第276話 ネプチューンの娘の行方
ネプチューン率いる魚のマモノの群れを撤退させた日向たち。
オーレスンの町は荒らされ、けが人も大勢出てしまったが、日向たちの健闘と、狭山が地元警察や軍を指揮した甲斐もあって、考え得る限り最小限の被害で食い止めることができた。
地元警察や軍が戦闘の事後処理、町の被害確認をしている中、日向たちは滞在していたホテルの前に集まって、事の顛末を狭山に報告していた。現在は日向が狭山に、ネプチューンが町を襲撃した理由について語っている。
「クジラの『星の牙』、ネプチューンの娘がさらわれて、その娘さんを探すために町を襲撃。そして、自分たちが娘さんを見つけてあげないと、再びネプチューンは町を襲撃しに来る、か……」
「勝手な約束をしてしまってスミマセン……。けどあの場面じゃ、ああ言うしかなかったかなって……」
「構わないよ。むしろ好都合だ」
「好都合……?」
「うん。その娘さんの居場所については、アテがあるんだ。そのあたりは、ロシアから来たエージェント二人に語ってもらおうかな」
そう言って狭山は、ロシアからやって来たマモノ対策室のエージェント、オリガとズィークフリドに会話の主導権を譲る。
考えてみれば日向たちは、なぜロシアのエージェントである二人がこのノルウェーのオーレスンにいるのか、まだ理由を聞いていない。
「あなたたちは『赤い稲妻』を覚えているかしら? 私たちとあなたたちが初めて会った時、一緒に叩きのめしたテロ組織よ。ソイツらがこのノルウェーに潜伏していると聞いて、調査にやって来たの。連中はテロ活動、あるいはその資金調達のために、積極的にマモノを利用しようとしているわ」
「あ、じゃあ、ネプチューンの娘をさらった人間たちっていうのは……」
「察しが良いわね、日下部日向。私たちは一昨日からこの町で聞き込み調査をしていたのだけれど、なんか怪しい団体がこの町の港に出入りしていたらしいわ。娘さんとやらをさらったのも、恐らくこの時でしょうね」
「マモノのテロ利用、あるいは身柄の売買を目的としている組織なら、すぐにでもネプチューンの娘さんを始末する可能性は、限りなく低い……。もう既に娘さんがクジラの刺身とかにされていたらどうしよう、とか考えていたけど、これならまだ間に合うかもしれない……!」
「そういうこと。ただ、連中の潜伏場所については、まだ不明のままなの。けれど、狭山がいるなら解決しそうね。彼なら軍や警察に協力を要請して、一気にノルウェー中を調査できる。彼自身の諜報能力も馬鹿に出来ないしね」
「お褒めに与り光栄だね。だけど、さすがにある程度の時間は必要だ。最低でも一日は待ってほしいかな」
「逆に、一日あれば見つけられるんですか……?」
「オリガさんの話を聞くに、相手はかなりの大人数で行動しているようだ。そこにネプチューンの娘さんの運搬まで加えると、かなり目立つはずだ。高速艇等を用いた国外逃亡も大人数では難しいだろう。間違いなく、連中はこの町の近くにいる」
とりあえず、話はまとまった。
狭山たちが『赤い稲妻』の捜索をしている間、日向たちはこの町で待機することになった。今日の戦いの疲れもあるし、明日には『赤い稲妻』に襲撃をかけるかもしれないのだ。日向たちにも休息が必要だろう。
◆ ◆ ◆
その日の午後。日が傾いて夕暮れに差し掛かるころ。
オーレスンのホテルの自室にて、日向は窓からの景色を眺める。
今朝見た時は綺麗な町並みだったが、今はマモノの襲撃を受けてあちこちがボロボロになっており、見ていて痛々しい。
やれるだけのことはやったし、あのままネプチューンが暴れていたら、町はいよいよ再起不能な痛手を受けていた。日向たちは良く町を守った。
だがやはり、もう少し自分に力があれば、もっとしっかり町を守れたのではないかと、どうしてもそう考えてしまう。
その時、日向の部屋をノックする音が聞こえた。
日向がドアを開けてみると、そこには北園が立っていた。
「北園さん? どうしたの?」
「えっとね。いま、町ではマモノ襲撃の復旧作業が行われてるんだって。それでさ、せっかくだから私たちも手伝ってあげない?」
