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第352話 ロシアのミサイル基地にて

「グスタフ大佐、こちらへ」


「うむ」


 ここはロシアの中部、ホログラート山岳地帯のミサイル基地。

 そこに配属されている兵士に案内され、ロシアのマモノ対策室のエージェント部門を統括するグスタフ・ミハイルヴィチ・グラズエフ大佐が通路を歩いている。金の瞳に銀の髪を持つ、壮年の男性だ。


 最近、ここらでマモノの活動が活発になっているとの報告を受けたロシアマモノ対策室は、このホログラートミサイル基地を新しいマモノ対策室の支部に、ひいてはこの辺りのマモノに対応するための前線基地を設置しようと考え、その代表としてグスタフが視察に来ていた。


 グスタフが狭山に連絡を入れてから、はや三週間。


 時期は9月に突入したが、例のエージェント失踪問題はいまだに解決していない。とはいえ、進展はあった。ただし、悪い方向への進展だが。


 行方不明になったエージェントのうちの一人が発見されたのだ。

 ……死体として。


 死因は首吊りによる自殺。

 誰かが死を偽装したような痕跡は見受けられなかった。

 エージェントは、間違いなく自分の意思で自殺を図ったと思われる。


 だが、そのエージェントは自ら死を選ぶような性格の人間ではなかった。そんな彼の不審な失踪と突然の死。やはり、何者かが彼を始末したとしか思えない。だがどれだけ念入りに検死を行なっても、そのエージェントの死因は百パーセント自殺なのだ。


 あれから行方不明になったエージェントの数はさらに増え、とうとうロシア対外情報庁の主力諜報員がほとんどいなくなってしまった。情報庁としては、極めて手痛い人的損失である。


 今もなお、ズィークフリドが中心となって、残ったエージェントたちで行方不明になった者たちを捜索しているが、他のメンバーは依然として見つからない。捜査は行き詰っていた。


 また、狭山に相談してからその後、グスタフは狭山に協力を要請していない。というより、できないのだ。


 グスタフも当然、事態を重く見て、早急に日本に更なる助力を頼もうとした。しかしロシア政府の上層部は、この問題はロシアの力で解決するべきだと決定づけた。日本には借りを作るべきではない、と。なぜなら、今後の国交において不利になるからだ。


(この問題、どうしたものか……)


「――大佐? 大佐? 聞いていますか?」


「う、む? す、スマン、考え事をしていた。悪いが、もう一度説明を頼めるだろうか?」


「あ、あぁ、ハイ、分かりました」


 エージェント失踪問題のことで頭がいっぱいだったグスタフは、案内役の兵士の施設説明をうわそらで聞いてしまっていた。それでも兵士は文句の一つも言わず、もう一度説明を始める。


「大佐もご存じでしょうが、このホログラート基地は冷戦時代に建造された核ミサイルサイロを再利用したものです。建物などにやや古臭さは残っていますが、セキュリティ等は最新のものを導入済みです。また、サイロには高度なステルス性能を持つ核ミサイルが一基搭載されており、有事の際には敵対国への報復攻撃が可能です。まぁ、さすがにこれをマモノ相手に使うことはないでしょうが……」


「そうだな。こちらはあくまで、討伐チームの拠点としてここを利用できればそれで良い。核兵器など、持ち出さずに済むことを切に願うよ」


 兵士の説明に相槌を打ちながら、グスタフは再び物思いにふける。


(……そういえば、ここ数日はズィークから連絡が来ないな……。いつもなら、たとえ無言電話になろうと定期的に連絡をくれる奴なのだが……。失踪問題のこともあるし、心配だ。一度連絡を入れてみようか)


