第275話 スピカの手助け
空に広がるは黒雲。
吹き抜けるは暴風。
目の前の海は荒れ狂っている。
海に浮かぶ蒼色のクジラ、ネプチューンが町を破壊するため、口元に海の水を集中させて力を溜めている。あれが町に直撃したらタダでは済まない。無数の家々が破壊され、オーレスンは壊滅的な大打撃を受けることになる。
そのネプチューンを迎え撃つのは予知夢の少女、北園良乃と、謎に包まれた女性、スピカだ。二人は波止場と海の境目にて、ネプチューンの攻撃を待ち構える。
「いいかい、北園ちゃん。キミのバリアーにワタシのバリアーを合わせる。二人でバリアーを一点集中させて、アイツの攻撃を受け止めるんだ」
「わ、分かりました!」
「うんうん。合わせるのはワタシが勝手にやるから、キミはいつも通り、落ち着いて、バリアーを張るだけでいいからね」
「……りょーかいです!」
これから北園は、かつてない強烈な一撃に立ち向かう。当然、その緊張はこれまでの人生で体感したことがないほどだ。
だが、スピカの砕けた口調が、その緊張を和らげてくれた。どうにも北園は彼女に、他人とは思えない情のようなものを感じる。
「ウオォォォォォォォォォン……!!!」
そして、ネプチューンの水流攻撃が放たれた。
町に向かって、その前に立つ北園たちに向かって、真っ直ぐと。
北園は、その水流に向かって両手を構える。
スピカもまた、北園の腕に手を添える。
その表情は、普段おちゃらけている彼女からは想像もつかないほど、真剣なものだった。
「よーし……バリアーっ!!」
「念障壁:三重展開」
北園の叫び声と、スピカの呟きが重なった。
そして生み出されたのは、四重に重なった念動力のバリアーだ。
北園が生み出した一枚と、スピカが生み出した三枚。
それらの蒼いエネルギーが壁となって、ネプチューンの水流を受け止めた。
「くぅぅぅぅぅぅ……!!」
「っと……思った以上に強烈だねぇこれは……!」
「ウオォォォォ……!!!」
ネプチューンの水流はなおも止まらない。
二人が生み出した障壁を突破しようと、容赦なく吹きつけられる。
やがて、先頭のバリアーが一枚、破壊された。
「あ……バリアーが……!」
「落ち着いて。まだたったの一枚だ。精神の動揺は超能力も弱くする。ワタシを信じて、気をしっかり持つんだ」
「り、りょーかいです!」
スピカの励ましを受けて、北園も持ち直した。先ほどよりも気合の入った表情でバリアーの展開に集中する。それをチラリと見たスピカも微笑んで、再びバリアーに意識を向ける。
しばらく耐え続けると、とうとうネプチューンの水流は止まった。
二人のバリアーは結局、一枚のみ破壊されるに留まった。
「す……すごい……本当に止めちゃった……」
「頑張ったねー北園ちゃん。えらいよー」
「た、助かった……」
肩で息をしながら、北園は安堵のため息をつく。
その北園の肩に手を置いて、スピカは優しく微笑んでいる。
事の顛末を傍で見ていた日向は、思わずその場で腰を下ろしてしまった。
海の中のネプチューンもまた、だいぶ疲れているように見える。あの水流攻撃は、ネプチューンにとっても切り札となる大技なのだろう。それを、開幕からいきなり切ってきたというワケだ。
「……けど、ここからどうしようか……? 俺の”紅炎奔流”は相変わらず撃てないし、ネプチューンはあの巨体だから肉弾戦もメチャクチャ強そうだし……」
「あ、じゃあちょっとワタシに任せてくれる? あのマモノ、さっきから心を読んでるんだけど、もしかしたら話し合う余地があるかも」
「え? 本当に……?」
「まぁ見ててよ。ちょっと話を聞いてくるねー」
そう言ってスピカは、波止場から海に向かってジャンプした。
一瞬焦った日向と北園だったが、スピカは海面の上に浮いて、さらに海面を歩いている。恐らくは念動力による空中浮遊だ。
スピカはネプチューンの元まで歩くと、ネプチューンと何やら二言三言話し始める。そして、ネプチューンを引き連れて日向たちが待つ波止場まで戻ってきた。
「なんかねー、彼女、『娘を返せ』って言ってるよー?」