「なるほど。分かった。ちょうど俺も、町の力になってあげたいと思ってたところだった」
「そうなんだ。じゃあグッドタイミングだったね」
「本当にね。それにしても、自分から復旧を手伝おうと思い立つなんて、北園さんは優しいなあ」
「えへへー、もっと褒めて」
「良い子! 超良い子! 慈母の女神!」
「えへへー、えへへへへー」
日向の誉め言葉を受け、北園が満面の笑みになる。
そんな北園を見ていると、日向も沈みかけていた心が和んだ。
町に出てみると、あちこちで住人たちが復旧作業を行っている。
瓦礫の撤去に道や建物の修繕、怪我人の治療に行方不明者や迷子の捜索など、人々が忙しなく道を行き交っていた。
日向と北園も住人の一人に話しかけ、瓦礫の撤去作業に加えてもらった。建物の崩れた外壁などを拾って、一か所に集めていく簡単なお仕事である。
と、その途中で見知った顔を見つけた。銀のロングヘアーに黒のオーバーコート姿の男性、ズィークフリドだ。彼は今、道端でひっくり返っている自動車の前に立っている。
「ズィークさんだ。何する気なんだろ……?」
興味津々にズィークフリドを眺める日向と北園。
ズィークフリドは、ひっくり返っている自動車に手をかけると、倒れている自動車の下にその身をねじ込ませる。
「…………ッ」
するとズィークフリドは、驚異的な怪力で自動車を押し上げる。
そしてひっくり返っていた自動車を、タイヤが地についた元の姿勢に戻してしまった。見ていた周囲の人々も目を丸くしている。
「うっひゃあ、すごい……」
「服着て歩く重機か何かかあの人は……」
北園は感心の眼差しを、日向は感心を通り越してもはや呆れた眼差しをズィークフリドに向ける。
すると、ズィークフリドも日向たちに気付いて、歩み寄ってきた。車一台ひっくり返した後にも関わらず、その顔は涼しげな無表情である。
「あ、ズィークさん。こんばんわ……」
「ズィークさん、お疲れさまー!」
「…………。」
日向と北園の声を受けたズィークフリドは、ニコリともせずにただ頷いた。そして懐からメモとペンを取り出すと、物凄いスピードで何かを書き始める。喋ることができない彼は、伝えたいことがある時には筆談でものを伝える。
そしてズィークフリドは、出来上がったメモの内容を二人に見せた。
『二人とも、久しぶり! 今日は大活躍だったね! 最初に会った時よりすごく強くなってたからビックリしたよ! それと日向くんはあの時、いきなり銃を向けてごめんね! 僕がちゃんと喋ることができたら、声をかけて危険を知らせていたんだけど……。不甲斐無い大人でホントごめん!』
「相変わらず、フレンドリー極まる筆談ですね……」
ズィークフリドは、醸し出している雰囲気は完全に殺し屋のそれだが、筆談の内容はこのとおり、物凄く親しみやすい文体である。曰く、日向や北園など年下の子供たちには、それに合わせて柔らかい文章にするらしいが、それにしたって柔らかすぎである。
「ズィークさんも復旧作業を手伝っていたんですね! えらい!」
「…………。」(コクリと頷く)
「そういえばズィークさん。オリガさんは一緒じゃないんですか? あの人も復旧作業に参加を?」
「…………。」
日向の質問を受けたズィークフリドは、再びメモにペンを奔らせる。
『オリガさんは、こんなのか弱い女の子がやる仕事じゃないから、って言ってホテルに引きこもったよ! まったく、よく言うよね! あの人もロシアのエージェントだし凄く鍛えてるから、メチャクチャ力が強いんだよ!』
「そ、そうなんですか……。あんな、小学生みたいな体つきなのに……」
『そこがあの人の強みなんだけどね。オリガさんと対峙した者は、あの人の少女のような見た目に騙されて間違いなく油断する。そこを仕留めるのがあの人のやり方なんだ! えげつないよね! 花で例えるなら食虫植物だよ!』
「……ズィークさんって、もしかしてオリガさんのこと嫌い……?」
『とんでもない! ただ、ちょっと呆れてるだけだよ! あの人、性格に難しかないからね!』
「ははは……心中お察しします」
日向の言葉に対して、和やかな筆談で応答するズィークフリド。繰り返すが、これらの和やかな筆談をしている間も、彼は終始無表情である。