 そう考えたグスタフは、息子のズィークフリドに電話をかけるため、案内役の兵士に声をかける。


「すまん、少し電話をかけたい。案内の途中だが、構わないだろうか」


「あ、はい、大丈夫ですよ。……そちらは最近、随分と大変な状況だと聞き及んでおります。心中、お察し申し上げますよ」


「そう言ってくれると気が楽になるよ。では失礼」


 グスタフはコートのポケットから自分のスマホを取り出し、ズィークフリドに連絡をかけようとする。しかし電波状況を見てみると、圏外となっていた。


「……む? 電波が圏外のようだが、この辺りは電波が届きにくいのか?」


「え? いえ、そんなはずは……。確かにここは山奥ですけど、最新のアンテナも設置されてますし、電波状況はどこにいても良好のはずですよ?」


「これは……嫌な予感がするな……」



◆     ◆     ◆



 同じころ、このミサイル基地の外にて。

 二人の兵士が、警備のために並んで立っていた。


「ふあーあ、平和だなぁ」


「馬鹿め。映画とかでは、そんなことを言う奴からすぐに死ぬんだ。死にたくなければ口を閉じろ」


「と言ってもお前、こんな辺鄙へんぴな場所を襲撃してくる奴なんているのかね?」


 と、その時である。

 空から、ふわふわと雪が降り始めた。

 あくびをしていた兵士が、ぼんやりと空を見上げる。


「雪ぃ? この辺でこんな時期に降ってくるのは、かなり珍しいな。もしかすると、何かが起こる前兆だったりして……なーんて」


 そう言って、兵士が相方の方を見る。

 だが、相方は既に事切れていた。

 人間の胴体ほどの大きさがある蒼白いカマキリが、相方の首筋を掻っ切って頸動脈を破壊していた。


「……っ!? ま、マモノっ!?」


 兵士は、相方を殺したカマキリに急いでアサルトライフルを構える。

 だがその兵士の背中に、巨大な刃物のようなものが突き刺された。

 その刃物は、兵士の胸まで悠々と貫通し、多量の血を噴き出させる。


「あ……え……?」


 何が起こったのか分からず、兵士は声にならない疑問の声を上げる。

 だが、その身体はもう、僅かな力さえ入らない。

 刃物が兵士の身体から抜き取られると、兵士は糸が切れた人形のようにバタリと倒れた。


「シルルルル……」


 兵士を惨殺したのは、先ほどのカマキリよりも何倍もの大きさを誇る、氷の鎌を持ったカマキリだった。そしてそのカマキリの右の複眼は潰れており、古い切り傷が走っていた。


 このマモノは、ニューヨークで日向を散々追い回したマモノ。

 氷の鎌の暗殺者、コールドサイスだ。



◆     ◆     ◆



「敵襲ー! 敵襲ーっ!!」


 ホログラート基地内のサイレンが、赤いアラートと共に鳴り響く。

 大勢の兵士たちが、慌ただしく動いている。

 このミサイル基地が、マモノに襲撃されたようだ。


 マモノたちは、まるで事前に計画していたかのように、外の見張りの兵士たちを手際よく始末すると、一気にこの基地内部へと侵入してきた。


 基地内の通路にて、マモノたちを迎え撃つために、数人の兵士がバリケードを築いてマモノたちを待ち構える。


「なんでここまで侵入されるまで気付かなかったんだ! 連絡が遅いぞ!」


「それが、通信機が使えないんだよ! 電波妨害を受けている!」


「電波妨害だとぉ!?」


「ああ! そのせいで、他の基地に応援も要請できない状態だ!」


「な、なんだよそれ!? 絶対にマズい状況じゃないか!」


「おい! マモノが来るぞ! ぼさっとするな!」


 兵士たちが銃を構えるその先に、数体のオオカミ型のマモノの姿がある。

 茶色い毛皮に、獲物を射抜く鋭い目つき。

 ヨーロッパに広く分布するマモノ、マーシナリーウルフだ。

 

 だがそのマーシナリーウルフたちの姿は、兵士たちの記憶と少し違う。

 そのマーシナリーウルフたちの背中には、マシンガンが取り付けられている。

 あるいは、合金製のアーマーで守りを固めている。 


「何だこりゃ……!? マーシナリーウルフが武装してやがる……!」


「連中が自力で作って装備したのか!?」


「馬鹿言え! ありゃ間違いなく人間の装備だよ!」


「じゃあなんでマモノたちが人間の装備を持っているんだ!」


「と、とにかく応戦だ! 撃てぇー!」


 兵士たちがマーシナリーウルフたちに向けて、アサルトライフルの集中砲火を仕掛ける。ここは一本道の通路だ。銃撃戦の対処を心得ているマーシナリーウルフたちでも、避けようが無い。


「ガルルルッ!」


 だがマーシナリーウルフたちが一枚上手だった。


 まず、合金アーマーを装備したマーシナリーウルフたちが前に出て、その身で銃弾を防御し、後ろの仲間たちを守る。そして守られた仲間たちは、背中のマシンガンで兵士たちに反撃を仕掛けた。人間にも劣らない、見事な連携である。


