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第372話 オリガとグスタフ

 引き続き、ホログラートミサイル基地。

 時刻は19時30分。


「はぁ~、疲れた」


 と、気だるげな声を発しながら、オリガが基地の通路を歩いている。ミサイル発射システムのセキュリティを突破するための作業がひと段落着いたところだ。


 北園を閉じ込めているスーツケースは持ってきていない。今は別の場所で上下逆さまに立てて放置している。スーツケースの中の北園は、さぞキツイ体勢で転がっていることだろう。


 スーツケースには当然、空気穴などが存在しない。なので閉じ込められた人間はすぐに酸欠に陥ることになるが、噛み合わせの部分や鍵穴などから空気が入り込み、完全に窒息することは意外と無い。


 なので少し前までは、その噛み合わせの部分をガムテープで塞いで空気をシャットアウトし、中の北園を苦しめて遊んでいた。これも精神感応テレパシーで外部に情報を漏らしたお仕置きの一環である。


「そういえば、日下部日向と会わせてからそれっきり、まだスーツケースを開けてないのよね。ふふ……北園はいつまでもつかしら」


 一人、恍惚とした笑みを浮かべながら、オリガは基地の執務室へと入った。

 執務室内では、一人の壮年の男性が縛られて転がっていた。


「ご機嫌いかが、グスタフ大佐?」


「ぬ……オリガか……」


 縛られている男性は、ロシアのマモノ対策室の幹部であるグスタフ大佐だ。床に転がされたまま、オリガを見上げるように睨みつける。


 グスタフの視線を受けて、オリガはニヤリと笑う。

 興奮しているというより、勝ち誇っているような表情だ。


「機関の施設の時とは、完全に立場が逆ね」


「……そうだな」


「懐かしいわね。大佐と私が初めて会った時のこと、大佐は覚えていらっしゃるかしら?」


「……もちろんだとも」


「私が必死に助けを求めても、大佐は何もしてくれませんでしたものね」


「むぅ……」


 オリガの言葉を受け、グスタフは気まずそうな表情を見せた。

 そんなグスタフの反応をたのしみながら、オリガは話を続ける。


「でも私、これでも大佐には感謝しているのよ? あなたはよく、外の世界のことについて私に教えてくれた。機関の施設の中だけが世界の全てだった私にとって、大佐のお話はいつも新鮮で楽しかったわ。あなたのお話を聞くのが、あの施設の中での私の唯一の楽しみだったのよ?」


「そうか……それは良かった。こちらも、職員の目を盗んで話を聞かせてやった甲斐があったよ」


「あら。やっぱり私に外の世界のことを話すのは禁止されていたのね。大佐も意外と悪い人ね」


「ふ……そうだな。私に感謝しているのなら、こんな計画は中止して、私の拘束も解いてくれると助かるのだが」


「それは駄目。こうやって猿轡も無しで、執務室の柔らかいカーペットの上に転がしてあげてるだけでも破格の待遇なのよ? それで我慢してくださいな、大佐」


「そうか……残念だ」


 オリガの言葉を聞いて、グスタフは無念そうに眼を閉じる。

 普段の加虐趣味なオリガなら、相手がこのような表情を見せたら高揚感を覚えるのだが……。


(……どうも、大佐が相手だと興奮しないのよねぇ。もういい歳したオジサンだからかしら?)


