第347話 ニューヨークミッション、完了
エヴァ・アンダーソンが次元の裂け目を潜ったその先は、ニューヨークを一望できる高層ビルの屋上だった。そしてそこには彼女の相棒である、鮮やかな赤い鳥のヘヴンがいた。
「……戻ったよ、ヘヴン」
「エヴァか。派手に暴れていたみてぇだったが、怪我はしてねぇか?」
「ううん。大丈夫だった。……けど、あの『予知夢の五人』は、確実に強くなってきている。彼らがかの地までやって来た時、果たしてどれくらい強くなっているのか、少し楽しみ」
「……そうかい」
そのエヴァの言葉を聞いたヘヴンは、優れない表情をしていた。
以前、十字市でエヴァ・アンダーソンが日向と北園の二人と会ったことがある。あの日以来、エヴァは日向たちが『幻の大地』にやって来るのを楽しみにしている節がある。そこで、彼らと決着を付けることを。
しかし、日向の仲間の一人である北園が『日向たちがエヴァを倒す予知夢』を見た、と協力者の動植物たちから聞いた。この予知夢がちゃんと実現するのならば、日向たちとエヴァが幻の大地で戦った時、負けて死ぬのはエヴァということになる。それが、ヘヴンにとっては心配だった。
だから予知夢を実現させないために、コールドサイスやフラップルに日向たちの暗殺を依頼した。それも、エヴァには極秘で、である。日向たちとの戦闘を心待ちにしている彼女にこの事を知られたら、きっと叱責されて止められるだろうからだ。
(……だが、あの二体は日下部日向たちの暗殺に失敗した。カメレオンの奴は死亡、カマキリの奴も行方知れずになっちまった。アイツらは、親衛隊の中でも選りすぐりのメンバーだったんだがな)
「それにしても、負けちゃったね、大樹。人間は『この星の環境のために』って言って木を植えているみたいだから、私もあの子を植えて緑を増やしてあげようと思ったんだけど、お気に召さなかったみたい」
「勝手な奴らなんだよ、連中は。この星の未来を憂うなら、増えすぎた人間を減らせばいい。それが一番手っ取り早いのに、その事実からずっと目を背けてやがる」
「うん。だから、私たちがその役目を果たす。ヒトの生活圏を縮小させて、自然の頒布図を数世紀前まで回帰させる。……だけど、やっぱり殺しはあまりしたくないな。仲良しの者と永遠にお別れなんて、とても悲しいことだから」
「お前がそう言うなら、俺たちもその意見を尊重しよう。だから……頼むぜ、エヴァ。お前は、俺たちの最後の希望だ。なるべく危険なマネは控えてくれ」
「うん……勝手に戦いに行ったりしてゴメンね、ヘヴン」
「まぁ、無事に帰ってきたなら、良しとしてやるよ」
「ありがとう。……それじゃあ、戻ろっか」
そう言って、エヴァが次元の裂け目を作り出した。
さっそく、エヴァがその中へと入っていく。
恐らくは、『幻の大地』に繋がっているのだろう。
「……エヴァに内緒で動かせるメンバーも、限られている。暗殺を仕掛けられるのは、次で最後だな」
ヘヴンは、次元の裂け目に入る前に、ニューヨークの街を一瞥した。
日向たちがいるであろう方角に向かって。
「覚悟しておけ、予知夢の五人。次は、俺が直々に出てやる。
テメェらにエヴァは殺させねぇ。……決着つけてやるよ」
◆ ◆ ◆
日向たちは、州軍の前線基地まで戻ってきていた。
空は、既に夕焼け色に染まりつつある。
今回は、随分と長い一日だった。
「ああ、なんか、ひどく眠いや……。ダメージを受け過ぎて、”再生の炎”のエネルギーが少なくなっているからかな……」
日向は、物資が入った箱に腰かけ、息をつく。
共に戦った仲間たちも、思い思いに身体を休めていた。
「やぁ、お疲れ様、日向くん」
「あ、狭山さん」
日向の元に、狭山がやって来た。
日向の隣の箱に、どっかりと腰を下ろす。
「今回の戦いは、マモノ災害の中でも最大規模の戦いだった。よくぞ無事に戦い抜いてくれたね。自分と初めて出会った時と比べて、君たちは本当に強くなったよ」
「俺に関してはまぁ、狭山さんが鍛えてくれたおかげですね」
「自分は、少し君の手伝いをしただけだよ。君が強くなったのは、他ならぬ君自身の決意と努力の賜物さ」
「相変わらず、人を立てるのが上手いというか……」
照れくさそうに頬を掻く日向。
あまり褒められ慣れていない日向にとって、狭山のこういった真っ直ぐな賞賛は、少しこそばゆいものがある。
「日向くん、お疲れ様ー」
「あ、北園さん」
日向の元に、今度は北園がやって来た。
ユグドマルクトから受けた動物化は治っていないようで、まだ頭には猫の耳が、尻には尻尾が生えている。これは、動物化を受けた他の仲間たちも同様である。