「ぎゃあ!?」

「ぐあああ!?」


 ロシア軍の兵士たちが、マーシナリーウルフたちの弾丸に次々とやられて、倒れていく。残る兵士は、あとたった一人。


「だ、ダメだ! これは勝てない! 逃げよう!」


 兵士は一目散にその場から逃げ出し、近くの窓から外へと飛び出した。

 建物の外壁に背をもたれながら、息を整える。


「ぜぇ……ぜぇ……皆には悪いけど、俺はここから逃げさせてもらうぜ。俺だって死にたくないんだ……」


 呟きながら、生き残りの兵士はふと空を見上げる。

 空に、何か黒いものが飛んでいる。


「な、なんだあれ?」


 その黒いものは、よく見ると小さな粒の集合体に見える。

 その粒が群れを成して、縦横無尽に空を飛び回っている。

 その飛行速度は非常に速い。

 遠くから目で追っていても、油断すると振り切られそうになる。


 そしてその黒い小さな粒たちは、いきなり兵士の方に飛来してきた。


「う、うわ!? 来るな!?」


 兵士は慌てて、その粒の群れにアサルトライフルを発砲する。

 だが粒たちは、銃弾などお構いなしに兵士に接近してきた。

 そして、一気に兵士にまとわりつく。


「うわぁぁぁ!? こ、これ、虫!?」


 飛んできた粒たちの正体は、虫のマモノだった。

 体色は黒と、その黒よりさらに暗い黒のしましま模様。

 下半身は膨れ上がり、尻には鋭い毒針がある。


 この虫のマモノの識別名は『ヘルホーネット』。

 人間の内臓を破壊する猛毒、M-ポイズンを持つ殺人バチだ。

 そんな凶悪なハチが、兵士にまとわりついて、一斉に毒針を突き刺してきた。


「ぎ、ぎゃああああああ!? たすけ、誰か助けてぇぇぇ!!」


 兵士の悲鳴がこだまする。

 だが、助けに来てくれる者は誰もいない。

 外に逃げようとした者は皆、このハチたちが始末してしまったのだから。



◆     ◆     ◆



「グスタフ大佐、こちらへ!」


「う、うむ!」


 五人の兵士たちに案内されて、グスタフは基地施設内の通路を早歩きで進む。


 グスタフたちのグループは、マモノたちの奇襲をなんとか耐え切り、今は安全が確保できる場所を探して避難しているところだ。

 敵の奇襲は実に鮮やかなものだった。とにもかくにも、今は体勢の立て直しを優先しなければならない。兵士たちは突然の奇襲に、ロクな武装を用意できずにいる。


「なんとか武器庫や、あるいは兵器格納庫に到達出来れば、マモノたちに対抗できる武器があるはずです。兵器格納庫には最新式の戦車もあります!」


「マモノたちを押し返すには、我々だけでは圧倒的に頭数が足りない。生き残りの兵士たちともできるだけ合流したいところだ……」


「そうですね……皆の無事を祈るしかありません」


 と、その時。

 通路の向こうから、アイスリッパーが数体出現した。

 氷の鎌を持ち、人間の膝くらいまでの背丈を持つ大カマキリである。


「シャーッ」


「アイスリッパーだ! 撃てぇ!」


 兵士たちがアイスリッパーたちに一斉射撃を仕掛ける。

 アイスリッパーたちは無数の銃弾に撃ち抜かれて絶命したが、一体だけ銃弾を掻い潜り、壁を走ってきて兵士に斬りかかってきた。


「ふんぬ!」

「ギャッ」


 だが、飛びかかってきたアイスリッパーを、一人の巨漢の兵士が殴りつけ、そのまま壁と拳で板挟みにして押し潰してしまった。


「ふん! 虫のマモノ風情が、俺様の腕力に勝てるものか!」


「さすがだぜシチェク! コイツはこの基地の兵士の中で、格闘戦ナンバーワンなんだ! オリンピックのレスリングでロシア代表の候補に入ったこともあるんだぜ!」


「なるほど、それは頼りになるな」


「グスタフ大佐、こっちです! この通路の先に地下通路があります。そこを通れば、兵器格納庫まで一直線です!」


 そう言って、兵士の一人が先行し、角を曲がる。


「……ぐはぁっ!?」


 ……だが、その先行した兵士が、角の先で何者かに吹っ飛ばされた。

 グスタフたちの目の前で、壁に激突して倒れてしまう。


「な、なんだ!? マモノか!?」


 グスタフと、残りの四人の兵士が身構える。


 その通路の先から現れた、先行した兵士を吹っ飛ばした犯人と思われる者は、なんと人間だった。そしてその人間の顔に、グスタフは悲しくなるくらい見覚えがあった。


 その男は、全身黒ずくめの格好をしている。

 黒いオーバーコートに、黒いズボン。黒いブーツに、黒いグローブ。

 身長はグスタフと同じくらいで、185センチほど。

 そしてグスタフと同じ金の瞳に、銀の長髪を持っている。



「馬鹿な……ズィーク……なぜお前がここに……!?」


「…………。」


 グスタフたちの前に立ちはだかったのは、ロシア最強と謳われるエージェントにして、グスタフの実の息子でもある、ズィークフリドだった。

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