第367話 戦略的撤退
「ヒカゲ! 援護に来たよ!」
「シャオラン! 元に戻ったか!」
「うん! 心配かけてゴメン!」
オリガと戦っていた日影のもとに、本堂とシャオランが合流した。
シャオランは本堂との戦いの最中に、オリガからかけられていた洗脳を振りほどくことに成功した。
一方のオリガは、シャオランの洗脳が解かれたのを見て、分かりやすいくらいに狼狽えていた。
「ウソ……。なんで私の精神支配が解かれているの!? 有り得ない! 一体どうやって!?」
「ぼ、ボクもハッキリとは覚えていないというか……」
「ふむ……一連の様子を見ていた俺から言わせてもらうと、あれはまさしく愛による勝利だったとしか言い表せないな」
「ほ、ホンドー……そんなこっぱずかしいこと人前で言わないでよぉ……」
「く……余裕ぶってふざけてんじゃないわよ……!」
「なんにせよ、これで形勢逆転だなオリガ。どうする? 土下座して謝れば許してやらねぇでもないが?」
「ちぃ……誰がアンタなんかに……!」
「……見た目はか弱い金髪美少女と、それを虐める不良。どっちが悪役か分からんなこれでは」
「言ってる場合か本堂……」
「あ、ちょ、ちょっと待ってヒカゲ! 後ろから……」
「……ああ、オレも今、気付いた。この気配は……」
日影たちが振り向くと、そこには全身黒ずくめの偉丈夫、ズィークフリドが立っていた。両肩には、日向と北園を抱えている。北園は意識が無いらしく、ぐったりしたままズィークフリドに担がれている。
日影は、ズィークフリドの気配には気付いていたものの、まさか日向と北園が捕まっているとは思わず、焦りの声を上げる。
「き、北園っ!? 日向っ!? やられたのか!?」
「悪い、日影。掴まっちゃった」
「って、お前は意識があるのかよ日向! さっさとズィークを振りほどけ!」
「それが出来るなら苦労しないのよ。一見すると普通に担がれているように見えるけどな、この人尋常じゃないレベルの馬鹿力だぞ。抱えられているだけで身体がバラバラになりそう」
「もうこの際お前はどうでも良いから北園を助け出せっ!」
「俺だって北園さん助けたいけど、俺がこの状態なんだから無理に決まってるだろ。というかお前、俺はどうでも良いって、何だその言い草は。ズィークさん、日影もついでにやっちゃってください」
「…………。」
「あ、ゴメンナサイ調子乗りました。だからもう殴らないで……」
ズィークフリドが日向を一睨みすると、日向は一瞬で大人しくなってしまった。
一方、日影たちの背後では、オリガが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「ふ……ふふ……。これで形勢逆転ね、日影……!」
「クソ、オリガの野郎め、復活しやがった」
「ああ、ズィーク。あなた本当に素敵だわ。私は彼らを皆殺しにしろと言ったのだけれど、今回はその二人を生け捕りにしてくれたおかげで命拾いできたわ」
その言葉を傍から聞いた日向は、怪訝な表情を浮かべた。
(……ん? オリガさんは俺たちを『皆殺しにしろ』って言ったのに、ズィークさんはそれを無視して、俺たちを生け捕りにしたのか? それって、操られている人間としては、どうなんだ……?)
日向がそんな風に思っていることも気にせず、オリガは日影に言葉を浴びせ続ける。高圧的な態度は崩さずに。勝者の余裕という奴だろう。
「今、あの二人の命は私たちが預かっている。無事に返してほしかったらどうしたらいいか、分かっているでしょうねぇ……!」
「……チッ、土下座でもしたらいいのか?」
「それだけじゃ済まさないわよ。あなたはどうせ、どれだけ殺しても死なないのだから、壊れてしまうまで殺し尽くしてあげるから……!」
「いいんですかオリガさん、そんなに暇を潰しちゃって」
と、気が抜けた風にオリガに声をかけたのは、相変わらずズィークフリドに抱えられている日向だった。
「……どういう意味よ、日下部日向」
「今頃ホログラート基地は、ロシア軍の攻撃を受けているところですよ。俺たちがオリガさんをおびき寄せて、その間に軍が基地を制圧する。始めからそういう手筈なんです」
「な!? そ、そんなことあるワケ……」
「あの狭山さんが立てた計画です。嘘だと思うなら、基地に通信してみたらどうです? ……ああそっか、この周辺もまたコールドサイスの電波妨害能力の範囲内ですから、通信は使えませんねぇ。一瞬でも解除したら、即座に狭山さんがミサイル発射システムをハッキングしちゃいますもんねぇ」
「くっ……やってくれたわね……! ズィーク、今すぐホログラート基地に戻るわよ! 急いで戻れば、まだ軍を押し返すのは間に合うはず……!」
「…………。」
オリガは、日影たちを諦めて撤退を選んだようだ。
ズィークフリドは、日向と北園を抱えたまま連れて行ってしまう。
オリガは、去り際に日影たちの方を振り向くと、忌々しそうな表情を見せる。
「覚えてなさい。アンタには必ず、地獄を見せる」
「オレも、日向はともかく、北園は返してもらう。首洗って待ってろ」
「……ふん!」
「おーい日影。俺も助けてくれよー」
「うるせぇ、まんまと捕まりやがって。お前はしばらく帰ってくんな!」
「はくじょうものー」
オリガとズィークフリドは、雪が降り積もった丘の向こうへと消えた。
どうやら大型のスノーモービルに乗って来ていたようで、丘の向こうに停めてあったソレに乗り、二人は撤退していった。
雪原には日影、本堂、シャオランの三人が残される。
日影は、オリガたちが去っていった方角を見ながら、口を開いた。
