第351話 的井との模擬戦を終えて
「ぐ……ああ頭痛い……」
日向の意識が、戻った。
数分前、彼は的井との模擬戦にて、彼女の強烈な一撃を頭部に貰って卒倒してしまった。殴られた箇所から痛みは既に無くなっているものの、頭の中がぐわんぐわんとする。
「”再生の炎”は、脳震盪の回復には弱いのか……?」
ところで、日向は今、意識は戻ったもののまだ身体を横にしているままである。ついでに太陽の光が眩しいので目も開けていない。つまり日向は今、自分がどこでどんな風に横になっているか分からない。
背中に感じる板張りの床の感触からして、マモノ対策室十字市支部のリビングで横にされているらしいことは分かる。しかし一番分からないのは、後頭部に感じる非常に柔らかな感触だ。ただのクッションとは違う、人の肌のような触感と弾力性を感じる。
「なんだろこれ……? いったい何が俺の枕になって……?」
「あ、日向くん。良かった、起きたんだね」
「んあ? 北園さん?」
ようやく瞼をつんざく光に慣れてきたので、日向は重々しく目を開く。すると日向の目の前、やたら近い場所で、北園が日向の顔を覗き込んでいた。
「……あれ? じゃあちょっと待って? 今、俺の枕になっているのは……」
日向は、少し顔を傾けて、自分の頭の下に敷かれているモノをチラリと見る。そこにあったのは、色白でスベスベな北園の太ももだった。今日はミニスカートを履いている彼女は、細くて可憐な脚線美を大胆に披露している。
つまり日向は今、北園に膝枕をされているらしい。
「……ほあああああ!?」
「あ、日向くん!?」
羞恥と気まずさから、日向は逃げるように北園の太ももから転がり落ちた。ちなみに、日向が横たわっていたその場所は、リビングのベランダのすぐ近く。その結果、日向は勢い余ってベランダから芝生の上へと落下した。
「ぐほぉ!?」
うつ伏せの姿勢で芝生の上に落下して、哀れっぽい悲鳴を上げる日向。
……だが、落下した時、腹部を殴られたような衝撃を感じた。
日向がその場から退いて見てみると、日向の腹が落下したその場所に、一抱えほどもある石が安置されていた。
「ごほっ、ごほっ、え、何だこの石? こんなの普段は無かっただろ。誰が設置したんだ?」
「俺だ」
そう言ってリビングの奥からやって来たのは、本堂だ。
その後ろから的井と狭山も近づいてくる。
「お前が目を覚ました時、絶対に狼狽してベランダから落下すると予想していたからな。ちょっとイタズラで、罠を仕掛けてみた。計算通りだったな」
「あ、悪党め……!」
「ええと、ところで日下部くん。さっきはごめんなさいね。焦って、つい全力で反撃しちゃったわ……」
「あ、えっと、的井さん、気にしないでください。むしろ、俺でも少しだけ的井さんに全力を出させたんだなと思うと、少し自信が湧きます」
「そうね……剣を投げるだけならともかく、ナイフまで隠し持ってたのは予想外だったわ。それで斬りかかってくるなら楽に返り討ちにできたんだけど、投げてきたのはさらに予想外だったわね」
「日向くんはほんの一瞬だけ、的井さんの想定の上を行ったということだね。後は、的井さんが即座に反撃してくるのを読んで、その反撃をさらにやり過ごすことができれば、あるいは勝利も不可能ではなかったかもしれない」
「ナイフを投げるまでは正解だったのかぁ……。もう少しだけ、足りなかったな」
狭山の総評を聞いて、悔しそうに唸る日向。
だがその途中で、思い出したかのように北園を見る。
「……そうだ、北園さん。なんで俺なんかに膝枕を……?」
「日向くんが気絶した時、なかなか起きなかったんだけど、狭山さんと本堂さんが『北園さんが膝枕してあげれば、すぐに回復して目を覚ますと思うよ。医学に精通している自分たちが言うんだから間違いない』って言うから、やってみたの。それでもなかなか起きなかったけどね」
「はぁ、なるほど…………ちょっとお二方、そこに直れ」
日向に呼ばれた狭山と本堂。
二人はその場で気をつけの姿勢をとる。
「いやぁ、なにかと気苦労が絶えない日向くんに、なにか悦楽を与えてあげたいと思った結果、北園さんに協力を仰ぐのが一番かなぁって……」
「お前だってまんざらでもなかっただろうに、俺たちを責めるのか日向」
「ぐ……まぁ、北園さんの膝枕は大変気持ち良かったです、ハイ……。けど、それはそれとして俺が言いたいのは、純粋無垢な北園さんに変なことを吹き込まないでくださいっ!」
「はい、スミマセン」
「まるで保護者だな」
言いたいことは言ったので、日向たちは先ほどの的井との模擬戦を改めて振り返る。本堂は簡単に制圧されてしまったが、思いのほか日向が善戦していた。
「私も、ナイフに対する防戦術は心得があるの。本堂くんくらいのナイフ使いなら、何度も手合わせしてきたわ。訓練においても、実戦においてもね。だから、本堂くんは相手にしやすかったの」
「なるほど、やはりしっかりと訓練を受けた相手には、まだまだこちらの実力は届かないか」
「うーん、さすがは達人。下手な『星の牙』よりよっぽど手強かった……」
「ふふ、誉めてくれてありがとね。……けど、それはあなたたちが異能ナシで戦った場合の話。あなたたちが異能をフルに活用してきたら、私でも勝てるかは分からないわね」
的井の言うとおり、日向たちには普通の人間には無い異能がある。それを駆使することで、常人離れした戦闘能力を発揮することができる。