 と、グスタフ相手には高揚感を覚えることはなかった。それどころか、胸の奥がチリチリと痛むようにすら感じる。


「……調子が狂うわね」


 そう吐き捨てて、オリガは執務室を出ようとした。

 ……だが、その後ろからグスタフに呼び止められた。


「待て、オリガ」


「何かしら、大佐? その状態で私を呼び止めるなんて良い御身分ね」


「オリガ、お前はズィークと初めて会った時のことを覚えているか?」


「ズィークと……? 何をそんなやぶからぼうに……」


「どうなんだ?」


「……覚えているわ。私が初めて好きになった人との出会いの日だもの。忘れるわけない」


 そう言って、オリガはズィークフリドと初めて会った日のことを回想する。



◆     ◆     ◆



 ズィークフリドと初めて出会ったのは、ロシアのマモノ対策室本部の、日の光がよく届く通路だった。

 対外情報庁からマモノ対策室エージェント部門へと異動になったオリガは、グスタフに本部を案内されていた。


「私のことをガラス越しに見ていたグスタフ大佐とこうやって一緒にお仕事ができるなんて、光栄ですわ」


「……そうだな。私も嬉しいよ」


「あら。大佐ったら本当に感動しているのかしら。声が震えて聞こえますけど?」


「……そうか? 気のせいではないかな」


「まぁ良いわ。それで大佐。私のパートナーとなる、あなたの息子さんとやらは何処に?」


「もうこの辺りにいるはずだ。……おぉ、いたぞ」


 オリガとグスタフの視線の先には、窓の外の景色をジッと見つめる銀の長髪の男性が一人。黒いロングコートに黒いズボン、黒いブーツにグローブと、全身黒ずくめの偉丈夫だ。


 男もまた、オリガたちの気配に気づいて、二人の方に振り向く。

 その瞳は、オリガやグスタフと同じ金の色彩をたたえている。


「大佐。彼が?」


「うむ。私の息子のズィークフリドだ」


「…………。」


「……へぇ。大佐の息子って聞いたから、どんな強面が来るかと思ったけど、なかなかの美男子じゃない。初めまして、ズィークフリド。私はオリガ・ルキーニシュナ・カルロヴァよ」


「…………。」


「……ちょっと大佐。あなたの息子さん、だんまりなんですけど」


「ズィークは声帯が潰れていてな。声が出せないんだ」


「え……そうなの……?」


「感情の起伏も薄いが、こう見えても人並みの喜怒哀楽は持ち合わせている。仲良くしてやってくれ」


「ちょっと不安だけど……まぁなんとかなるでしょう」


「そうか。それでは早速、仕事のことについて色々と教えてやってくれ。ズィークはトレーニングの過程で実戦は多く経験してきたが、エージェントとしては新米なんだ」


「えぇ……意外ね……。黙っていたら、キャリア十年くらいの雰囲気があるわよ」


「はは……それじゃあ私は退席する。後は二人でよろしくやってくれ」


 そう言って、手を振りながらグスタフはその場を去った。

 通路にはオリガとズィークフリドの二人だけが残される。


 背丈が小さいオリガを、ズィークフリドはジッと見下ろしている。

 そんなズィークフリドを見上げながら、オリガはズィークフリドを見つめる。


「ズィークフリド……は、長いからもう私もズィークって呼ぶわね。知ってると思うけど、私はこれでもあなたより二歳年上なのよ。だから、先輩の言うことはよく聞きなさいね、ズィーク?」


「…………。」


「……ちょっと、どうしたのよ? そんなにジッとこっちを見て……」


「…………。」


「だからどうしたのよ、いきなり目をつぶっちゃって。ああもう、先行きが不安でしかないわ」


「…………。」


 するとズィークフリドはいきなり懐から紙とペンを取り出して、超高速で文字を書き始めた。


「今度は一体何なの……? 筆談でもしようっていうの……?」


「…………。」(メモを見せる)


「はいはい、読めばいいのね。なになに……『初めましてオリガさん! ズィークフリド・グスタフヴィチ・グラズエフです! まだまだ至らぬ点が多い未熟者ですが、これからよろしくお願いします!』……って、あなた、見た目の雰囲気とメモの内容に天空と深海くらいのギャップがあるわよ……」


「…………。」


「はぁ……知らなかったわ。大佐の息子さんが、こんなに面白おかしい性格だったなんて……」


 この日のオリガは、まさか自分がこれから先、この男のことを好きになるなど、微塵も思いはしなかったのであった。



◆     ◆     ◆



「……あぁ、すごく懐かしいわね」


 回想を終えたオリガは、笑みを浮かべていた。

 人を苦しめている時には見せない、穏やかな笑みだ。


「なぁ、オリガよ。お前はズィークのどこが好きになったのだ?」


「ちょっと大佐。好きになった人の父親に、そんなこっ恥ずかしいことを白状しろと?」


「まぁ、なんだ、なにせ、普段は愛嬌のかけらもない息子だ。あれのどこをそんなに気に入ってくれたのか純粋に興味がある」


「そうねぇ……見た目は間違いなく格好良いし、心根は優しいし、意外と面白いし、それに凄く強い。私って、自分より弱い男は生理的に無理なのよね。そして何より、ああ見えて私より年下っていうのがそそるわね」


