いというか、用心深かったというか……」


 シチェクの言葉に、気恥ずかしそうに頭を掻く日向。

 その傍らで、ロシア兵たちがマンホール解放の作業に取り掛かる。


「早く開けろ! さっさとこんなところからオサラバしようぜ!」


「落ち着いて! この先に敵が待ち構えているとも限らない! 最後まで注意していこう!」


「というかお前、少し前まで俺たちのホームだったこの基地を、こんなところ呼ばわりって……」


「通路の先、敵は来てねぇぞ。開けるなら今だぜ!」


 脱出の時が近づいている。

 それに伴い、ロシア兵たちも希望に沸き立っているようだ。


 その横で、日向は険しい表情をしていた。


(これで、ロシア兵の皆さんはここから逃がせる……。けど、ここから俺は北園さんを助けに行かないと。……でも、皆さんからは反対されそうな気がするんだよなぁ……。あるいは、自分たちも一緒について行くとか言い出しそう)


 ロシア兵たちは、もうボロボロだ。大きな怪我をしている者も多く、一刻も早く然るべき医療施設で治療を受けさせなければならない。確かに彼らの腕前は頼りになったが、とてもここから先も連れて行けるような状態ではない。


 さてどうやって言い訳しようか、と日向が考えていると……。


「よし……マンホールが開くぞ……!」


 どうやら、マンホールを開く時が来たようだ。ロシア兵の一人がマンホールにバールを引っかけ、てこの原理で持ち上げる。それに連動して、マンホールの蓋も持ち上がった。


「キシャーッ」


 ……そしてそのマンホールの中から、氷の鎌を持つカマキリの群れが湧いて出た。


「う、うわ!? アイスリッパーだ!」


「う、撃て! 撃ち殺せ!」


「皆、落ち着け! まずは下がるんだ! 流れ弾が当たるかもしれんぞ!」


 動揺しながらも、ロシア兵たちはマンホールから湧き出てきたアイスリッパーたちを銃で射殺していく。アイスリッパーの死体が、床に積み上げられていく。


「ったく、驚かしやがって蟲野郎が!」


「ともあれ、これでようやく脱出……」


「キシャアアアアアアッ!!」


「……おい。なんだ今の叫び声」


「向こうの通路から聞こえたぞ……」


「アイスリッパーの鳴き声のようだったけど、それよりさらにデカくて、力強い鳴き声だった……」


「……ああ、それじゃあまさか、嘘だろ……!」


 兵士たちの表情に、絶望の色が差し始める。

 それと同時に、正面の通路の角から、巨大なカマキリが一体、現れた。

 蒼白い甲殻に、氷の鎌。右の複眼は潰れている。

 アイスリッパーの女王にして、『星の牙』のコールドサイスだ。


「か、カマキリの親玉だ!」


「そ、そんな……ここまで来て……!?」


「に、二体目の『星の牙』かよぉ……!」


「シルルルルル……!」


 コールドサイスは、舌なめずりするように両の鎌を研いでいる。この凶悪なマモノに背中を見せて、マンホールに逃げ込むというのは危険だ。ここで何とかするしかない。


 しかしロシア兵たちの表情は、みな揃って暗いものだ。誰かが犠牲になることを覚悟しているような、そんな表情だ。コールドサイスに向かって銃を構えているものの、その姿勢には覇気がないように感じる。


 無理もない。ロシア兵たちは皆、ひどく消耗している。その上で、あともう少しでみんな無事に脱出できる直前だった。そこに来て、この『星の牙』だ。その絶望感たるや、さぞ強烈なものだろう。


 そんな中、日向が『太陽の牙』を構えながら、コールドサイスの前に立った。ロシア兵たちを守るように。


「お、おい日下部! そんなに前に出たら、向こうも仕掛けてくるぞ!」


「皆さん、俺がコールドサイスを引きつけます。その間に、マンホールから脱出してください」


「ちょ、日下部!? 何言ってるんだよ! ここまで来たら、皆で脱出しようよ!」


「ええと、実は、俺の仲間が一人、まだ捕まってまして。助けに行ってあげないと」


「なんだそりゃ!? 初耳だぞ!」


「お前だけを行かせるワケにはいかんぞ、日下部よ! 俺様たちも……」


「……駄目です、シチェクさん。皆さんはもう限界です。ここで誰かが倒れてしまったら、ここまで頑張ってきた意味が無くなってしまう。皆さんは揃って、無事に脱出してください」


「日下部……」


「それにほら、俺は死んでも死なないですし、囮には最適ですよ。なにより……あのカマキリとは、ちょっと因縁があるもので」


「キシャアアアアアア……ッ」


 前に出てきた日向に、コールドサイスも敵意を向け始める。このマモノもオリガから洗脳を受けているはずだが、日向への殺意はその洗脳をも塗り替えてしまうのではないかと思えるほどの気迫である。