「まだ人間に戻らないよー。ちゃんと治る……よね?」
「ええと、どうなんですかね、狭山さん」
「心配しないで。先ほどバイタル値を測定したけど、数値が急速に変化しつつある。北園さんが普通の人間だった時と同じ値に近づいているから、しばらく待てば元に戻ると思うよ」
「よかったー。この格好も可愛いけど、絶対に目立っちゃうもんね……」
(……そういえば、ユグドマルクトを倒したら、今のねこぞのさん状態はもう二度と見れなくなるんだよな……)
そう考えると、日向は一抹の寂しさを覚えた。
そして、勇気を出して北園に声をかける。
「あのー、北園さん」
「なぁに、日向くん?」
「ネコの姿をした女の子って、可愛いと思うんです」
「私もそう思うよー。今の私、かわいい?」
「う、うん。かわいい。それで、もしよかったら、今のその姿をスマホで撮らせてくれないかなー、とか……いやごめんやっぱり忘れて俺いまめっちゃ気持ち悪いこと言った」
「あはは、大丈夫だよ、写真くらい」
「……え? ホントに?」
「うん。後で私にも写真送ってね」
「あ、ありがとう! それじゃ遠慮なく……」
「それジャ遠慮なク……」
「は?」
「ン?」
日向の背後に、いつの間にかコーネリアスが立っていた。
見れば、彼もスマホのカメラを北園に向けている。
「あの……コーネリアスさん……そのスマホは、一体なにを……」
「俺もキタゾノキャットを撮影しタイ」
「な、なんで……?」
「可愛イからダ」
(……まさか、コーネリアスさんも北園さんを狙っているのか? この人は強いし、背は高いし、顔は良いし、軍人だから頭も良いだろうし、給料も良いだろうし、ゲームの腕も俺より上だし……駄目だ何一つとして勝てない。このままじゃ北園さんを取られる……!)
「……日向くん、どしたの? 顔が青いよ?」
「あ、いや、何でもないよ北園さん」
「ははは、青春だねぇ」
日向と北園の様子を見て、狭山が柔らかく笑った。
……と、そこへジャックをはじめとする他の『ARMOURED』の面々が日向たちの元へとやって来た。
「ヒュウガ、今日は来てくれて助かったぜ。悔しいけど、オマエがいなけりゃユグドマルクトはどうにもできなかったからな」
「ジャックも、色々と助けてくれてありがとう。北園さんやシャオランも随分と世話になったみたいだし、感謝してもしきれないよ」
「へへっ、任せとけってんだ。……だが、最後にあのちっこい女を仕留めきれなかったのは悔しいな。アイツが、このマモノ災害の元凶なんだよな」
「うん……。次は負けない」
「そうだな……次……か……」
一瞬、ジャックが遠い目をした気がした。
それが気になった日向だったが、それをジャックに尋ねるより早く、今度はレイカとマードックが話しかけてきた。
「日下部くん、それに北園さんと狭山さんも、今日はお疲れ様でした。また会える日を楽しみにしていますね」
「本当に、世話になったな。この借りは、いずれ必ず返そう」
「レイカさんにマードックさんも、本当にお疲れ様でした。……けど、ニューヨークはだいぶ滅茶苦茶にされてしまいましたね……。ユグドマルクトが生やした植物も、普通に残ってるし」
「そうだな。ニューヨークの都市機能が麻痺するのは避けられん。きっと多くの者が路頭に迷うことになるだろう。大変なのは、ここからだな」
「またヤバいマモノが出てきたら、遠慮なく呼んでください。その日が学校だろうと駆け付けますよ」
「はは、それなら頼りにさせてもらおう」
『ARMOURED』の皆と握手を交わす日向たち。
……と、そこへ、彼らに近づいてくる集団が。
「あ、ご覧ください! 我が国が誇るマモノ討伐チーム、『ARMOURED』の皆さんが揃っています! さっそくインタビューをお願いしましょう!」
「……なぁジャック、あれって……」
「テレビのインタビューみてーだな。早速受けてきてやるぜ」
そう言ってジャックは、人当たりの良い笑顔を浮かべてインタビュアーに歩み寄る。
「『ARMOURED』のジャック・レイジーさんですね! 今回の任務は大変厳しいものだったと思いますが、如何でしたか!?」
「ああ、超ハードだったぜ。けど、俺たちに倒せないマモノはいねぇ。つまり、達成できない任務は無い。今回も俺たちは、当たり前のように勝利したぜ」
「流石ですね! ところで、そのトカゲのようなお姿はいったい……?」
「あー、これはまぁ、ちょっとな。もうすぐ元の姿に戻るから安心してくれ」