例えば、先ほど本堂は的井との戦いにおいて、ナイフの刺突を見切られて、関節を極められかけた。だが本堂は本来、超帯電体質によって身体から自由に放電を行うことができる。それで的井に反撃を仕掛けることも可能だった。
つまり事実上、本堂に関節技は通用しないのだ。悠長に関節を取っている暇があったら、その間に本堂は相手に電撃を食らわせることができるのだから。
「オマケに本堂くんは”迅雷”でスピードをさらに上げることができる。そうなった場合、私でもあなたの攻撃を全て捌ききる自信はないわね」
「お褒めに与り光栄の極み。……しかし、素の身体能力であそこまで圧倒されたとなると、今までの戦い方は異能頼りだと思い知らされたようで、少し悔しいですね。今後は、正式な戦闘技術をもっと磨く必要があるか……」
「だったら、私がナイフ戦の手ほどきをしましょうか? システマにもナイフを使った戦闘術はあるし、ある程度なら心得があるわ」
「それなら是非とも。手取り足取り教えていただきたい」
「……きっと他意は無いんでしょうけど、あなたが『手取り足取り』って言うと、いやらしい言葉にしか聞こえないのよね……」
「お褒めに与り……」
「褒めてないから」
◆ ◆ ◆
皆が歓談に花を咲かせていると、突然電子音が鳴り響いた。
どうやら、狭山のスマホが着信を知らせているらしい。
「おっと失礼。ちょっと出てくるよ」
そう言って、狭山は日向たちの元を離れる。
リビングから廊下に出て、白黒コートのポケットからスマホを取り出した。画面を見ると、そこには『グスタフ大佐』の文字が表示されている。
「……おや。グスタフ大佐からとは珍しいね」
狭山が呟く。
ちなみにグスタフ大佐とは、ロシアのマモノ対策室のエージェント部門の総括を務め、ニューヨークなどで日向たちと共に戦ってくれたオリガとズィークフリドの直属の上司でもある。
また、グスタフ大佐はズィークフリドの父親である。父も子も寡黙な性格だが、親子関係は上手くいっているらしい。
狭山は、グスタフ大佐からの電話に出た。
「もしもし、狭山です」
『グスタフだ。忙しいところすまないな、狭山』
「いえいえ、ちょうど息抜きをしていたところです。何か御用ですか?」
『うむ。最近、こちらで少し問題が発生していてな。……と言ってもマモノ関連の話ではないのだが、お前の耳に入れておきたかった』
「ふむ……それで、その問題とは?」
『うむ。実は、ロシア対外情報庁のエージェントたちが、ここ最近で次々と行方不明になっている』
「ロシア対外情報庁の……」
ロシア対外情報庁とは、ソ連時代のKGBの後継となる諜報機関である。もともとオリガやズィークフリドもそこのエージェントで、マモノ災害が発生してからは、マモノ対策室のエージェントに転属となった。
『情報庁のエージェントたちの多くは、マモノ災害には関わっていない。よってマモノ災害とは無関係である可能性が高いが……この行方不明になったメンバーの中には、オリガも含まれているのだ……』
「オリガさんが行方不明に……?」
『現在、ズィークを中心として、残ったエージェントたちで捜索チームを結成しているが、芳しい報告は届いていない。……狭山よ、お前はこの状況をどう見る?』
「ふむ……ちなみに、問題発生から経過した日数と、行方不明になった人数は?」
『日数はざっと六日。行方不明者はオリガを含めて五人だな』
「なるほど。……例えば、余所の国がエージェントを拉致して尋問にかけているという可能性もありますが、その場合だと、拉致のペースがあまりにも早すぎる」
『拉致のペース?』
「ええ。エージェントたちは皆、特殊な訓練を受けている。彼らを拉致するのは、拉致する側からしてもリスクが高い。だから、一人を捕まえたらじっくりと時間をかけて、知っていることを洗いざらい吐かせようとするはず。なるべく少ないリスクで済ませるために。だからこの問題、尋問目的の拉致と考えるのは不自然です」
『拉致ではない……とすると、残る可能性は……』
「一番に思いつくのは……何者かに消された、という可能性ですね……。それも、相手はエージェントたちを早いペースで次々と消している。つまり、公に役職を公表していないエージェントたちの正体と動向を熟知している。よってこの問題の黒幕は、情報庁内部の人間による可能性が高い」
『なるほど……そうなるとまさか、オリガも……』
狭山の推測が本当なら、オリガもすでに始末されてしまったということになる。オリガの名前を呟いたグスタフ大佐の声が、妙に震えて聞こえた。
「落ち着いてください大佐。これはまだ憶測に過ぎません。消息を絶ったエージェントたちがまだ生きている可能性だって、十分にあります」
『そ、そうだな。すまない、みっともない所を見せた』
「日本から、何か手助けは必要ですか?」
『いや、ここまで分かれば、後は我々だけでもやれるはずだ。礼を言う、狭山。お前に相談して正解だった』
「いえいえ、お力になれたなら幸いです。なにか困ったことがあったら、遠慮なくご連絡ください。今は国と国の関係やわだかまりなど後回しにして、協力して問題に立ち向かうべきなのですから」
『うむ。その時は頼りにしている。それでは』
その言葉と共に、グスタフ大佐からの通話が切れた。
狭山は静かになった廊下にて、顎に手を当てて考え込む。
「ふむ……嫌な予感が拭えないな……。この問題、今の自分たちの想像以上に根が深い気がする……。グスタフ大佐はああ言っていたが、無事に解決すると良いのだけど……」