「……それじゃあ皆さん、どうかご無事で! ほら、こっちだカマキリ!」


「キシャアアアアアッ!!」


「あ、おい、日下部!」


 日向がコールドサイスに向かって走り出し、『太陽の牙』で斬りかかる。

 コールドサイスはそれを避けるが、その隙に日向が脇を通り抜ける。

 コールドサイスも鳴き声を上げながら、日向を追って行った。

 この場には、ロシア兵の面々が取り残される。


「……どうする? 俺たちは、どうすればいいんだ……?」


「……ここから脱出しよう。日下部の言うとおり、今の俺たちでは、もはやいつ倒れてもおかしくない。これ以上の戦闘は危険だ」


「そう……だよね。まずは自分の命を優先させないと……」


「家には、妻や娘がいるんだ。悲しませるワケにはいかない。俺はまだ、ここでは死ねない……」


「うぬぬ……日下部よ! 必ず、無事で戻ってくるのだぞぉ!!」


 ロシア兵たちは日向の言葉に従い、ここから脱出することにした。

 これで、日向の第一目標は完了である。



◆     ◆     ◆



 さて、一方こちらは日向とコールドサイス。

 基地地下の通路を、日向が走り抜けている。

 その後ろを、コールドサイスが追いかける。


 コールドサイスにとってこの通路は狭いらしく、身体を壁にぶつけながら、ねじり込むように日向を追いかけてくる。両腕の氷の鎌を床にガリガリと突き立てながら、鬼気迫る勢いで。


「キシャアアアアアッ!!」


「こ、怖ぇ……。アレに追いつかれたら、き殺されるぞ……!」


 時おり後ろを振り返りつつ、日向はコールドサイスから逃げ続ける。ちなみに『太陽の牙』は重たいので、途中で置いてきた。必要になったらすぐに呼び出せるので無問題である。


 通路が左に90度でカクンと折れている。曲がり角だ。

 日向は身体を傾けるようにカーブして、曲がり角を曲がる。

 追って来たコールドサイスは、壁に身体をぶつけながら曲がり角を曲がった。身体をぶつけた際の轟音が、また凄まじい迫力である。


 曲がり角を曲がると、その先は一直線の通路だ。

 一直線を抜けたさらにその先は、どうやら開けた部屋のようだ。


「キシャアアアアアッ!!」


 真っ直ぐな通路ということで、コールドサイスがスピードを上げてきた。さながら人間芝刈り機とでも言おうか。鎌を床に叩きつけながら日向を追い立ててくる。


「くぉぉぉぉぉっ!!」


 日向もまた全力で両腕を振り、限界を突破する勢いで走り続ける。

 まさしく、デッドヒートの様相である。


 ……と、その時。日向は、通路の先の小部屋の手前の壁に、スイッチのようなものを見つけた。恐らくは、この通路と小部屋を仕切るシャッターの開閉スイッチだと思われる。


「映画みたいにいくかな……!」


 日向は懐からハンドガンを取り出し、走りながら射撃。

 弾丸は、見事にスイッチを撃ち抜いた。

 同時に、分厚いシャッターが降りて、閉まっていく。


「よっしゃ、上手くいった!」

「キシャアアアアアッ!!」


 己の狙い通りにシャッターが閉まってくれて喜ぶ日向と、その日向を追いかけ続けるコールドサイス。両者の距離は、確実に縮まっていっている。


「うおおおお、ヤバいーっ!」


 正面のシャッターも、半分近くまで降りてきている。


 日向はスライディングしながら、シャッターの下を潜り抜け、その先の小部屋へと到達した。チラリと周囲を見渡せば、どうやらここは、他のいくつかの通路と繋がっている中継地点のような場所らしい。


 コールドサイスも日向を追って、シャッターの下を潜り抜けようとする。しかし……。


「ギャアアアアアッ!?」


 コールドサイスは、シャッターを潜り抜けるのが間に合わなかった。ちょうど胴体の半分くらいのところでシャッターに挟まれ、うつ伏せに倒れる。


「やった! ざまぁ!」

「キシャアッ!! キシャアアアアアッ!!」


 喜ぶ日向に向かって、コールドサイスは身体を挟まれながらも、その両腕の氷の鎌を伸ばそうとする。しかしそれは日向には届かず、目の前の床をガリガリと削るだけに終わる。それでも諦めず、鎌と身体を伸ばそうとする。恐ろしい執念である。


「これでも食らえ!」

「ギャアアアアアッ!?」


 動けないでいるコールドサイスに、日向は斬りかかった。

 振り回している鎌に当たらないよう、ヒットアンドアウェイの要領で、三回、四回と連続で切り刻む。


「よし、トドメを刺してやる! 太陽の牙、”点火イグニッション”ッ!!」


 日向の剣が超高熱の炎を纏う。

 そしてそれをコールドサイスに叩き込むため、振りかぶる。


「さぁ、終わらせてやる!」


「あら、それは困るわね」


「うぐ……!?」


 その時、日向の背後から何者かが飛びついて、日向の首を絞め上げた。そのまま一緒に倒れ込むように日向を背中から引き倒す。


 日向の首を絞める腕の力は、凄まじいものだ。

 このままいくと窒息どころか、首をへし折られてしまいそうなほどに。


「こんなところで何してるのかしら? ねぇ、日下部日向?」


「く……オリガさん……!」



 日向の首を絞め上げているのは、オリガだ。

 小悪魔的な笑みを浮かべながら、日向の耳元でささやいた。

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