と、ここで町の住人たちがズィークフリドを呼んだ。どうやら、彼に撤去してもらいたい大きな瓦礫や、ひっくり返った車などがあるようだ。先ほどズィークフリドが車を転がしたのを見た人たちが、彼に助けを求めているのだろう。
ズィークフリドは呼び声に頷いて、そちらに向かおうとする。
だがその前に、日向がいったんズィークフリドを呼び止めた。
「ズィークさん。一つだけいいですか? 気になってたことがあったんです」
「…………。」(コクリと頷く)
「ズィークさんは、どうしてあんなに強くなったんですか? 車をひっくり返したり、ゾルフィレオスの突進を正面から受け止めたり、あまつさえ素手でゾルフィレオスを瀕死に追い込んだり……。その強さの秘訣は、いったい……?」
「…………。」
日向の言葉を受けたズィークフリドは、再びサラサラとメモに文字を書き綴っていく。そして出来上がったそれを日向に手渡すと、自身を呼ぶ住人たちの元へと歩き去っていった。
日向は、受け取ったメモをさっそく読んでみる。
『よく聞かれるけど、僕は何も特別なことはしてないんだよ。ただ、強くならないと会えない人がいたんだ。その人は僕にとって、とても大切な人だった。だから僕はその人に会うために、死に物狂いで自分を鍛えたんだよ。僕が他人よりちょっと強いのは、それだけの話さ』
「絶対それだけじゃないでしょ……」
『それだけの話』で片づけるには、ズィークフリドの強さは常軌を逸している。思わずその場でツッコんでしまう日向だったが、当のズィークフリドは既にこの場を去っている。
恐らくは『それだけの話』にもっと深い理由が隠されているのだろうが、ズィークフリドはそこまで教えてくれる気は無いようだ。
「ズィークさんの強さの秘訣を知ることができたら、俺も少しは強くなれるんじゃないかと思ったんだけどなぁ」
「それにしてもズィークさん、相変わらずだったねー。見た目は『陰がある美形』って感じでカッコイイし、そこから繰り出される筆談のギャップがなんか可愛いし、私、ズィークさんはけっこう好きだなー」
「む、思わぬライバル出現……」
「ライバル? ズィークさんが? 何の?」
「あ、いや、北園さんは気にしないで」
「???」
日向の言葉に、北園は首を傾げる。
その北園のキョトンとした表情を見て、日向は気恥しそうに目線を逸らした。
◆ ◆ ◆
そして、その日の夜。
オーレスンの町から十数キロ離れたところに、打ち棄てられた貨物船が座礁している。船体は朽ち果てボロボロで、上下に綺麗に分かれている黒と赤の模様は、今では錆色に染まっている。
その内部。
がらんどうとした積み荷の搬入口。
そこには大きなトラックが一台と、これまた大きなコンテナが数個、そして大勢の男たちがたむろしていた。その男たちの中で、リーダー格の男が部下から報告を受けているようだ。
「リーダー、大変だ! オーレスンで、あのロシアのエージェント二人を見た! 俺たちのことを嗅ぎまわってやがった! ここに来るのも時間の問題かもしれねぇ!」
「マジかよ、クソ、鼻の良い奴らめ! せっかく新商品も手に入って、軌道に乗ってきたっていうところによぉ!」
「どうするんだよ!? ヤクーツクでは連中に大勢やられた! これ以上ボロクソにされたら、立て直しは困難だぞ!?」
「こうなったら手段は選ばねぇぞ! 万が一連中がここに来たら、破壊活動用に取っておいたあの最終兵器を使うぞ!」
「あ、アレを使うのか!? たった二人を相手に!?」
「ああそうだ! ここでアイツらに壊滅させられたら、もう先は無いからな! ここを耐え凌げば、まだチャンスはある! アレの代わりも用意できるさ! というワケで、アレの調整を急いどけよ!」
「り、了解!」
リーダーの指示を受け、部下は急いでその場を去った。
リーダーはふぅ、と息を一つ吐くと、近くに止めてあったトラックを見る。
「へっへっへ、生意気なチビ女に死神ヤローめ、目にモノ見せてやるぜ……」
リーダーの視線の先のトラック、そのコンテナ型の荷台からは、ガタゴトと音がしている。おぞましい何かが中にいるようだ……。