「……今更だが、お前は難儀な性格に育ってしまったと思っているよ」


「誉め言葉として受け取っておくわね、お義父とうさま?」


「なっ……!? オリガ、今お前、何と……!?」


「お義父とうさまって言ったのだけれど? ズィークは私が貰っちゃうもの。そう呼んじゃおかしいかしら?」


「む……ああ、そうか、お義父さん、か。そうかそうか……」


「今日の大佐……なんか変ですわね。悪いものでも食べたのかしら」


「そうだとしたら、飯を出したお前たちの責任だがな」


「ふん、減らず口は相変わらずですこと。……それじゃ、私は少し眠ってくるわね大佐。ミサイル発射の最終段階に向けて、しっかり体力を回復しておかないと」


「む、待て。待つんだオリガ!」


「そうやって時間稼ぎしようとしても無駄よ。楽しいお話はここでお終い。残念だけれど、ここからは最後まで敵同士よ、大佐」


「オリガ……!」


「あ、それから、全てが上手く片付いて、ゆっくりできる時間が取れたら、あなたには私の出生について喋ってもらうから。ふふ、今からどんな話が聞けるか楽しみだわ」


 やがてオリガは、グスタフとの会話に満足して、今度こそ執務室から退出した。


 グスタフと会話する時、オリガはなぜかいつもより心が落ち着く気がしている。睡眠時間を削ってまでグスタフと会話をしに来たのは、計画の最終段階に向けてリラックスするためだった。あるいは、これが最後の会話になる可能性もある。


 オリガは、部屋の前にいたテロリストのメンバーの一人に声をかける。


「セキュリティの解除は、あとどれくらいで終わるかしら?」


「全てが上手くいけば、恐らく今夜の24時には」


「上出来ね。それじゃあ私は予定通り三時間の仮眠を取るわ。それ以上寝ていた場合、あるいは侵入者が来た時は、容赦なく叩き起こしてくれても構わないから」


「了解」


 話を終えると、オリガは基地の通路を歩く。

 ……だがその途中で、少し立ちくらみがした。

 オリガは慌てて、通路の壁に手をつく。


「っと……!? ふぅ、やっぱり身体が疲れ果てているわね……」


 壁に手をつきながら、息を吐くオリガ。

 その眼には、今まで隠してきていた疲れが噴き出ている。


 オリガは、なにも状況の余裕から仮眠を取るワケではない。彼女はこの計画を実行に移してから、ほとんど睡眠を取っていないのだ。彼女が眠れば、マモノたちは支配から解放される。そうなれば、テロリストたちだけでロシア軍から基地を防衛するのは困難になる。


 オリガの身体を維持するための『調整』を受けられなかった影響も無視できない。牢屋で日向と話していた間も、ミサイルのセキュリティと睨み合いをしていた間も、先ほどグスタフと話していた間も、身体のあちこちがきしんで、悲鳴を上げていた。


 恐らくロシア軍が攻撃を仕掛けてくるとしたら、籠城している自分たちの体力の消耗と、ミサイル発射の準備の段階から見て、今夜の23時以降といったところだろう。そしてそれが、ロシア軍と自分たちの最後の激突になる。


 だからオリガは、ロシア軍の攻撃に備えて、今は眠りにつくのだ。ほとんど賭けだが、この睡眠中の三時間さえ乗り切れば、こちらの盤上は完璧に固まる。そしてミサイル発射まで耐え切ることができれば、事実上オリガたちの勝利である。たとえその後、ロシア軍に叩き潰されようと。


 ロシア軍は今頃、迫るミサイル発射のタイムリミットに、すっかり余裕をなくしていることだろう。だが、余裕が無いのは、実はこちらも同じなのだ。


「それでも、私が勝つ。二十年以上、この日を夢見てきたのだもの……」


 暗い決意に満ちた瞳で、オリガはひとり、呟いた。





 そして、時刻は22時。

 マモノたちは保管用コンテナに仕舞われ、基地が静まり返っている。


 あの二人のテロリストの話が本当ならば、オリガはもう間違いなく眠ってしまったころだろう。テロリストたちも、起きているのが辛くなってきているはずだ。


「そろそろ、動く時だな……!」



 日下部日向は、二人の味方から受け取ったカギで、牢の扉を開いた。

 反撃の狼煙のろしを上げる時だ。

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