「そうなんですね、よかったです。……あ、そちらにいらっしゃるのはレイカ・サラシナさんですね! お話をお伺いしてもよろしいでしょうか!?」
「あ、えっと、はい、大丈夫ですよ」
インタビュアーは、熱心に『ARMOURED』の面々に話を聞いている。
その隣の日向たち日本勢には、まるで関心が無いといった様子だ。
「……というか、これって俺たち、意図的に避けられてるような……」
「うむ。その可能性があるな」
日向の呟きを肯定したのは、マードック大尉だ。
「恐らく彼らは『ARMOURED』の活躍を前面に取り上げることで、今回の勝利はアメリカの活躍によるものだと印象付けたいのだろう。本当は、お前がいたからこそ勝てたのだがな、日向」
「それって、いわゆる『情報操作』なんですかね……?」
「ああ。きっと、日本の活躍を許したくない合衆国の大統領の差し金だろう。そして、この国の軍人である私は、その意志に従わなければならない……。すまないな、皆。お前たちも命を賭けて頑張ってくれたのに、このような扱いをしてしまって……」
「俺は大丈夫ですよ。インタビューとか、そんなガラじゃないですし」
「私も大丈夫ですよー。目立つのは好きじゃないので……」
「それじゃあ、俺たちはお邪魔でしょうし、これで退散しますね」
「本当に申し訳ない。コレも含めて、借りはいつか必ず返そう」
日向、北園、狭山の三人は、マードックに別れを告げてその場を去る。
今日は近場のホテルで一夜を明かして、それから日本に帰る予定である。
歩きながら、日向は狭山に声をかける。
「……そういえば狭山さん、オリガさんとズィークさんは?」
「ああ、二人ならもう、とっくに去ってしまったよ。なんでも、『ロシアのエージェントである私たちがこの国にいることが、この国のお偉いさんたちにバレたら、絶対に面倒くさいことになるでしょうからね。さっさと旅行の続きに戻らせてもらうわ』と言ってたよ」
「なるほど……なんというか、あの人らしい……」
「そういえば、ズィークフリドくんからメッセージのメモを貰っているんだった。『またねみんな! また会う日まで!』だってさ」
「相変わらず筆談の内容がフレンドリー極まっている……」
「うあー、オリガさん、もう行っちゃったのかぁ。最後にもう一回、あのキツネの尻尾をモフらせてもらえばよかったなぁ」
ロシア組が去ってしまったと聞いた北園が、残念そうな表情を見せる。
ちなみにオリガの尻尾は、この前線基地までヘリで移動する際、ヘリの中で皆から散々モフられた。嫌がる彼女を複数人で無理やり抑え込み、気が済むまでモフり倒したのである。オリガと仲が悪い日影などは、実に楽しそうに彼女を拘束していた。
「……止めといたほうがいいよ北園さん。最悪、今度は戦闘になるから……」
「あはは、そうだね。それじゃ、私たちも行こっか」
「うん、行こう。もうヘトヘトだ、俺」
「……あ、そういえば写真撮るの、まだだったよね? 撮る?」
「……撮る!」
◆ ◆ ◆
時刻は夜の九時。
とある小さなホテルの一室にて、ズィークフリドがスマホでビデオ通話を行っていた。
電話の相手はグスタフ・ミハイルヴィチ・グラズエフ大佐。
ズィークフリドたちの上司にして、彼の実の父親でもある男だ。
『ズィーク、どうやら合衆国でマモノと戦ったらしいな。大丈夫だったか?』
「…………。」
父の言葉に、ズィークフリドは頷いて返事をする。
彼は病気で声帯を失っているため、言葉を発することができない。
グスタフも慣れた様子で、ズィークフリドの頷きを受けて、言葉を続ける。
『オリガには、変わった様子は無いか?』
「…………。」(頷く)
『彼女が怪しい動きを見せた時、止められるのはお前だけだ。しっかり監視していてくれ』
オリガの相棒であるズィークフリドは、彼女の監視員も務めている。
当然だが、これはオリガには秘密にされている。
幼い頃より、ロシアという国から虐待同然の訓練を受けさせられ、ロシアに忠誠を誓うよう育てられたオリガは、心身ともに育った今、ロシアに反感を抱いていたとしても不思議ではない。
優れた戦闘能力を誇り、精神支配という異能をも持つ彼女が敵に回れば、始末は困難を極める。そこで、常にオリガの近くに在り、仮に彼女と戦闘になっても問題なく勝利できるであろう人員として、ズィークフリドが監視員に選ばれたのだ。
『ところで、そのオリガは今、どこへ?』
「…………。」(紙にメッセージを書く)
『なになに……買い物に行った? この時間にか? そりゃあ、あの子は強いが、若い女性がこんな遅くに一人で出かけるとは、感心しないな。なぜついて行ってやらなかった、ズィーク?』