「はい? 娘?」
「人間にさらわれたんだってー。日影くんは心当たり無いのかな?」
「全く無いです……。そして俺は日向です……」
ともかく、詳しい話を聞かなければならない。
日向はスピカの通訳のもと、ネプチューンとの対話を始めた。
「えー。えっと、ネプチューン? なんでお前は町を襲うんだ?」
『あなたたち人間が、私の娘をさらったからです』
「この町に、娘さんをさらった犯人がいると?」
『分かりません。しかし、私の娘はこの付近でさらわれました。少し私が目を離してしまった隙に、銃とやらを持った人間たちが娘を船に引き上げてしまったのです。そして、娘がさらわれた場所から最も近いこの港町に、私の娘をさらった不届き物がいるのではないかと思いました。そこで私は他のマモノに協力を仰ぎ、この町に襲撃を仕掛けて娘を探しに来たのです』
「この大規模な襲撃は、それが理由か……。というか、アンタ雌だったのか……。ネプチューンはイタリアの男神だから、この名前は失敗だったかな……」
ともかく、これで分かったことがある。
ネプチューンの目的は、町の破壊ではなく娘の奪還。
ネプチューンは、その気になればこの町を壊滅させられるほどの力がある。
そしてネプチューンは、娘をさらわれた怒りに支配されつつも、対話に応じてくれる器量を持っている。これらの要素を鑑みて、日向が取るべき選択肢は、ただ一つ。交渉だ。
「ネプチューン。俺たちが、お前の娘を見つける。だからどうか、この襲撃を止めてほしい。町の人たちは無関係だ。町をむやみに破壊したら、お前の娘にも被害が及ぶかもしれない」
『……いいでしょう。私もあなたの炎を受け、痛手を負いました。戦わずに済むならばそれが良い』
「よかった、話を分かってくれるマモノで……」
『しかし、いつまで経っても娘が戻らなかったら、あなた達は約束を反故にしたと見て、この町を大津波で破壊します』
「う……分かった。ここで襲撃を止めてくれるなら、とりあえず儲けものだ」
『では、どうか娘を頼みます。私も引き続き、海岸付近をまわって娘を探します』
話を終えると、ネプチューンは大音量で一声鳴いた。
すると、オーレスンの町から魚のマモノたちが次々と飛んできて、海の中へと帰っていく。約束通り、ネプチューンはマモノの軍勢を退かせてくれたのだ。
やがてすべての魚のマモノたちが町から出ていくと、ネプチューンも海へと潜っていった。空を覆っていた黒雲も晴れ、風も止まり、荒巻く海も静けさを取り戻した。とりあえずは、戦闘終了である。
「な……なんとかやり過ごしたか……」
「お疲れ様、日向くん……」
日向と北園も、大変疲れ切った様子である。今回の戦いは町の命運がかかっていた。その重責から解放され、ひとまず安堵している。
しかし同時に、大変な約束もしてしまった。ネプチューンの娘を見つけ、彼女に返してあげなければ、改めてオーレスンは海に沈められてしまう。
「ど、どうするの日向くん? 娘さんの居場所なんて、心当たりは全く無いよ? 私の予知夢でも、そんな光景は見覚えが無いし……」
「けど、ネプチューンを退かせるにはああ言うしかなかった……。とにかく、狭山さんに報告しよう。何か知恵を出してくれるかも……」
「いやぁ、大変そうだねぇ若者たち。……それじゃ、ワタシはこの辺で」
「え!?」
ここまで来て、いきなり立ち去ろうとするスピカ。
日向と北園は、思わず声を上げて彼女を見つめる。
「ど、どうして!? これはもう、事件解決まで付き合ってくれる流れでしょう!?」
「いやぁー、ワタシがここで手を貸したのは、あくまで気まぐれだしー……」
「スピカさんの読心能力とか、あのすごい念動力とか、とても頼りになりそうなのになー……」
「ごめんねー北園ちゃん。けどワタシにもワタシの目的があるからさ。この町に王子様はいなかったみたいだし、次の場所に向かわないと」
「……だったらスピカさん。一つだけ教えてください。あなたは一体、何者なんですか?」
そう言って、日向がスピカの前に立ちはだかる。
その表情は真剣そのもの。