「……なぁ。日向が言っていた『ロシア軍がホログラート基地を攻めている』って、あれマジか?」
「いや、嘘だろう。恐らく、俺たちをこの場から逃がすための出まかせだ」
「と、とりあえずボクは、そんな話は聞かなかったよ?」
「どうあれ、あのままじゃ北園を人質に取られながら、オリガになぶり殺しにされていた。ムカつくが、日向の野郎に助けられちまったワケだ」
「……そういえば、倉間さんはどうなった? ズィークフリドさんを引きつけてくれていたハズだったが……」
「そうだ、倉間! ズィークがここに来てたってことは、アイツもやられたんじゃ……!」
「あっち! あっちにクラマっぽい人が倒れてる! 行ってみよう!」
シャオランが指差すその先には、雑木林が生い茂っている。
その雑木林の入り口あたりの木にもたれかかるように、倉間が倒れていた。
日影たちは倉間に駆け寄り、彼を助け起こす。
「倉間! おいしっかりしろ! 倉間っ!」
「…………ぐ……痛つつ……」
「……良かった。とりあえず意識はあるらしい」
安堵の息を漏らしつつ、本堂が倉間の容態を確認する。
身体は至る所が痣だらけで、出血も多い。
右足に至っては、有り得ない形に捻じれている。どうやら折れてしまっているようだ。
本堂は倉間に応急処置を施す。
鎮静剤を打ち込み、ガーゼや絆創膏などで傷口を塞ぎ、折れた足を包帯と、近くの木から拝借した枝で固定した。
「……これでどうですか、倉間さん。北園がいれば、治癒能力でパッと治すこともできたのでしょうが……」
「いや、だいぶ楽になったぜ。ありがとうな本堂」
「その怪我は、ズィークフリドさんにやられたのですか?」
「ああ。狭山の言うとおり、ありゃマトモに戦っちゃダメなヤツだった。完全に実力を計り違えたよ。悪いな、作戦前にはあれだけイキっておいて、このザマだ」
「気にしないでください、相手が悪かった」
……と、ここで日影たちが身に着けている通信機から、ザー、ザーとノイズ音が発生する。だがそのノイズに混じって、人の声も聞こえてきた。どうやら通信を受信しているらしい。コールドサイスがこの場から撤退したことで、この周辺の電波妨害も無くなったか。
『――――こちら狭山! 聞こえるかい! 応答してくれ!』
通信機から発せられた声は、狭山のものだった。
日影たちはそれぞれの通信機で、狭山に応答する。
「狭山、こちら日影だ。マズいことになった。日向と北園が捕まった」
『なんだって……? とにかく、詳しい話を聞かせてくれ』
狭山に言われ、日影は現状を説明する。
オリガとズィークフリドと戦ったこと。
オリガは、一度に複数の相手を操ることができることが判明したこと。
ズィークフリドによって日向と北園が捕まり、倉間が重傷を負ったことを。
『……なるほど、このルートは完全に向こうに読まれてしまっていたか。すまない、自分の考えが浅かった』
「とりあえず、日向も北園もまだ無事だ。ここから挽回したらいい」
「なぁ狭山。俺からも質問だ」
と、今度は倉間が、通信機越しに狭山に声をかける。
『なんですか、倉間さん?』
「あのズィークフリドのヤツ、体重は何キロだ?」
『ズィークフリドくんの体重ですか? ロシア対外情報庁から提供されたデータには、80キログラムと記載されていますが……』
「はちじゅうだぁ? はっ、嘘つけ。明らかにその倍近い重さがあったぞ」
『……それは本当ですか?』
「ああ。少なくとも、あれはどう考えても80キロなんて重さじゃなかった」
『……分かりました。その点は後で情報庁に確認しておきます。とにかく今は、日影くんたちと共にこの場から撤退してください』
狭山は、日影たちに撤退指示を出した。
無理もない。日向と北園が捕まり、先導役の倉間は大怪我を負った。
当初の作戦は、総崩れだ。
……だが、そんな狭山の指示に異を唱える者が一人。
日影である。
「待てよ狭山。オレたちはここから、予定通り地下水道を通ってホログラート基地を目指す」
『……それは流石に認可しかねるよ、日影くん。ここは一度、体勢を立て直すべきだ』
「けどよ! 日向はともかく、北園が捕まっちまった! 早く助けてやらねぇと! それに、オレたちが基地に攻め入ろうとしていることも向こうにバレた! いつミサイルを発射されるかも分からねぇぞ!?」
『北園さんたちは心配だが、だからこそ確実に助けるためにも、体勢の立て直しは必要だ。それと、ミサイルはもうしばらく発射はされないはずだ。ミサイルの発射には二重三重にセキュリティがかけられている。たとえ向こうの職員を洗脳しようと、外部の人間であるテロリストたちには、すぐには撃てないはずだ』
「それは、そうかもしれねぇけど……!」
尚も食い下がろうとする日影を、今度は本堂が制止した。
「俺も、この場は撤退するべきだと思う、日影。医者を目指す者の観点から言わせてもらうと、怪我人の倉間さんを放っておけん。お前は倉間さんに、ここから一人で街まで戻れと言うつもりか?」
「それは……」
『日影くん。君たちの任務は、まだ継続している。決して、君たちでは敵わないから逃げろと言っているワケじゃない。最終的に勝つために、ここは一度退いてほしい。戦略的撤退という奴だ』
「…………了解だ」
『よし、それじゃあ迎えのヘリをそちらに送る。この場所だと、またテロリスト側に接近を察知される恐れがある。指定するポイントまで移動してくれ』
狭山の指示を聞き入れて、日影たちは倉間を支えながら、撤退を開始した。
最後には自分たちが勝利するために。