「…………。」
『なになに……ついて行こうとしたが、断られた? まったく、しょうがないな……」
「…………。」(肩をすくめるジェスチャー)
『……なぁ、ズィーク』
「……?」
『オリガとは、上手くやれているか?』
「…………。」(頷く)
『そうか……む? お前、今、笑ったか?』
「…………。」
『おいおい、せっかくの珍しい表情なのに、父親の私にくらい見せてくれてもいいだろう? まぁ、無理強いはしないが……』
「…………。」
『……なぁ、ズィークよ、オリガを頼むぞ。あの子が道に迷った時は、お前が支えてやってくれ』
「…………。」
父親の言葉に、ズィークフリドは力強く頷いた。
◆ ◆ ◆
同じころ。
オリガとズィークフリドが滞在する街にて。
ここは、街の下の薄暗い下水道。
下水道であるため、当然汚水が流れているのだが、その両脇には人が自由に歩けるような足場もある。そのため、暗さと悪臭さえ耐えきれれば、ここで人が生活することもギリギリ可能であるように見える。
加えて、この下水道は迷宮のように入り組んでいる。そのため、世間の目を逃れる何者かが隠れ住むにはうってつけの場所だと言える。
そして、今まさに、そんな世間の目を逃れる何者かが、この下水道に住み着いていた。
「アイツ、本当に来るんだろうな……?」
その男は、以前ノルウェーにてマモノの密猟を行っていたテロ組織『赤い稲妻』のリーダーの男だった。
飼っていた『星の牙』ラドチャックに襲われ、その後、停泊させていた高速艇で逃げたとオリガが言っていたが、このアメリカの下水道に隠れていたようだ。
リーダーは、この下水道にて何者かを待っているらしい。
やがて、薄暗い通路の向こうから、足音が近づいてきた。
「……ご機嫌よう、リーダーさん。お元気そうで何よりね」
現れたのは、オリガ・ルキーニシュナ・カルロヴァだった。
そして彼女の背後には、巨大な異形の影がある。
蒼白い甲殻に、氷の鎌。
複眼は、右側が焼き切られて潰れている。
ニューヨークにて、日向を何度も襲撃したマモノ、コールドサイスだ。
今はオリガの能力によって、彼女の傀儡と化している。
「……おう。ちゃんと来たか」
「当然でしょ。私の夢を叶えるための、絶好のパートナーだもの。無下にはしないわ」
「その後ろのマモノは、何だ?」
「私たちの、新しい手駒にしようと思って。本国に送ることはできるかしら?」
「任せろ。この国にもそれなりにパイプがある。武器からマモノまで、何でも密輸できるぜ」
「ふふ、流石ね。それじゃあ、後はよろしくね」
「……ところで、この国にはどうやって来た? お前は立場上、監視の目はキツイんじゃないのか? 尾けられたりとかは、してねぇだろうな……?」
「安心して、ちゃんと確認済みよ。尾行はいないわ。それと、この国には正式に休暇を取って旅行に来たのよ。……もっとも、何のための旅行かは、明言していないのだけどね」
「そうかよ。それならいいんだ。……時は近い。お前の働きには期待してるぜ」
「任せなさいな、必ず成功させるわ。
……ふふ、もうすぐよ。もうすぐで私の夢が、実現する……!」
オリガの表情は、恍惚としていた。
混沌と野望が渦を巻く、危険な表情であった。
その後、オリガはコールドサイスをリーダーに預け、何食わぬ顔でホテルに戻る。その帰路の途中、パートナーであるズィークフリドに出会った。
「あら、ズィーク。どうしてここに? ホテルで待ってたと思ったんだけど」
「…………。」
「心配だから追って来た? 心配なんていらないのに。私の実力、あなたも知ってるでしょう?」
「…………。」
「は? なに? 少しドブ臭い……ですって? これはその、さっきちょっと、溝にはまっていたおばあさんを助けたのよ、ほほほ」
「…………。」(そういう事にしておこう、という表情)
「ええ、そういうことにしておいて頂戴な。……さ、ホテルに戻りましょう。買ってきた缶ジュース、あなたの分もあるわよ」
「…………。」
ズィークフリドは、先行してホテルに戻り始める。
オリガも、彼の後を追ってついて行く。
……彼の背後で、妖しい微笑みを浮かべながら。
(……ふふ。もう少しよ、ズィーク。
時が来たら、正式にあなたを私のモノにしてあげる……)
こうして、それぞれの目的、目論見が渦を巻くニューヨークミッションは終わった。
しかし、予知夢の五人は、まだ知らない。
次の戦いは、今回よりもさらに厳しいものになることを。