しかしスピカは、相変わらず緩い表情で日向を見つめている。その表情の緩さは、やんちゃな弟を見守る姉のようにも見える、優しいものである。
「何者って言われてもなぁ、ワタシはワタシだよ。謎の世捨て人、スピカさんだよ」
「スピカさんのことは信頼しています。町を守ってくれましたし。けど、あまりに正体不明すぎて、不安が拭えないんです。さっきはバリアーを三枚も同時に展開しましたし、只者じゃないのは間違いないでしょ? あなたを放置していたらこの先、大変なことになるんじゃないかって思っちゃうんですよ。何かの拍子で俺たちの敵として出てきたりしたら……」
「なるほどねー。まぁ、無理もないかぁ。けどゴメン、ワタシの正体については、やっぱりちょっと秘密にしないと」
「そうですか……」
「……でも、ワタシがキミたちへの協力を拒むのは、ワタシの個人的な理由なんだ。そっちなら話しても良いかな」
そう言って、スピカは話を続けた。
曰く。
彼女の能力の一つである読心能力は、動物だろうと人間だろうとマモノだろうと関係なく、その心中を暴き立てる、極めて強力な能力だ。
そしてスピカのこの能力は、強力すぎて彼女自身にもうまく制御ができていないという。彼女が「相手の心を読みたくない」と思っても、四六時中発動して心を読んでしまうのだ。
少し余談だが、世の動物会話能力者たちのほとんどがマモノと会話できないのは、マモノの心は動物よりも遥かに複雑な形をしており、動物と会話するのとは勝手が違うらしい。その形の複雑さは、人間のソレに近いのだとか。
動物会話能力者は人間の心を覗けないが、スピカは人間の心を覗くことができる。だからスピカは、人間並みの複雑な心を持つマモノの心を読み解くことができる。
この能力のせいで、スピカは今まで苦労を強いられてきた。
言葉の裏に本音を隠す、人間の醜い本性に悩まされた。
心の中で、自分を『心を読む化け物』呼ばわりする人間を何度も見てきた。
その能力を利用しようと企んでいた輩に狙われたこともある。
この能力によってもたらされる災難が、彼女を一種の人間不信にしてしまった。この人間不信こそが、彼女が世捨て人となって人間との関わりを断ち、日向たちへの協力を拒む理由だった。
「失望……しちゃったよねぇ。理由は、ただのワタシの自分勝手。ワタシはワタシの我儘のために、キミたちに協力したくない。さっき、広場から逃げた時だって、日向くんの心を読んでたから、キミがワタシに協力を仰いでくるって分かってた。分かってた上で、ワタシは逃げたんだ」
そう呟くスピカの表情は、相変わらず砕けた感じではあるものの、日向と北園からは目線を逸らし、どこか気まずそうであった。
だが、話を聞いた日向と北園は、スピカに笑いかけた。
「ありがとうございます、スピカさん。とりあえず、その話が聞けただけでも安心できました。きっとあなたは悪い人じゃない、と。人と関わり合うのに怖さを感じる気持ちは、俺も分かりますし」
「……本心から言ってくれてるんだね。嬉しいよ」
「でもスピカさん! やっぱりスピカさんの能力って、すごく頼りになると思うんです! いつかまた、一緒に戦ってくれないかな、なんて……」
「そうだねぇ……北園ちゃんに頼まれると弱っちゃうんだよなぁワタシも。じゃあ、ワタシが無事に王子様を見つけることができたら、改めて前向きに善処するよ」
「ホントですか!? 約束ですよ!」
「うん。約束だよー」
そう言い終えると、スピカは置いてあった旅行カバンを手に取って、二人に向かって振り返った。
「それじゃあ、ワタシは一足先に退散するよ。少年少女たち、達者でねー」
「せめて、報告くらいには立ち会ってほしかったんですけどねー!」
「いやーゴメンね、これ以上はワタシの対人メンタルがもたないや。キミたちの司令官とやらには、テキトーに上手く言っといてー」
そしてスピカは手をヒラヒラと振りながら、二人に背を向けて歩き去った。
「……ゴメンね、二人とも。でも、ワタシは王子様を見つけなきゃ。
あの方は、この災害を利用して、何か企んでいるかもしれないから……」




